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お坊さんらしく、ない。

2022年7月11日 お坊さんらしく、ない。

十五、「苦」の正体――覚めない夢、破れる現実

著者: 南直哉

 学校と相性の悪かった私は、学生時代に数々の苦杯を舐めたが、その幾つかは余程のトラウマとなったのか、50を過ぎても夢に出て来た。

 一つは、高校の定期テストで、科目は何かわからないが、一問もわからず、このままだと0点だという瀬戸際に追い込まれて、あまりの焦燥で失禁しかけたとき、なぜか着ている服の袖が作務衣であることに気づいて、「あれ?」と思った途端に目が覚める、というものである。

 もう一つは、どういうわけか、永平寺への入門が決まったのに大学の単位が足りず、卒業できなくなる夢である(実際には卒業後、一般企業に就職してから出家した)。

 浅知恵でよく知らない洋酒を買い、それを持参して指導教授(それがいたのかも今やわからない)のところに、泣き落すつもりで駆けつける途中、思い切り転んでしたたか顔面を打ち、あまりの痛さに両手で顔を覆ったら、服の袖が作務衣。

 このように馬鹿げた夢を、50を過ぎても、疲労が蓄積すると決まって見ていた。ただ、馬鹿げていることは確かだが、見ている最中は正しく「現実」である。あの焦燥は実際に大量の寝汗をかかせ、私を疲労困憊にさせたのである。

 では、目覚めている時の現実と、夢の中の「現実」はどこで区別したらよいのか。現実と「現実」、それぞれの内容では区別できない。「現実」がいかに馬鹿げていようと、「現実」の中にいる人物には現実なのだ。

 この区別は、「現実」から目覚めるかどうか、それだけにかかっている。よく「夢が破れる」と言うが、それは違う「現実」が破れて夢になるのである。

 したがって、今度は逆に、大災害や突然の戦争などで、日常生活という現実の方がいきなり破壊されると、人は茫然として「悪夢を見ているようだ」と言うのである。また、認知症が次第に進むと、当人は「夢と現実の区別がつかない」と言い出すことがあるのだ。

 ということは、現実と「現実」、すなわち現実と夢の違いは、そう当たり前なことではない。夢がイメージなら、我々の現実も実はイメージである。我々は自分の身体をメディアにして、外界を五感などの感覚器官を通じて認識しているに過ぎない。認識しているのは、ナマの外界そのものではなく、そのイメージを現実として構成しているだけなのだ。

 イメージという点で、現実と夢の区別はつかない。違いは、そのイメージがどれだけの規模と強度で、いかに長く他人と共有されているか、だけである。規模と強度と期間―それらが他に勝るイメージが、我々の現実となる。夢の「現実」は、“最弱の現実”として淘汰されるわけである。

 このことを大乗仏教は「唯識(ゆいしき)」とよばれる思想で、大昔から教えている。この思想を極端に単純に言ってしまえば、我々は「存在しているものを認識する」のではなく、我々の「認識が一切の存在をつくり出す」ということである。

 唯識思想は、我々と外界、存在するあらゆるものが、「阿頼耶識」と呼ばれる、根源的な意識から生まれてくるのだと言う。それは当然個人の意識を超え、個人の意識を拘束する。それが共通の「現実」を作り出し、我々に現実を与えるのである。

 この思想に全面的に賛成するかはともかくとして、我々が手にすることができる現実がイメージにすぎず、要するに夢と質的に差がない「現実」でしかないことは、事実である。

 となると、問題は「何を認識するか」ではなく、「どう認識するか」になるだろう。認識の仕方で存在するものの在り様が変わってしまうからである。まさにここが、いまの時代に大きく浮上している「バーチャル・リアリティ」「フェイクニュース」問題の勘所である。

 人間の現実はつい最近まで、基本的に身体という、共通の構造を持つメディアのみで作られていた。つまり、「身をもって知る」「体で覚える」ことが現実の保証であり、だから、我々は共有の規模が大きくて強度が高く、長期間通用するイメージを確保して、現実として持ち得たのである。

 ところが、人間の身体的な感覚や、それに基づく認識を、拡張したり変形する技術が急激に発展し普及すると、その技術の種類と強度に応じて、現実は分裂していく。

 今はまだ、身体に機器を装着する段階だから、身体に保証された現実と機器による「現実」の区別は残る。しかし、それが長期間装着され続けるか、生まれた直後から装着させられ、機器が身体化すれば、この区別は無意味になるだろう。

 さらに状況が先鋭化すると、我々が今まで普通に向き合っていた現実は、分裂して様々な「現実」が生まれ、それが競合し、淘汰され選別されて、我々に対してより拘束力の強い「現実」(=共有される夢)が、晴れて現実の地位に就くことになるだろう。日本の「攻殻機動隊」というアニメーション映画、「マトリックス」というアメリカ映画が垣間見せるのは、そういう世界である。

 だが、所詮、夢が破れるように、いかなる現実も必ず破れる。我々の現実も「現実」だと知る。これを「諸行無常」と言うのだ。ならば、真に「リアル」と言えるのは何か―。

 リアルなのは、あらゆる現実は必ず破れる、という事実である。いつ、どこで、なぜ破れるのか、それは決してわからない。でも、破れる。これが仏教の言う「苦」である。いかにそれを望もうとも、確かな、我々に忠実な現実は存在しない。

 したがって、我々はこの先、現実が実は「現実」に過ぎないことを肝に銘じて、それがいかに作られるのかに目を凝らさなければならない。それとは別の、誰にも共通で不変の、絶対的な現実は無い。リアルとは、「現実」が常に破れる事実を言うのであって、バーチャルとは、いつまでも「現実」が続くという錯覚である。

 破れる以上は作り物である。ならば、どのように作られているのかを知ることが、より「確かな現実」を見極める方法であろう。おそらく、「確からしさ」を競う時代は、何かを理解する前に、何を信じるかを問われるようになっていく。

 そのような時には、人々はより簡単で強力な「確からしさ」を欲望するようになるだろう。この新たな欲望は、それぞれの自由を誰かが説く「確からしさ」に明け渡すことを招くかもしれない。何が確かな「現実」なのかを考え選び取る困難に耐えかねて、誰かの「現実」に我が身の全てを委ねたくなるかもしれない。

 次に来るのがどのような時代なのか、管見の及ぶところではないが、現実が揺らぎ、確かな「現実」が失われつつあるように見える今、はるかに2500年前に「諸行無常」を説いた人物は、自分の生きていた世界と時代を、その「現実」を、どのような眼でみていたのだろうと、思えてならない。

*次回は、8月8日月曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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