父の家にあるテレビは朝から晩まで付きっぱなしだ。意識的に観ているのは、決まった時間のニュースと朝のワイドショー。それ以外は、スッキリと片付いたリビングに置いた新しいソファ(ニトリで買ってあげた)に寝そべり、垂れ流される番組をぼんやり観ている。やりもしないパチンコの番組だって、流れていればそのまま観る。興味がない情報を終日眺めているだなんて、苦痛以外のなにものでもないと思うのだが。
テレビが悪いとは言わないが、残り少ない人生を、興味の持てないプログラムを観て過ごすのかと問い詰めたこともあった。父からは「うーん」とか「観てるんだよ」とか「そんなに観てないよ」とか、的を射ない答えが返ってくるばかり。昔の父を思い返すと、趣味は休日のゴルフ、もしくはソファで寝テレビだった。年を重ねてゴルフがなくなり、一週間すべてが休日になり、寝テレビの時間だけが爆増したというわけだ。父の生活を見ていると、老化による体力や視力の低下など、体が利かなくなってからのほうが人生の余暇は長いことに気付く。そうなってからでも続けられる趣味があったら、こうはならなかったかもしれない。
そんな中、本連載を始めるきっかけとなった、2018年刊行の自著『生きるとか死ぬとか父親とか』を原作にしたドラマがテレビ東京で始まることになった。人生、なにが起こるかわからない。これぞ、父が観るべき番組だろう。名俳優の國村隼さんと吉田羊さんが、我々親子を演じてくれるのだから。こんな奇跡は二度と起こらない。天国の母も驚いているに違いない。
とは言え、番組は深夜0時過ぎに始まる。早寝の老人には厳しい時間帯だ。ハードディスクを買って毎週予約録画をしても、リモコン操作を覚えるのは至難の業。使い方を教える作業には根気が必要な上、それでも覚えられなかったら父は無駄に自信を喪失してしまう。私は堪え性がないから、厳しい指導が父への蔑みにも繋がりかねない。こういうのは全力で避けた方がいい。
どうしたものかと悩んでいたら、「放送される時間にちゃんとテレビで観るよ」と父が言い出した。どう考えても無理だと思ったが、本人が「やる」と言ったら、法を犯すでもない限り、とにかく否定しないのが私の体得した方法。
幸い、原作者には一話ごとにDVDが送られてくる。見逃した場合は、後でそれを見せればいい。DVDプレイヤーも、再生のみなら1万円前後のものが売っている。自分で接続はできないだろうから、一度は父の家に足を運ばねば。そんなことを考えていると、関西でコロナの変異株が猛威を振るい始めたというニュースが流れてきた。東京だって、いつそうなるかわからない。ひとり暮らしのサポートのために必要なことはいくつも思い浮かぶが、なにをやるにもおっかなびっくりで、こちらの気持ちがほとほと疲れてしまう。
香港在住の女友達は二度のワクチン接種を、アメリカのポートランドに住む女友達は一度目のワクチン接種を終えた。どこの星の話かと思うくらい、日本に住む私には現実味がない。高齢者だって、まだ始まったばかりだというのに。父が言うには、ワクチン接種のお知らせはきたものの、詳しい日程などはまだわからないらしい。本当かどうか怪しいので、やはり一度家に行かねばならない。行くのはやぶさかではないのだが、自分が無症状のウイルス保有者かもしれないと考えると、身がすくむ。
記念すべきドラマ放送第一回目の夜。いつもの通り、父から夕飯の写真が送られてきた。今夜のメニューは魚のたかべを焼いたもの、肉じゃが、アスパラガス、アサリの味噌汁、ごはん。魚が皿からはみ出しているので、自分で焼いたものだろう。写真は言葉より雄弁だ。近頃は、肉炒めも目玉焼きも自分で作れるようになった。ご飯は毎日自分で研いで炊いている。
大掃除フジロックのあと週一で来てもらうようになった家政婦さんには、必ずなにかしら青菜を湯がいて冷蔵庫に入れておいてもらうようにしている。アスパラガスはそれだろう。あとは、まあ、父のプライベート。私が関知するのは控えておく。
私が父に望むのは、バランスよく、できるだけカロリーのあるものを食べることだ。指導の甲斐あって、冷蔵庫になにか入ってさえいれば、ここまで自分で用意できるようになった。先日83歳の誕生日を迎えたばかりのお爺さんにしては、よく頑張っていると思う。言うなれば、私は遠隔操作に長けた女・山本五十六といったところ。
やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
とにかく根気よく、穏やかに。言い方は悪いが、己の命をどう扱おうが、最終的には父の自由だ。よって、娘からの期待はゼロが好ましい。頼んだことができたら必ず褒め讃え、不満がある時には耳を傾ける。本人が「やる」と言えば、失敗が目に見えていても任せる。だが、過度の信頼は禁物だ。
案の定、父はドラマの初回放送を見逃した。曰く、オープニングを観たあとの記憶がなく、気がついたらエンディングになっていたらしい。寝落ちしたのだ。まあ、そうでしょうね。想定内、想定内。
さて、週に一度来てもらうようになった家政婦さんだが、これまたいろいろあり、あっさり定着したわけではなかった。2020年の7月から開始し、いまお世話になっている方で、のべ六人目になる。そのうちの二人は我が家にアサインだけされたものの、体調不良など先方の不都合でこられなくなった。そのほか、一度担当してくれた若い女性が再び戻ってきたことがあったのだが、これが予想外に災いした。災いしたのは父ではなく、先方なのだけれど。
父には男女問わず相手に軽口を叩く癖がある。下手か上手いかで言えば、娘の贔屓目を引いても上手なほうだ。相手を憤慨させるようなことはしない。つまり、「軽口」で済む範疇と判断してもらえる内容。父は軽口をあくまでコミュニケーションの一環だと思っているが、ひとつ大きなことを忘れがちだ。それが通じるのは、昭和男女の不文律を理解し甘んじて受容してくれる年代まで。ざっくり言うならアラフィフまで。それより下の健全な世代、言うなれば「男の無礼を上手くいなしてこそ大人の女」という間違った社会通念にNOを突き付けられる女性にとっては、ハラスメント以外のなにものでもないということ。常日頃から、私は口を酸っぱくして伝えていた。
最初に担当してくれたAさんは、私のひと回りくらい年下だった。私とも上手く意思疎通ができ助かっていたが、配置換えで担当を外れることになった。不運なことに、その次に担当になった、若い男性と父の折り合いが良くなかった。相性の問題だ。そこから二人、決定した人が一度も来訪しないまま立て続けに辞めたり体調を崩したりで、父も少しイライラしていた。私は「Aさんを戻してもらうことはできないか?」と営業担当者にお願いし、暫定的にAさんが戻ってきてくれることになった。
この時、もっと父の声に耳を傾けてあげればよかったと後悔している。私はAさんを信頼していたが、父はAさんの態度にやや不満があるようだった。わずかな抵抗だったが、渋る父に「背に腹は代えられないでしょう」と押し切ったのは私。五十六失格だ。
Aさんが父の担当に戻って一か月ほど経った頃だろうか。営業担当者の男性から私のLINEに、電話で話したい旨、連絡が入った。胸騒ぎを抑え電話をすると、Aさんが現場を外れたいと申し出たという。父からなにも聞いていなかった私にとって、これは青天の霹靂だった。理由を尋ねると、男性の営業担当は「うまくコミュニケーションが取れなくなったそうで……」と言葉を濁した。嫌な予感がする。それだけで担当を外れると言い出すはずがない。
なにか失礼なことがなかったかと突っ込むと、担当者は言いにくそうに、Aさんと父とのやり取りで、不愉快な言葉を投げかけられたことがあったと教えてくれた。嗚呼、やってしまったか。私は頭を抱えた。日頃から、読者やラジオリスナーには毅然とした態度をとるよう推奨している私の身内から錆が出た。父が言葉で、若い女性に嫌な思いをさせてしまった。これが現実だ。平謝りするしかない。
「うまくいなせればよかったのですが」と、電話の向こうから営業担当者の苦笑いが漏れてくる。あくまで営業トークだとは思うが、それは違うと伝えた。さらに突っ込んで尋ねると、卑猥な言葉を投げかけたり、私生活をしつこく詮索したわけではないとわかった。私は少しばかり胸をなでおろす。父のはいわゆる昭和トーク。しかし、それはもうアウトなのだ。加えて、Aさんの気持ちを他者が査定してはならない。
本来ならAさんに直接謝りたいところだったが、その必要はないとやんわり断られた。私からの謝罪の言葉を伝えて欲しいと重ね重ねお願いし、電話を切ったそばから父に電話を掛ける。
ここで私がブチ切れては元も子もない。感情を抑え、Aさんが担当を外れる旨を伝えた。父は驚きもしなかった。なにがあったのかを尋ねると、父には父の言い分があった。実は、父も我慢をしていたのだ。しかし、それは業務内容に対してであり、ならば改善に向けて踏むべき正当な手段というものがある。
静かに、しかし重要であることはしっかり伝わるように、父を諭す。不服に思ったことに対し、既定のガイドラインから外れた構文を使って反論すると、それだけでもうアウトなのだと。いままでが、間違った時代だったのだと。
百パーセント理解できたかはわからないが、父は多少の憎まれ口を叩きながらも最後まで話を聞き納得してくれた。私はしぶとい娘なので、父の幸せを侵害しない限り、父の健康もアップデートも諦めない。そういう娘に育ったことを、父には諦めてもらいたい。 (つづく)
(「波」2021年5月号より転載)
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ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- ジェーン・スー
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1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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