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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 大がかりな部屋の片付けを終え、備品を整え生活動線を引き直し、できることできないことの選別を行い、できないことを外注する業者を探し発注して、ようやく父の新しい生活基盤が整った。やった。やり切った。
 昨年7月にソファを納品した頃の私は、「ようやく!」と大きな声を発したいくらいの達成感に満ち満ちていた。しかし、忘れてはならない。ここはまだスタート地点である。ゴールでもなんでもない。
 そうそう、片付けの回で書き忘れたのだが、新たな収納プランを練るにはピンタレストというWeb上の写真共有サービスが非常に役立った。百円均一ショップやニトリ、無印良品で揃えられる優れものが、使い方とともに多数掲載されている。是非一度は覗いて欲しい。
 基盤整備が終わり、父の生活を日々観察するようになってから、およそ1年。コロナのせいで、頻繁には家に足を運べていないのが現実だ。よって、遠隔観察が私の主たる業務となる。大切なことはあくまで父の「精神的・肉体的に健やかなひとり暮らし」を維持するプロジェクトに、父と私の二人が並列で参加するという意識。お互いが、同じ目的をもってプロジェクトに参加しているという認識を共有できるよう、常に言葉にして努める。大物来日アーティストであるミック・ジャガーとイベンターの関係が消滅するわけではないが、「始める」の次のフェイズ、「繰り返しを続ける」を維持するには、関係性のバージョンがもう一種類必要なのだ。
 新たにたとえるなら、メカニックとテストドライバーといったところ。彼らには、車を安全かつ適切に走らせる共通目的がある。つまり、「メカニック(娘)」と「テストドライバー(父)」と「車体(父の生活)」はそれぞれ別物。これを「メカニックの整備が悪いから車が思うように走らない」とか、「ドライバーの能力が低いから整備された車体を活かせない」など、責任をどちらか一方に押し付け始めると、指導とクレームの応酬になる。いわゆる親子喧嘩だ。こうなると、進むものも進まない。
 とは言え、実際に私が行うことは「管理」であり「指導」だ。であったとしても、それを感じさせるようなやり方はまったく功を奏さない。父にはことあるごとに「これはプロジェクトであり、我々はそのメンバーである」と伝え、無理は押し付けない。互いの立ち位置をケアを「する側」と「される側」というポジションに固定してしまうと、する側は相手が言うことを聞かないことに腹が立ち、される側は怒られるたび卑屈になっていく。これはよろしくない。私はサポート役と思われているくらいがちょうどだ。
 私が実際にサポート(という名の管理)していることを列挙してみると、

 ・日々の食事管理
 ・居室の整理整頓
 ・健康維持

 単に、これだけだった。道理で楽なわけだ。具体的には、

【日々の食事管理】
 毎食(朝昼兼用の一食と夕飯)のメニューを父がスマートフォンで撮影し、LINEで私に送る。内容をみて、足りないものがあれば次の食事で摂取するよう提案する。当然、次の食事ではそれが補完されているかも確認。
 何度かトライしたが、どうしても一日三食は食べられないため、通販サイトのアマゾンで甘酒と栄養補給飲料のメイバランスを定期便で注文し、朝イチのLINEで「甘酒かメイバランス飲んでください」と伝える。タンパク質が足りない日は、寝る前にもメイバランスを飲むよう伝える。それらの減り具合で、体調もわかる。
 昼や夜に食べるものがない時には連絡を寄越すように伝え、その場合はUber Eatsで大戸屋から総菜を発注。頻度は低いが、いざという時にはUber Eatsがあると思うと心強い。とにかくバランスの良い食事を摂取し、体重を減らさないことが目的。たまに刺激を与えるため、ホテルのレトルト食品など目先の変わるものを送りつける。「気に入った」とか「気に入らなかった」という反応だけでも会話になる。
 字面だと面倒に思われるかもしれないが、定期便は一度頼めばそれで終わりだし、1日に二度三度のLINE連絡も、習慣になってしまえばなんてことはない。残念だったのは、何度試しても冷凍食品にはまったく興味を示さなかったこと。これがOKだったら、可能性は無限大に広がったのだが。フルーツの摂取が少ないのも気になる。本プロジェクトの次の課題。

【居室の整理整頓】
 大掃除のあとは、週に一度の家事代行サービスを頼み、清掃、洗濯、その後数日にわたり食べられるような野菜の調理をお願いしている。担当が頻繁に変わるのが悩ましいが、毎回レポートが送られてくるので、それを見て他者から見た父の健康状態なども把握できる。誰かとおしゃべりする時間を持つことが、父にとっても精神衛生上好ましい。信頼できる営業担当と、父と相性の良い人が見つかれば安泰だが、そこに辿り着くまでには少々時間を要した。

【健康維持】
 蕁麻疹持ちなので、痒い痒いとよく電話が掛かってくる。父は元来大袈裟なところがあるため、皮膚の状態を写真に撮って送ってもらい程度を観る。場合によっては病院へ足を運ぶことを勧めたり、市販薬(飲み薬、塗り薬)を買って送ったりする。月に一度は墓参りで顔を見る。徒歩の具合で脚力の低下などを観察。
 足裏から刺激を与えてふくらはぎの筋肉を鍛えるシックスパッドフットフィットを買い与え、毎日乗るように伝え続ける。実際にどれほど乗っているかはわからないけれど。家にじっとしていることが多く汗をかかない父は、このままだと夏に熱中症をやる可能性がある。よって、4月からは浴槽にお湯を溜めて浸かり、汗をかく練習をするよう伝える。
 以上。

 LINEでの写真送信を覚えるのに多少手こずりはしたが、83歳でも毎日やっていれば忘れることはない。これを1年以上続けている父も偉い。始めて1か月の様子は第3回に記したものの、正直ここまで順調に続くとは思っていなかった。朝は必ずどちらかが連絡するので、お互いの野垂れ死にに気付かないということもないのが助かる。我々はどちらも独居なのだから、リスクは等しく存在するのだ。
 写真をLINEで送ることを覚えるのには、文鳥の存在も功を奏した。可愛い写真が撮れたら、誰かに送りたくなるものらしい。父にとって文鳥は孫のような存在。
 ただし、指摘をしないと忘れてしまうこともたまにある。たとえば、毎食食べていた卵をうっかり切らすと、次の写真からしばらく卵が姿を消す。そういう場合は家事代行サービスのスタッフに卵を買ってきてもらい、まとめてゆで卵を作ってもらう。冷蔵庫に入れておいてもらえば、「お父さん、冷蔵庫にゆで卵があるよ」と遠隔で提案できる。
 なにしろ、すべての成功の鍵は写真だ。文字だとパッと見てなにが足りないかわからないし、美味しそうだねと褒めることもできない。また、夜に昼と同じおかずを食べることもあり、昼にどの程度の量を食べたのかは、夜の写真で一目でわかる。写真があれば「何をどれくらい食べたの?」と聞かなくて済むのも良い。尋ねることが増えるほど、喧嘩も増える。というのも、老人の答えの大半は「忘れた」「わからない」「めんどくさい」だから。これに飲み込まれると、面倒を見る方の精神が弱る。
 こうなる前から父のことは墓参りのたび写真に撮っており、これが衣替えの際に功を奏したこともあった。父は去年の今頃に自分が何を着ていたかなどまるで覚えていないため、季節の変わり目になると「着る服がない」と電話をかけてくる。超訳すると「服を買ってくれ」ということ。だが、こちらには毎月の写真がたっぷりある。私はスマホのフォルダをササッと調べ、「これと、これと、これと、これがあります。十分です」と答える。すると、先方も納得するのだ。
 すべての局面で、軌道に乗せるまでのトライアル&エラーはあった。気に入るものを見つけるのに時間がかかったものもあれば、習慣にならなかったこともある。だが、そこはビジネスライクにサクサクやるに限る。提案の半分は却下されるものだと最初から腹を括っておけばよい。軌道に乗ってしまえばこちらのもの。とにかく、お互いに失敗を恐れないこと。
 目下の不安は運動不足だ。「動かないとお腹が空かない、お腹が空かないと食べられない、食べられないと痩せる、痩せると動けない、動けないと寝たきりになる」と呪文のように唱えてはいるが、こればかりは遠隔操作が難しい。元来は外出好きな父だが、コロナ禍ではどうにもならない。ワクチン接種は早くて6月になるだろう。それが済んだとて、いきなりキビキビと動けるようになるとも思えない。月に一度父に会うたび、私は父の脚力の低下をひしひしと感じている。本当なら、毎日30分でも家の周辺を散歩して欲しいのだが、誰かがついていないと転んだりして危ないのではないかという不安もある。
 テレビ好きという点を活かし、運動用のDVDとプレイヤーを買い与えたら、週に3回でも観ながらやってもらえないだろうか。過去の経験から鑑みて、失敗する確率は70パーセント。だが、提案の半分は却下されるものだと思っていれば気は楽だ。1回目のワクチン接種が終わったら、運動用DVDとプレイヤーを持って父の家を訪ねることにしよう。

(つづく)

(「波」2021年6月号より転載) 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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