シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

私、元タカラジェンヌです。

2021年6月1日 私、元タカラジェンヌです。

第3回 香綾しずる(前篇) 海外で働きたい――ベトナムの日本語学校で叶えた、長年の夢。

著者: 早花まこ

その決断はみんなを驚かせた

 「私、宝塚をやめたらやりたいことがあるんです」
 それは、彼女が宝塚を卒業する公演の楽屋での出来事だった。いつになく真剣な口調に、付近にいた上級生も下級生も集まって、その後に続く言葉を待った。みんな、旅立つ仲間の幸多き未来を切に願う、雪組の仲間たちであった。
 注目されるなか、彼女はおもむろに口を開いた。
 「スパイダーマンになりたい」

 「私、そんなこと言ってました? 全然覚えてないなー」
 とぼけているのではない、無邪気に全開の笑顔でそう答える彼女。それはまさしく予想通りの答えだったから、私は驚かなかった。あの時、彼女を取り囲んだ人々が一瞬で解散した光景は、4年経った今でも忘れられない。
 「きっと……海外に関係したお仕事がしたかったから、スパイダーマンって言ったんですよ。ほら……『人との繋がり』みたいな。ね!?」
 当時の自分のよくわからない発言をどうにかしようとしている。真顔で説明されるが、やはりいまいち理解不能だ。自由自在に活躍する己の姿を、スパイダーマンというヒーローに重ねていたのだろうか。
 「私、スパイダーマンの映画は見たことないんですけどね。なんでそんなこと言ったんだろう、ね?」

 香綾(かりょう)しずるさん。山口県周南市出身で、愛称は「がおり」。2002年に宝塚音楽学校に入学し、第90期生として2004年に雪組公演「スサノオ―創国の(さきがけ)―/タカラヅカ・グローリー!」で初舞台を踏んだ。そのまま雪組に配属されてからは確かな実力のある男役として活躍し、新人公演の主役を経験する。
 舞台を締めるぶれない演技、色っぽいダンス、安定した歌唱が彼女の武器だった。CS放送「タカラヅカ・スカイステージ」では軽妙かつ機転を利かせた進行役をつとめるなど、雪組に欠かせない存在として成長していく。
 しかし入団から14年、人生の節目には新しいことを始めたいと考えていた彼女は、2017年に惜しまれつつ宝塚歌劇団を退団。卒業することに、迷いはなかったという。
 歌、ダンス、お芝居となんでも巧みにこなす香綾さんに、ミュージカルや舞台への出演など、卒業後の華やかな活動を期待したファンも多かった。しかし、彼女が選んだのは、元タカラジェンヌとしては異色といえる選択だった。

 「ついこの間まで、鬼島又兵衛を豪快に演じて客席を笑いで揺さぶり、ショーでは一転、魅惑のコーヒールンバを披露していた男役スター香綾しずるが、ベトナムで日本語講師をしているらしい」

 香綾さんの卒業後すぐ、そんな話を聞いたが、にわかには信じられなかった。

 「宝塚を退団したのが、7月。その後すぐに、『ベトナムの日本語学校で教えてみない?』と知人から声をかけてもらい、10月には母と一緒に現地を見に行きました。それで、もうその翌月から一人でベトナムに住み始めたんです」
 子供の頃の夢は、「お医者さん」だった。しかし、日本で診療したいわけではなかった。海外で、それも発展途上にある国で人の役に立つ仕事をしたい。そのためにお医者さんになる――そんな夢を抱いていたという。
 スパイダーマンかどうかはともかく、宝塚を卒業する時にはすでに海外へ目を向けていたことは確かだった。お医者さんではなくとも、海外で人の役に立つような仕事がしたいという思いは、ずっと彼女の心の中にあった。だが具体的な展望はなく、ただ漠然とした夢でしかなかった。

 一度現地を見たとはいえ、「ベトナムの日本語学校で講師をする」というかなりざっくりとした仕事内容を聞いただけで渡航を決めた彼女は、現地で生徒となる「ベトナム人技能実習生」が何なのかということすら、後から知った。英語圏外へ行くにあたり、渡航までに覚えたベトナム語は挨拶と数字程度。
 「不安よりも、楽しみが勝っていました。面白そうだからとにかく行ってみよう!って」
 宝塚を卒業した後にしばらく休養期間をとる人も多いが、香綾さんはすぐに次のステップに踏み出した。
 「休むつもりはありませんでした。すぐに、何か新しいことを始めたかった」
 退団公演では通常の公演以上に、やらなければならないことがたくさんある。心身ともにハードな環境に身を置いていたというのに、彼女はケロリと言ってのける。
 「退団した千秋楽の翌日、全然疲れてなかったしね!」 

宝塚での経験を活かすには?

 現在、彼女が働いている日本アジア青年交流協会は、日本の企業と外国人技能実習生の橋渡しを担っている。実習生が日本の技術、様々な分野の知識を学んで母国ベトナムへと持ち帰り、社会の発展や生活の向上を支える人材となるよう育成する。それが、彼女のいまの仕事だ。
 外国人技能実習生が安心して学ぶためには、彼らがそれぞれの適性に合った企業に就職できるかどうかが重要だ。そのために協会では数回の面接と実技テストを行い、ベトナムのスタッフとも連携しながら実習生の採用をすすめている。

 香綾さんが約1年間働いたベトナムの首都・ハノイにある日本語学校は、日本アジア青年交流協会が直接経営しており、日本で働くことを希望し就職が決まったベトナム人が学んでいる。ここでは技能実習生を単なる働き手にするというのではなく、彼らの生活や学びを長期的に支えるための活動をしている。
 海外の人と比べると、日本人は突出して几帳面で清潔好きだ。さらに職場では時間を厳守すること、礼儀正しい挨拶などが求められる。ベトナム人の生活とは違うことばかりだ。
 学校で働き出した香綾さんはすぐに、語学の習得だけではなく、そもそも日本で暮らすための教育が充分ではないことに気が付いた。

 ベトナムの文化を尊重することは大切だが、日本で就職するという目的がある以上は、日本流のやり方をしっかりと教えなくてはいけない。その教育に懸命に取り組んではいたものの、ベトナム人スタッフだけでは限界があったのだ。
 技能実習生を受け入れる日本の企業のため、そして何より生徒たち自身が日本で自立し充実した生活を送れるようにと奮起した香綾さんは、学校の改革に乗り出した。
 彼女が最初に取り組んだのは、掃除の指導。朝だけだった掃除の時間を、昼と放課後にも増やして、全クラスを見回ってやり方を教えた。
 「大切にしていたのは、生徒が自主的に掃除をして、ゴミや汚れに気付くようにすること」
 当時の宝塚音楽学校の掃除は、徹底的に厳しいことで有名だった。窓枠の埃を、筆で払う。ピアノの鍵盤を磨くのは、綿棒。ベトナムの日本語学校では、さすがにそこまでさせなかったが、隅々まで完璧に掃除をするやり方を知っていたのは指導の助けになった。

 掃除だけではなく、挨拶の仕方や整理整頓、団体行動といった生活全般の指導には、宝塚で学んだことが大いに役立った。
 「細かいことを丁寧に教えました。例えば、教科書を机の上に置く時には角を揃える。列にきれいに並ぶ、皆で挨拶をする訓練のために、朝礼の時間を取り入れました。ラジオ体操もしたんですよ~」

 思いついたら即、実行。香綾さんは現地スタッフにも教え方を伝授して、学校の指導体制を整えていった。赴任当時は10人ほどだった全校生徒数は、今は130人にまで増えているという。香綾さんの考えた教育方法が国内外で評価されたことが分かる数字だ。
 教師の資格がないのに「先生」となるのには、どれほどの苦労があったのだろうか。
 「全く問題ありませんでした。現場で大事なのは資格ではなく、日本の文化や考え方を正しく教えることでしたから。日本で生まれ育ったきゃびぃ(早花)さんも、その存在自体がベトナムの生徒たちにとっては“先生”なんですよ」
 実際に経験した香綾さんだからこそ、語ることができる感覚だ。

 そのように日常の細かいところからコツコツと改革を続けた香綾さんは、ベトナムに渡ってわずか半年後、現地の副社長に就任する。ベトナム人にとっては不慣れで厳しい規則が増やされたが、戸惑いや反発の声が上がることはなかった。そのやり方が日本で暮らすために必要なのだと、香綾さんが繰り返し伝え続けたからだ。
 「ただ規則で縛るだけではなく、協力して楽しくできるように工夫しました。つまんないと、続かないからね」
 ベトナムの人たちはこまやかにメモを取る文化があるなど、学習に向いている面も多々あった。
 平仮名は「あ」から。カタカナ、数字といった日本語の基礎を教え、徐々にステップアップしていく。日本語を教えるのはもちろん初めての体験だったが、香綾さんに言わせるとこれで済んでしまう。
 「意外と、なんとか、うまくいきました」

楽しい! 美味しい! ベトナム生活

 ここで、ベトナムでの香綾さんの一日を見ていこう。
 朝7時過ぎに出勤して校門前に立ち、登校してくる生徒たちに「おはよう!!」と声を掛ける。(「これ! 絶対に、やりたかったんです!」)
 掃除と朝礼では生徒一人一人をチェックして様々な指示を出し、8時30分から授業が始まる。ベトナムにはお昼寝の習慣があり、赴任した当初は学校でも2時間のお昼寝タイムがあった。 「これでは日本で働けない」と驚いた香綾さんは、お昼休憩を1時間に変えて日本での生活に近い時間割に変更した。
 放課後の掃除の後に下校時間となるが、それでは勉強が足りない。そこで、20時から22時までを自習時間として新たに設定した。でも、この自習時間は、あえて生徒たちを見守ることはしなかった。
 「日本に来てからも、彼らが自分で勉強し続ける習慣を身に着けて欲しかったので」
 直感的な計画に見えて、実は綿密に考え抜かれた指導法だ。そのやり方は、宝塚時代の香綾さんにも通ずるところがある。
 香綾流指導は成功だったようで、生徒はみんな学習意欲に溢れ、積極的に学んでいたそうだ。
 タカラジェンヌとはかなり限定的で特殊な仕事であるはずなのに、そこで学んだことが異国の地でこんなにも役立つなんて――。驚く私をよそに、香綾さんはあっけらかんとしている。

 帰宅後は翌日の授業の準備や提出された日記の添削をして、あっという間に一日が終わる。
 「休日は近所のカフェでタピオカドリンクを飲みながら、日本の動画とかをひたすら見てた。6時間くらい!」
 香綾さんが暮らしたハノイのマンションにテレビはなく、家具も最小限。一年中蒸し暑い気候で虫がたくさん出没したが、生活は楽しかった。お隣のベトナム人の家族に呼ばれ、時々夕ご飯にお邪魔していたという話からも、彼女が現地にどれだけ馴染んでいたかがうかがえる。
 唯一辛かったのは、ネイティブな日本語が恋しかったことくらい。持ち前の明るさと人並外れた好奇心を発揮した彼女は、素晴らしい人たちと出会い、街での生活を満喫したと、ベトナムでの日々を笑顔で振り返る。
 「なんといっても、ハノイは食べ物が最高なの。なんでも美味しかった」
 そう、香綾さんは美味しいものが大好きだった。宝塚のお稽古場や楽屋で美味しいお菓子があった時には、いち早くその匂いを嗅ぎつけて飛んできた彼女の姿が鮮やかに思い出される。
 麗しき姿で煌びやかな舞台に立っていた香綾しずるが、そのわずか4ヶ月後にはベトナムでゼロからの仕事を始めた。その境遇に飛び込んだ原動力は、一言でいうと「探究心」。
 「海外へ行っていろんな人を知ると、日本の良い部分も悪い部分も分かる。たくさんの経験をして、視野を広げたかったんですね、私。スパイダーマンにはならなかったけど」
 その言葉通り、香綾さんが語ってくれるのは紛れもない実体験だった。頭で考えるよりも、とにかく行動にうつす。人伝の知識に頼らず、なんでも体験する。そこから物事を理解し、自分にできることを実践していく。簡単なようで、なかなか実行できるものではない。
 思えば、宝塚でも香綾さんは常に勢いのある人だった。悩み苦しむ暇などないくらい、いつも何かに挑戦することを本気で楽しんでいたタカラジェンヌ、それが「がおり」だった。

(後篇はこちら

香綾しずる(かりょう・しずる)
山口県周南市出身。元宝塚歌劇団男役スター。
宝塚卒業後は一般社団法人・日本アジア青年交流協会に勤務、現在は常務理事を務めている。
日本アジア青年交流協会HP https://jay.tokyo/

この記事をシェアする

関連するオススメの記事

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

  • 春間豪太郎草原の国キルギスで勇者になった男

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら