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お坊さんらしく、ない。

 彼と私は道場の同期入門で、6年間修行を共にした。眉目秀麗な偉丈夫で、口数は多くないものの、沈着冷静で判断力に富み、修行僧中の修行僧という風情があって、多くの同期から信頼されていた。

 このような人物が、寺の次男に生まれるとどういうことになるかと言うと、寺に「娘しかいない」住職から、「婿養子」の要請が殺到するのである。

 「世襲」が多数を占める伝統教団の場合、住職後継者は「長男」が第一候補になる(最近、「娘」が後継するケースが出始め、私は大変結構なことと考えている)。

 この「長男第一候補」の風潮は、檀家の「常識」としても通用していて、「住職は男でないと」という保守強硬の意見も、未だ根強くあるのだ(ただし、ご多分に漏れず、少子化の波は教団にも容赦なく押し寄せ、後継人材を多様化しない限り、どの教団の将来も暗いだろう)。

 すると、寺の次男三男などと、「娘しかいない」寺との間には、潜在的に「需要と供給の一致」があるわけで、のみならず、往々にして男側の「超売り手市場」になったりする。

 となると、彼のような優秀な「次男」は、入門直後から、その類の「話」が引きも切らないのは、当然の成り行きである。

 私「今、どのくらい話が来てるんだ?」

 彼「うん? 両手両足くらいじゃないかな」

 驚愕!

 因みに、私も当時、行先の無い「フリー」な立場であった。にもかかわらず、「話」は全く無い。私は不思議だった。「片手」とはいかなくても、2、3あってもよさそうなものだ。

 その理由は後日知れた。私の「話」はすべて師匠のところに集まっており、私の性格を熟知していた師匠が、「とても大人しく収まっているわけがない」と、片っ端から断っていたのだ。

 それでも「話」が持ち込まれると、師匠はあろうことか、「アンタ、オレの弟子なんか寺に入れたら、たちまち食われちまうよ」と言って、先方の住職を脅したというのである。これを境に、「話」は完全に消滅したのだ。

 では、彼の方はどうかというと、これが2年経っても3年経っても、一向に「話」が決まらなかった。周囲は皆、あっという間に大きな寺に決まって、早々に道場を出るだろうと思っていたのに、そうならないのだ。

 4年目が過ぎた頃、私は思い切って訊いてみた。

 「ねえ、露骨に訊いて悪いけど、なんで決まらないの? オマエ、寺やムスメを選り好みするようには見えないけど。してるの?」

 「毎度のことだが、よく言うな、そんなこと。してないよ、選り好みなんて。出来る立場でもないし」

 「ムスメとの相性?」

 「いや、むしろ住職との相性」

 「どういうこと?」

 「まあ、正直言うと、『見合い』みたいなことをしてさあ、お互い『イイナ』という感じに何度かなったわけ」

 「そりゃそうだろうな、あれだけの数だもん」

 「ところが、住職が断ってくるんだ」

 「失礼なことでもしたのか?」

 「オマエ、それこそ失礼だぞ! そんなことするわけないだろ。ただ訊かれるままに、正直なことを話したまでだ」

 「それが、どうして断られることになるんだ?」

 「仲に入った人の話だと、住職が『ああいう立派な人は、ウチでは無理』、と言うらしいんだな」

 つまり、彼がごく普通に、仏教について、寺の将来について、自分の考えを語ると、先方の住職が勝手にビビる、というわけである。なんだ、ちょっと展開は違うが、事の本筋はオレと同じか。

 彼とは、最初から仲が良かったわけではない。配属された部署も違い、1年目などは、顔を見ることもまれであった。ところが、4年も経つと、同期の仲間のほとんどが道場を去り、「まだ行先の無い二人」という微妙な立場が、我々を親しく近づけたのだ。

 ただ、「境遇」ばかりが我々の仲を取り持ったわけではない。しばしば極端なことを口走ったり、過激な行動に出る私を、冷静な彼は時々、絶妙なタイミングで諫めてくれたのである。これがありがたかった。

 それも、私の考えを全否定するのではなく、

 「オマエ、それをしたいなら、そのやり方はダメだ」と言い、代案を助言してくれたのである。こういうことが度重なって、私は彼を頼りにするようになったのだ。

 こんなことがあった。

 修行5年目の春、私は道場の生活に慣れ切って、一通りの修行を経験し尽くし、同じように繰り返される毎日に、少々嫌気がさしてきていた。

 ある夜、坐禅を終えて自室に戻る途中、私は彼に、独り言半分で言った。

 「オレ、もう山を下りようかな」

 「ふーん」

 「どう思う?」

 「いいんじゃないの。そうすれば」

 「それなりに二人で5年いたのに、あっさりした言い方だな」

 すると、それまで肩を並べて歩いていた彼が、ふいに立ち止まって、正面から私を見た。

 「直哉、オレたちが1年目の時の○○老師を覚えているだろう」

 「ああ」

 「オレは一度、あの老師のところに独りで教えを請いに行ったことがある」

 「えっ、1年目なのにか」

 老師のところに独りで乗り込むなど、3年経った古参和尚でも容易なことではなかった。

 「そうだ。今だから言うが、オレはここに入門する時、本当に坊さんになる気なんぞ無かったんだ。師匠にとりあえず修行してこいと言われ、何となく来たんだ」

 「ホントなのか?」

 「そうさ。で、ここに入ってみると、やはりそれなりの覚悟で来ているヤツも沢山いるし、考えてみれば、ここに入門したくても、事情があって出来なかった者もいるだろうと思ったんだ」

 「うん」

 「だったら、オレみたいな中途半端な気持ちの者は、ここにいるべきではないんじゃないかと思って、それを老師に相談に行ったのさ」

 私は彼の初めての告白を黙って聞いていた。

 「そしたらな、老師はオレの話を静かに聞いてから、たったひと言、言ったんだ。『君、その質問、3年ここで修行してから、もう一度訊きに来なさい』ってな」

 「でも、あの老師、その翌年に退任したじゃないか」

 「そう。だからオレも、随分無責任な爺さんだと思ったさ。でもな…」

 「でも?」

 「でも、オレは、あの老師の『3年経ってから』という言葉に、引っかかったんだ。何を言いたかったのか、ずっと考えた」

 「なるほどな」

 「そのうち、オレは思いついたんだ。修行するのに、予め決意や覚悟が必要とは限るまい。むしろ、修行しているうちに、決意や覚悟が出てくるかもしれない。老師はそれを言いたかったのではないか」

 私は、それこそ老師を見るように彼を見ていた。

 「なあ、直哉。オレ、そう考えてから、毎年自分が入門した日になると、『じゃ、今年はこれが出来るようになろう』『今年は、これを目標に頑張ろう』と、自分で1年の課題を決めてやってきた。そして、今、ちょっとは自分も坊さんらしくなってきたと、思ってるんだ」

 私は一言も無かった。えらいヤツだなあ、と心底思った。「志」という言葉の正体を見た気がした。

 その翌年、彼は突然道場を出た。そして、大寺院の婿養子になるどころか、良寛さんの五合庵もかくやと思わんばかりの、小さな御堂が一つだけ残っている、後継の成り手が誰もいない寺の住職になった。

 「今度はここで、一からやるさ」

 すると、2年もしないうちに、そう多くない檀家が結束し、周囲に新しい信者が増えて、その寺は御堂を改築し、庫裏(くり)を新築して、たちまち面目を一新した。

 そしていま、彼は、ある道場で若い修行僧を指導する「老師」である。

 

*次回は、7月10日月曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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