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お坊さんらしく、ない。

2023年8月14日 お坊さんらしく、ない。

二十八、命の種――「あなたがそこにいてくれるだけでいい」

著者: 南直哉

 私は、幼い頃から父親が苦手で、本当に打ち解けて話した記憶などほとんど無かったが、時々子供心にも忘れ難いことを言う人で、そういう意味では、今も随分と影響されている気がする。

 私が中学か高校生で、父親は現役の教師だった冬、炬燵の中、二人でテレビを見ていた。

 ちょうどニュースの時間で、やや下ぶくれで眼鏡のアナウンサーが、少年による傷害事件を報じていた。

 内容はよく覚えていないが、かなり理不尽かつ深刻な犯行で、事実報道の後、いわゆる「識者の解説」と「街の人の声」のような、2、3人のインタビュー場面があった。

 その中の一人が、少年が「生まれついての悪人」であるかのような言い方をした。すると、突然、父親が大きくはないが、はっきりした口調で言った。

 「生まれついての悪人なんか、いない。小さい時に大人から大切にされなかった者が、様々な不運が続いて、そう見えるようになっただけだ!」

 別に、私に言い聞かせるような口調ではなかった。むしろ、多少の怒気に押されて、思わず出た言葉に聞こえた。それは何らかの経験に由来する、確信に満ちた言い方だったのである。

 私の知るある老僧は、終戦直後の若かりし頃、自分が住職する寺で、戦災孤児を引き取って育て始めた。

 「東京に用事があって上野駅まで行ったら、いっぱいおるんだ。見ておられなかったな。で、連れて帰った」

 住職は「で、連れて帰った」でよいだろうが、それですまないのは、その妻である。自分の子供も持たぬうちに、夫の出張の度に、寺に子供が増えるのである。

 「家内は怒ってなあ。私は普通の暮らしがしたいんですっ! って泣くんだ」

 「そりゃそうでしょうねえ」

 「だから、わしは言ったんだ。普通がよけりゃ実家に帰れ、おれは仏様の教えに適う道を行くんだ、いっしょに行けることを有難く思えって」

 「何だか、無茶苦茶な…」

 しかし結局、この妻があってこそ、「おれの行く道」は続いたのである。

 「ある時、本当に小さい、3、4歳くらいの子を連れて帰ったことがあった。ずっと怯えていたな。列車で隣に座らせても、小刻みに震えてるんだ」

 「これからどうなるのだろうと、怖かったのでしょうね」

 老僧が連れ帰ると、妻はいつもの段取り通り、まず風呂に入れ、服を着替えさせた。

 「それでも、まだ震えてるんだ。夕飯もほとんど食べないし」

 「よほど他人から酷い目にあったのでしょうか」

 「うん、かもしれない。そうしたら、家内も尋常でない様子を見て、『今日、私、この子と一緒に寝る』、と言うんだな」

 住職の妻は、その日から3日間、彼と添い寝をしたという。

 「あいつは頭のいい子でな。本当は高校にも行かせたかったが、あの頃のわしには金が無かった。とりあえず、子供たちを食べさせるのに精一杯でな。でも、あの子は無事に育って、中学を卒業し、当たり前のような顔をして、就職してくれた」

 「本人には、いろいろ思うところはあったかもしれませんが、全部飲み込んでいたでしょうね」

 成長した彼は、自分で商売を始め、持ち前の真面目さと人当たりの良さで、商いは成功し、温かい家庭も築いた。そして、度々老僧のもとを訪れ、近況を語ったという。

 「ある日、世間話をしていたら、家内の姿が見えなくなったところで、急に言い出すんだ」

 「何をですか」

 「お父さん(住職のこと)、俺はね、お母さん(その妻)が一緒に寝てくれたことを、今でもはっきり覚えてるんだ、俺がしがみついたら、ぎゅっと抱いてくれたんだ、とな」

 私は黙って、ただ聞いていた。

 「お母さんは、『だいじょうぶだからね』と言った、『元気にがんばろうね』と言った、俺は、これを支えに今まで生きてきたようなもんだ、そう言うんだよ」

 思うに、人は自分の生まれてくる理由も、目的も、意味も知らない。しかも、自分の存在は他人に一方的に決められる、いわば「お仕着せ」の自分である(体は他人製、名前=社会的人格は他人の決定)。

 したがって、いくら考えようと、「自分の命の大切さ」だの、「自分の生きる意味」だのを自力で発見できるわけがない。

 理由も目的も意味も知らず、ただ生まれて来ただけの無価値な存在(存在理由・目的・意味を持たない「価値」など、無い)が、「自分の大切さ」を感じることができるとすれば、それは自分以外の誰かに大切にされたからである。

 お仕着せの服を着る気になれるのは、似合うと褒められた時だけだ。「命の尊さ」が理解できるのは、「あなたが、ただそこにいてくれるだけで、私は嬉しい」と断言する者がいて、言われた人がそれを実感できた時だけである。それこそが「命の種」なのだ。

 「親」とは、それを無条件で言う人である。生んだ人ではない。生もうと生むまいと、「あなたがそこにいてくれるだけでいい」と断言し、そう「子」に実感させる者が「親」なのだ。赤の他人も、これが言えれば、「子」の「親」であり、生んでもそれを実感させられなければ、「親」ではない。「命の種」を植えるのが「親」なのである。

 したがって、我々(「子」)は自分の存在に何ら責任は無い。責任は一方的に「親」にある。その自覚と、責任を負う覚悟が無ければ、人は「親」になってはいけない。

 それだけではない、もう一つ。社会、あるいは国家は、メンバーの世代的「再生産」を、「家族」「親」に委託している。この「再生産」が無ければ、社会も国家も成立しないのだから、社会や国家が「家族」「親」に対して、「再生産」に協力し、これを保護するのは、無条件で第一義的な責務である。出生率という打算半分に、「子育て支援」などと、尊大で悠長な言い草で誤魔化すような話ではないのだ。

 「親」が「子」に一方的な責任を負い、その「親子関係」を規定しているのが社会・国家である以上、社会・国家は、「親」同様、「子育て」の完全な当事者である。本来、「子」は「親」と社会・国家から、無条件的に大切にされて当然なのである。と言うよりも、「親子」を大切にするから、国家や社会の未来があるのだ。国家や社会のために「親子」があるのではない。

 あの時、父親は続けていった。

 「たとえ一時でも、大人から大切にされた実感が確かにあれば、ソイツはどんなにグレようと、道を誤ろうと、いずれ真っ当な生き方に戻る」

 私は、この一言で、父親がひとかどの教師だったと、今でも信じているのである。

 

*次回は、9月11日月曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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