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お坊さんらしく、ない。

 コロナ禍前には、自分に面会の希望があれば、時間と場所に妥協を願って、なるべく会うことにしていたが、ここ4年ばかり、休止している。

 すると、恐山や福井の住職寺に、結構な厚さの封書が届き、どうしても相談したいという主旨の手紙が入っていたりする。

 私は、相談事には対面でしか応じないが、そういう人は、「いつでも、どこにでも出向きます」と言う。ここまで言う人の相談事は、それなりに「これは…」というものがあって、結局放置も出来ず、応じざるを得ない仕儀となる。

 この前、ギターを引き取ってほしいという、妙な手紙が来た。若い頃音楽家であった父親が、戦後まもなくヨーロッパで買い取った「名器」だと書いてある。

 その名器の音色に惚れ込んだ父親が、譲渡を渋る所有者に説得を重ねて、ようやく手にしたものなのだが、所有者が渋ったのには、理由があった。

 名器が惜しかったこともそうだろうが、それ以上に彼が逡巡したのは、このギターには、ある言い伝えがあったからである。時の所有者が、これを売るか譲渡するか、あるいは捨てるか、要するに手放すと、その人が死んでしまう、というのだ。

 相談者の父親は、大笑いして「今時そんな迷信を…」と、さらに熱を上げて懇願し、ついに名器を手に入れて帰国した。弾けば素晴らしい音色である。父親は大いに喜んで、もう一度礼を言おうと、前の所有者に電話してみた。すると、彼ではなく、その妻が出た。

「夫は、つい最近、亡くなりました」

 父親は、そのギターを倉庫に仕舞い込み、二度と弾くことはなかったそうである。

 相談者がこの話を父親から聞いたのは、もう何年も経ってからで、偶然、倉庫の古いギターを見つけた時だった。それまで、その存在さえ知らなかったギターである。不思議に思うのは無理もない。

 そこで父親にその由来を尋ねたところ、父親は逡巡の果てに、ついにこの話をしたそうである。

 「いずれ、自分で処分する。お前には残さない」

 と、父親は言い続けていたが、結局何もせず、亡くなってしまった。

 その後ずっと、相談者には、この名器をどうするかが、頭の隅とはいえ、厳然と居座る問題になってしまう。

 「気心の知れた友人にこの話をすると、みんな大笑いして、ただの迷信だと言うんです」

 「そりゃ、そうでしょうねえ」

 「私もそうは思うんです。そう思うんですが…」

 「どうにも気になる」

 「そうなんです。ただの迷信だと本当に思うんなら、すぐに処分できるでしょうが…」

 「そうでしょうね。あるいは、黙って何も教えず、息子さんに任せてしまう」

 「そうなんです。ですが、自分の時のことを考えると、それはできない。息子にも、このことは既に話してあるんです」

 この人は、著名な大企業に長く勤めた人で、今はその企業と関係するIT会社の社長である。「迷信」に縁のあるような人とは思えないのだが、気持ちは落ち着かぬまま、さらに数年が過ぎる。

 ある日、相談者はふいに息子からギターの件を切り出され、ついに覚悟を決めた。とにかくまず、お寺で供養するか、神社でお祓いをした上で、その後引き取ってもらえないかと、あちこちの神社仏閣に少なからず相談したのである。が、その全てから、ほとんどニベも無く断られてしまう。すると、知人の一人が、「恐山なら…」。

 頼られるのは光栄と言わなければならないだろうが、「何でも」引き受けると思われても困る。こちらも「逡巡」したが、困っている気持の切実さ、その根にある深い不安はわかる。私は引き受けた。

 彼は妻を伴い、私が指定した日時に正確に恐山までやって来た。私は、恐山の正規の法要としてではなく、私個人が受けた法要として、ギターを供養する法要を、一人でした。そして、言った。

 「供養はさせていただきました。このギターはお預かりします」

 「本当にありがとうございます。あの、このギターケースはどうしたら…」

 「持ち帰ってください。そして、燃えるゴミに出すなり、粗大ゴミに出すなりして、処分して下さい。いいですか?」

 「わかりました」

 「決して、他のお寺などに引き取ってもらおうとしてはいけません。今日で、ギターの件は終わりなのです。ここで気持ちを切るのです。ケースは『ゴミ』として捨てなさい」

 「はい」

 「そして、この後何が起ころうと、たとえあなたが死のうと、それはもう、ギターとは関係ありません!」

 「はい、必ず捨てます」

 この時、私は「迷信」を否定したかったのでない。そうではなくて、彼が現実に、かつ確実に持つ不安を受けとめて、それを無くせないまでも、少しでも軽くできないかと、そう思ったのである。

 思うに、この種の不安は決して無くならない。突然何か良くないことが起こると、人は必ず「思い当たる」原因や理由を探して、納得しようとする。それがどんなに不合理なことであろうと問題ではない。要は、原因や理由として「思い当たれば」いいのである。

 この原因や理由に対する、敢えて言えば「欲望」は、人間にしか無いのだが、睡眠欲・食欲・性欲など、他の生き物に共通する本能的「欲求」に匹敵するか、これを凌駕する強烈さを持つ。そして、この欲望は、我々の根源的な不安によって刺激され続ける。その不安とは何か。

 それは、自分が何故存在するのかわからない不安、なぜ生まれて来たのかわからない辛さである。我々の生の根底には穴が空いている。決して埋めることのできない空洞がある。

 これを無理やり何かで埋めようとすると、今度はその「埋め草」が、あらゆる物事の理由や原因として持ち出され、語られることになる。

 しかし、事実としては埋まらないので、「埋まっている」と信じ込み続けなければならない。この無理が、いつか人を疲弊させていく。

 私は、この穴を無理に埋めたいとも、それが埋まるとも思わない。私は、その穴は自分にもある、と言いたい。そして、埋まらなくても何とかやっていこう、と言いたい。人間はそういう「仕方のない」存在なのだと、相憐れみたい。

 後日、彼から礼状が来た。

「実を申し上げれば、これで心配がすべて無くなるとは思いません。でも、ギターケースはゴミに出しました。和尚様には、心から感謝しております。ありがとうございました」

 私は、嬉しかった。そして、ありがたいと思った。

 

*次回は、10月9日月曜日配信の予定です。

 

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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