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「答え」なんか、言えません。

2025年2月3日 「答え」なんか、言えません。

五、根拠への「欲望」としてのペット

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。

出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 私の先輩である住職は、世に言う「ペット葬儀」を始めた草分けの一人だろう。50年近く前から行っていたはずである。

 本人がやろうとして始めたわけではない。彼の妻が動物好きで、ある日、自動車に()かれて道に横たわっていた犬の死体を「気の毒に思って」持ち帰ってしまったのである。

 犬には飼い主の手掛かりとなるものが無く、住職は仕方なく、寺の焼却炉で焼いて、骨を寺で保存して飼い主の現れるのを待つことにした。

 妻の「持ち帰り」がその後も繰り返されて、住職は覚悟を決めた。トラックを改造して焼却装置を載せ、空き時間に町内を回って、路傍や野原などに放置されている動物の死体を火葬し、読経で供養し始めたのである。

 これが次第に「あの寺は動物の葬式をしてくれる」という評判に変わり、人口に膾炙して、急にペットの葬儀依頼が次から次へと来るようになったのである。

 「いやあ、あんなに来るとは思わなかったよ」

 最初の頃は、本堂の隅に遺骨を預かったりしていたのだが、あっと言う間に場所が塞がり、檀家からも文句が出て、住職は再び決意する。納骨堂を新築して2階建てにし、上階を人間専用、下階をペット向けにしたのだ。

 この納骨堂も、公開したとたんに、募集もしていないのに、口コミだけですぐに締め切り。

 「建てて驚いたのはさあ、上の人用の納骨堂には、お参りがまばらなのに、下のペット用は、毎日お参りやお供えが絶えないんだ。で、オレんところの犬は、お供えの高級ドッグフードしか食わなくなっちまった」

 それだけではない。寺で行うお盆の法要では、人のお参りはなかなか増えないのに、ペットの供養法要には、警察が交通整理に出動するほどの人が集まると言う。

 思うに、動物全般に対する人間の、そもそもの関係とは、食べるか、使うか、戦うかだろう。「ペット」は、人間に衣食住が十分足りた後でなければ出現しまい。すぐにそう思う「ペット不感症」の自分からすると、実は以前から、現在の「ペット」という存在に疑念がある。

 ある時、頭中にリボンが結ばれ、妙なヒラヒラが付いた服を着せられた犬を抱いている人に、「そんなに可愛いものですか?」と訊いたら、即座に、

 「ええ、とっても! このコは裏切りませんから!!」

 私はこの瞬間に、ペットの何たるかを「悟って」、自分がなぜ「ペット不感症」なのかわかった。

 「自分を裏切らない」とは、「自分の思い通りにできる」ことである。それはつまり、「所有」行為の正味の意味だ。では、「飼い主」は何のために所有するのか。当然、「可愛がる」ためである。

 では、「可愛がる」という行為の意味は何か。なぜ、「可愛がる」のか。それは、自分がある存在に対して行うことに、その対象物が喜んで依存してくる態度に、非常な満足を感じるからだろう。

 だとすれば、「飼い主」の対象動物への「労働」(可愛がる)には、常に対象が喜んで依存してくるという「報酬」がなければならない。それが「裏切らない」ことである。

 つまり、「飼い主」はこの報酬、対象が「喜んで依存してくること」を無意識のうちに欲望しているのであろう。この報酬がなければ、「裏切られた」わけで、「ペット」を所有する意味が無い。

 そうなれば、「手放す」可能性もあるだろう。実際、自分の行うことに対して喜びも依存もしない、つまり「なつかないペット」を長年にわたって「可愛がり」続けることは相当な覚悟がなければ難しいはずだ。大体、「なつかないペット」など語義矛盾である。

 「飼い主」の欲望の核心が、動物が自分に「喜んで依存してくる態度」だとすれば、それを言い換えれば、「ペット」が「飼い主」である自分の存在を深く肯定してくれることである。これが、無常の存在、すなわち存在の根拠を欠いている「自己」に、しばらく「根拠」を仮設する。

 けだし、「ペット」は、人間の最も機微に触れる欲望、自分が存在する「根拠」への欲望を刺激する。だから、深刻な「ペットロス」が生じるのだ。それは、仮設された存在根拠の喪失であり、だからこそ深刻になり得るのだ。

 とすると、人間の全面的な保護無しには生きることのできないような、「可愛がる」需要のために造られたとしか見えない、種々の「愛玩動物」の存在も理解できる。このような動物は「飼い主」への依存度が非常に強く、即ち「飼い主」への「報酬」が高いからである。見た目の可憐さよりも、その無力さこそが、「愛玩動物」の核心的な存在意義なのだ。「可愛い」が成立する最も重要な条件が、「無力さ」なのである。

 こう考えてくると、私が「ペット不感症」である理由がわかる。

 3歳から始まった小児喘息の絶息体験で、「諸行無常」が身に沁み、自分が自分であることの不確かさに当惑していた人間が、失礼ながら「ペット」で自分の存在根拠を仮設するなど、どうしてもリアリティーに欠ける。

 仏教の縁起の教えの核心を、私は「他者との関係から自己を立ち上げる」ことだと考えている。この時、「他者」とは、そのすべてを決して理解できず、ということは、思い通りにならず、つまりは、時に裏切る存在である。それが「自己」を生成する。この逃れられない「他者」こそは、「自己」の運命であり、宿命である。

 この「他者の可愛げのなさ」が、自己の存在の不可欠の条件なのだ。全てを理解でき、思い通りになり、決して裏切らない、つまり「他者性」をすべて剥奪され、「自己」に支配され・所有された、「他者」ならぬ者との関係からは、決して充実した「自己」は立ち上がらない。

 なぜなら、そもそも「自己」は、その誕生の初めから、正体不明の「他者」が食い込んでいるからだ。それとの葛藤こそが、生きていることの原初的なリアルなのである。

 したがって、「他者」の喪失は、自己を脆弱にする。すべての他人の「他者性」を奪おうとする独裁者は、常に「他者」を恐れ、自己であることに安らうことはない。

 いま、「ペット産業」が隆盛を続け、「他者」との付き合いを「コスパ」「タイパ」、つまりは所有を基本とする経済効率で計る社会を、私は正直、いささかの不安を感じて見ているのである。

 

*次回は、3月3日月曜日配信の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

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