八、親の「良かれと思って」は逆効果?
著者: 南直哉
なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。
出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。
時は5月、ゴールデンウィーク。新入社員や新入学生が、新しい環境に少しは馴染んできて、ここで一段落、と思いたいところなのだが、一昔前から言われ続ける「5月病」は今も終息は遠く、毎年連休明けくらいから、若い人の面会希望がある。「もう辞めたい」人々だ。
それも、会社が合わない、仕事にやりがいが持てない、というような話なら、私などに相談するまでもなく、自分で決めて辞めればよいだけである。昨今目に付くのは、会社にも仕事にも特別な、つまり具体的な不満がないのに、「やる気になれない」「何か違う」としきりに訴える若者である。
最初はわけがわからなかったが、例によって親子関係がどうかと訊いてみると、何人かに共通するパターンがあった。第一に、親子関係も夫婦関係も、それなりに良好な「仲の好い」、少なくとも「悪くない」家族なのだ。
しかも、両親は「教育熱心」とは言うものの、それに過熱するほどでもなく、無論「教育虐待」などしていない。
ただ、こういう両親は、子供が「もの心がつく」前に、ある一定の教育環境に乗せる。塾や習い事のたぐいである。当然ながら、子供は自ら望んだわけではなく、親に連れていかれるのである。
別に、特別嫌な思いをしなければ、子供はあてがわれた塾や習い事に通うだろう。すると、それが次第に高度になっていく。その高度になる内容についていけないなら、ある意味話は早いのだが、なまじついて行けた結果、特に、「進路」に関しては、学校や塾や親の配慮と指導と多少の欲で、行くべき名門中学・名門高校・名門大学が何となく決まり、本人はそのすべてに合格して、めでたく今般、一部上場企業に入社、ということに相成る。
実に、問題はここである。当人は、学校も会社も強制されて入ったわけではない。そこが嫌いなわけでもない。ただ、「自分で入った気がしない」「これでいいのかわからない」と言うのだ。
「なんだか場違いに思うんです。自分よりここに入りたい人がいたはずなのに、申し訳ない気がして……」
これは誰が悪いというものではない。当人は無論、親も周囲の大人も、「良かれと思って」したことなのである。ただ、この「良かれと思って」は、得てして「子供」をナメている。どこかに、相手を自分の思った通りにしたいという思惑がある。これが、ゆっくり、少しずつ、子供の心を麻痺させていくのだ。
「良かれと思って」の代表例は、翌年に高校受験を控えた中学3年生がいる檀家の親が、住職の私に必ず言うセリフである。
「この子ったら、来年は受験なのに、本当にちっとも勉強しないんです。方丈さんから言ってやって下さい」
気持ちはわかる。子供の将来のために「良かれと思って」、住職を動員するのだ。しかし、住職の方は、勉強しない本人の気持ちがもっとわかる。私は直ちに言う、
「と、私に言うほどに、あなたはこの年頃に勉強していたんですか?」
これで、9割方の親は「いや、それはあ……」と苦笑いしながら曖昧に黙る。が、中には、「しました!」と断言する親もいる。だから言う、
「では、あなたは親に言われてやる気になりましたか? ならなかったでしょ。勉強するのは、自分がその気になった時だけです。大丈夫、高校に行くべきことは、あなたの息子ならわかっています。わかっているなら、必ず合格するように自分でします! ほうっておけば大丈夫!」
正直に言うと、私は、人が子供に対して「良かれと思って」言うこと・することの、8割方が「余計なお世話」ではないかと思っている。そうではなくて、彼が何かを始めようとするか、始めたら、親はそれを応援すれば十分である。
私が高校受験する年の正月、ほとんど勉強もせずに気楽に炬燵でテレビを見ていたら、新聞を読んでいた父親が、不意に言い出した、
「お前、高校に行くのか?」
「えっ?」
私は思ってもみないことを言われて、聞き間違えたのかと思った。
「いや、行く気なら別にいいんだが、オレの教え子が東京で寿司屋の修行をしていて、今度こっちに帰って来て、店を出すらしいんだ。それで、従業員というか、弟子になるような子が欲しいと言っていてな、お前、どうだ、寿司屋」
父親は実に事務的な相談口調で、とても冗談には聞こえない。幼少の昔、「僕が生まれた時、かわいいと思った?」と訊いたら、「いや、猿みたいだと思った」と即答した父親である。割り引いて聞いているとケガをする。
小学生になった頃、「南君のお父さんは先生だから、勉強教えてもらえていいな」と同級生に言われて、そうかと思い、日曜日に「宿題教えて」と持って行ったら、「休みに仕事はせん!」と、いたいけな子供に言い放った人物である。ここで返答の仕方を間違えると、高校ではなく、寿司店に行くことになりかねない。私は慎重に言葉を選んだ。
「いやあ、お父さん、あのね、たしかに寿司屋もわるくないけど、ここは一応高校まで行って、それから先のことは、改めて考えたほうがいいと思うんだけど……」
まるで、親子の言うことが逆である。普通なら、職人に憧れる息子の「浅慮」を、父親の「常識」がなだめる図になるはずだ。
「そうかあ? オレは寿司が好きだし、いいと思うんだけどなあ」
この日を境に、私が火のつくように勉強しだしたのは、実に言うまでもない。生涯であれほど懸命に勉強したことは無い。落ちたら、15歳で働きに出なくてはいけない。命までは懸かっていなかったものの、自分の将来が懸かっていたのだ。が、今にして思えば、要するに父親は、息子への鞭の当て方がうまかったのである。
この経験を肝に銘じていた私は、大学受験の時には、自分から切り出した。
「あの、誠に恐縮ですが、大学には行きたいんですが……」
「どこに?」
「まだ決めてない」
「学部は? 何を勉強するんだ?」
「文学部」
父親は聞こえるくらいのタメ息を吐いた。
「また金にならない勉強だなあ。ま、お前に金儲けは期待できないけどな……」
さらに続けて、私には思いもよらないことを言った。
「でもまあ、夏休みがあるからな。二か月丸々休めるなんて、人生に二度とないだろう。夏休みがあるなら、行く意味があるかもな」
息子は、夏休みどころか、入学後ほどなく、学校に行かなくなった。申し訳ないことである。だが、そのことを知りながら、父親は私に何も言わなかった。それが結局、後の道を決めたのである。
私が出家すると言い出した時、母親は泣いて反対し(当然である)、父親は不本意だったに違いないが(当たり前である)、母親を止めた。
「大の男が目の前でやると言ってるんだ。柱にでも縛り付けておくつもりか?」
永平寺に入門して数年たった頃、父親は母親に言ったそうである。
「あの時、オレだって出家は賛成ではなかったさ。でも、あいつにサラリーマンがいつまでも務まるはずがないとも思っていた。そこに突然、坊さんになりたいと言ってきたんだ。正直思ったな、ああ、なるほどって。ほおっておけば、ああやって、自分の行く道を見つけて来るヤツなんだなって」
彼は最後まで、私の味方だったのだ。
*次回は、6月2日月曜日更新の予定です。
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南直哉
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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- 南直哉
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禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。
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