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村井さんちの生活

 一年前の私が聞いたら驚くようなことが、今、私の身に起きている。もちろん、病気をしたことも驚きではあったのだけれど、それ以外にも大きな変化が起きた。自分でもにわかに信じがたいのだが、まったくお酒を飲んでいないのだ。こんなことは予想すらできなかっただろう。まさか私が、あれほどガブガブ飲んでいた私が、お酒を飲まなくなるなんてッ!

 そりゃあ村井さん、大きな病気をされたのだから、お酒を飲まないのは当然ですよと言われてしまいそうだが、それはきっと以前の私の飲酒量を知らないからであって、例えば私の夫などは、退院直後の私に向かって、「まさか前のようには飲まないよね?」と念押ししていたぐらいだ。大病したって飲むことだけは辞められないだろうと確信しての、あえての減量のお願いだった。駅前のコンビニで缶チューハイを買っていないかどうかも同時に確認された。どれだけすごい飲み方をしていたのだ、私は。

 実際、主治医からお酒を控えるようには指導されていない。大変な紳士である彼は「たまにはワインを嗜むなんていいんじゃない? フフフ…」と微笑みながら言っていたし、私のリハビリを担当した看護師さんは、「もちろん、しばらくしてからの話ですけれど、飲んでも問題はないですよ。病気をした人、したことがない人にかかわらず、お酒は適量が大事です」と、ビシッと言っていた。だから、自分がお酒を完全に控えなければいけないような状態でないことはわかっている。

 それで実際何が起きているのかというと、自分でも驚きであるのだけれど、お酒を一切飲んでいないのだ。以前の私はというと、まさに鯨飲という言葉がぴったりくるような、派手な飲みっぷりであった。友人知人の殆どは大酒飲みと呼んでも間違いではない程度の酒好きばかりで、わざわざ集めたのかと疑いたくなるほど厳選されたメンバーだ。だからこそ、私のこの変化に、多くの友人が落胆した。「え~、本当に辞めちゃったの? もう一緒に飲めないの? そんな~!」と何度言われたことかわからない。「飲み会、今年はまだできていないのに悲しすぎる…」と随分残念がってくれた。ありがたいことだ。

 以前の私は、お酒を飲まなくなることは人生の楽しみの大半を諦めることだと思っていた。あんなに楽しくて美味しいものを飲めなくなるなんて、仕事をしている意味がないとさえ考えていたし、実際、その助けがなかったらハードな仕事をこなせていなかっただろうとも思う。週末の午後五時になれば急いでワインのコルクを引き抜いていたし、夕食はお酒に合うものばかり作っていたほど、私の人生とお酒は切っても切れないものだった。お酒がなければ一日を平穏に終わらせることができなかったし、唯一の楽しみでもあった。それであればなぜ、飲まなくなったのだろうと冷静に考えてみると、これは確実に「もったいない」という気持ちからきている。

 朝、目覚めた時の気分の良さと、しっかりと睡眠を取った体の安定感にどっぷり浸っているのだ。少しでもそのバランスが崩れるのは、もったいないと思ってしまう。二日酔いは、二度とゴメンだと思ってしまうのだ(いや、そこまで飲まなくてもいいのだけれど、適量で止められるような私ではなかった)。もちろんお酒の楽しさはよく知っているし、適度に飲んでリラックスした時の穏やかな気持ちは、なんとも素晴らしいものだ。素晴らしいのだが、それでも今の私は、お酒ではなく、健康な人であれば普通に得られるであろう安定した体の状態に酔いしれている。

 今の私には一日が以前の倍ほどの長さに感じられている。特に夜が長く、読書をする時間が確保されたのはうれしいことだ。家の中が片付き、物が少なくなった。洗濯物が溜まらなくなった。庭の雑草が伸びなくなった。冷蔵庫が食べ物でぎゅうぎゅう詰めにならなくなった。思考を重ねる時間も増えた。殆ど下らないことだが、少しは真面目なことも考えるようになった。以前よりも原稿を書けるようになってきている。それと同時に、インターネットからは少し距離を置きはじめているのだろうとも思う。より目の前の、より身近な世界に集中しはじめたのかもしれない。自分としては、とても大きな変化だ。これから先、どうなるのかなんて一切わからないけれど、それでも、自分の生き方が徐々に変わっていくのは愉快で楽しいことだ。そして何より、子どもとの関わりが増えたことを喜んでいる。自分にもそんな一面があったのかと驚きだ。

 今でもお酒の席には参加するし、家に遊びに来た友人にお酒を振る舞うことも当然ある。以前は、飲めないのに飲み会に行くなんて、拷問のようなものだと思っていたけれど、実際に行ってみると、拷問どころか普通に楽しめる。友人と語り合い、笑って、今まで通りの付き合いができる。目の前に、以前であれば飛びついたであろうワインや冷えたビールが出てきても、「あら、美味しそう」とは思っても、手は伸びない。友人たちも、そんな私に無理に勧めたりはしない。楽しく、わいわいしゃべりながら、今まで通りの飲み会は続いている。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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