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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 毎年、歳末からお正月にかけては日本中がお餅の国になる。一昨年は三重のお餅を観察したが、昨年の晦日もまた異なるお餅に出会ったのであった。

 「これより陸奥(みちのく)」として白河の関で知られる福島県白河である。江戸時代は東北地方への要衝でもあった白河藩の城下町だけあって、町のつくりは古く和菓子店は多く、それぞれに個性と歴史があって興味深いのだが、詳述はまたにして目的は餅である。旧奥州街道の曲がり角、天神神社へと上がる坂道の入口にある小さな菓子店に、「賃餅承ります」と書いた紙が貼ってあった。賃餅とは見慣れない言葉である。

最近では「賃」という言葉もあまり聞かなくなった。お駄賃などといういいかたもしたものだったが

 サッシを開けて入った店内のガラスケースに並んでいるのはカステラや羊羹といったごく一般的な和菓子で、お餅はない。奥から出てきたご主人におそるおそる聞くと、「うちは予約だけなんです。でも少しでしたらあります、どのくらいお入り用ですか」と問われ、ふだんお餅の単位を気にしていない身としては一瞬戸惑い、一升では多いだろうし、五合かな、でも五合がはたしてどれくらいの量かとっさに想像できずにいると、見せた方が早いですねと奥へ行って実物を持って来てくれた。

 出てきたのは平たい木枠に収まった一升餅と、なまこ形の豆餅と海苔餅である。なまこ餅はできたてとみえて、海苔のよい香りがぷんぷんする。なまこ餅はねこ餅ともいって、かまぼこ形で、切ると半月形になるお餅である。主役の白餅と違って、豆や青海苔、えびなどが入ったものが多く、餅文化にひたって育っていない私にとってもおやつ気分で食べる親しいお餅である。青海苔の香りに喜んでいると、香りのいいのは青海苔餅ですが、なんといってもおいしいのは豆餅ですよとご主人はいう。

家庭でお餅を作っていた頃は一升餅もだいたいの大きさだったが、注文の品は枠にはめて作っているそうだ

 特徴的なのは豆に青豆と黒豆がある点で、市内の他の和菓子店でも白餅の他に豆餅を置いていて、断面の豆は青豆であった。近隣で採れる豆で、青肌(あおばた)豆と呼ぶそうだ。お正月の豆といえば黒豆、お餅に入れるのも黒豆と思い込んでいたが、白河では青豆が主流である。今や全国区になったずんだ餅に代表されるように、東北を旅していると豆といえば青豆で、料理に使われるのは断然青豆が多い。もうひとついえば、豆と同じく多用されるのはごまである。ここのなまこ餅にもごま入りがあった。他にもごまだれをお餅にかけたり中に入れたり、お餅にごまを利用する文化は私の知るかぎり、東北地方に多いように思われる。えごまもよく使うようだ。

 お餅が出てきたところで、表の貼り紙「賃餅」について聞くと、「昔は餅は家庭で作るものだったので、職人がその家に出向いて、餅を搗いて作る作業をして代金をもらうことを賃餅といったんです」と教えてくれる。貼り紙があるからには、今もやっているのかと驚いたら、実際に行なっていたのは昭和の初めまでで、今では言葉だけが残って、賃餅というとお餅の予約を承ります、という意味になっているという。

 「私の先々代くらいまでは、賃餅に行って、餅を作るだけでなく、うどんを打ったり、料理を拵えたりして、他のこともしたといっていました」。仕事を終えた後は依頼主の家で一緒に食事をして帰ってきたそうだ。忙しい暮れのお手伝いみたいなもので、台所仕事をあれこれ手伝って手間賃をもらって帰ってきたのだろう。「昔はそうした仕事を請け負う流しの菓子職人もいて、組合から差配されて行ったりしていました。店を構えてしまうと逆に賃餅には行きにくくなりますしね。忙しい時期にはこの店にも職人が訪ねてきたりしていましたよ」。

 今でも自家製の餅米を持ち込んでお餅にしてもらう人もいて、お店ではそういう依頼も受け付けている。賃餅の価格表には持ち込み米の加工用と予約注文用の二種類がちゃんとある。持ち込み米の加工は昔出張して作った賃餅と、予約を受けて作るようになった注文餅の中間くらいのニュアンスなのだろう。

お米のつぶつぶが口当たりのよいうるち餅。多くの地方でこれは一般的なお餅なのだろうか

 今回は青海苔と青肌豆のなまこ餅を五合ずつもらった。年明けに焼いて食べてみると、青豆のさっぱり控えめなおいしさはさることながら、お餅はなんとお米の混ざったうるち餅であった。三重でいうところのやじろ、またはこまかである。ご主人はこの点についてなにも言っていなかったが、改めて価格表の写真を確かめると、お餅の種類はお供餅とうるち餅の項目に大別されていた(そこから加工用と注文用を受け付けるのである)。つまり神様へのお供えや神事に関わるお餅は餅米だけで作り、民々が食すお餅はうるち米を混ぜたもの、という長きにわたる慣習があったのだろう。もちろんお供餅も最終的には下げてきて人がいただくのだし、今では餅米だけのお餅もふつうに食べているだろうから、賃餅と同じく名称だけのことなのだが、そこに白河の人々の古い暮らしや信仰心をみる思いがする。

 お餅とはかように地方地域によってこまかに異なっていて、行って食べてみないとわからない。いやこまめに食べても到底追いつかない存在なのであった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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