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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 年の初め、小正月と呼ばれる一月の十五日前後は各地で初市が立つ日である。その日私は長野県の松本で毎年行なわれるあめ市に行き初飴を買い、夕方になってそろそろ帰ろうかと車で走っていたのであった。
 前方の歩道を男の子と父親の親子連れが歩いていて、彼らの手には細くて長い木の枝が握られている。歩道を歩く彼らと一瞬ですれ違った後、あれはまゆ玉ではないだろうかと気づき、慌ててUターンして姿を追ったが、見失ってしまった。

 まゆ玉とはお正月の餅飾りのことで、地方によっては餅花とかだんごさしと呼ぶ。いずれも細い木の枝に紅白の小餅や、最中でできた米俵や鯛、小槌などを飾りつけた縁起物で、お正月の家々を明るくにぎやかに彩るものだ。お餅をつける木もミズキだったりヤナギだったりするが、水分が多く、細くとも強い木が選ばれている。私の育った関西の阪神間では餅飾りの風習はなく、歳末大売り出しの時期に商店街にぶら下がったプラスチックの紅白の玉飾りくらいしか見たことがなかったが、大人になって、新潟や秋田や福島、あるいは香川などを訪れて、初めて生木の枝にお餅をつけたものが飾ってあるのを見て、その華やぎがとてもうらやましく思えた。ここ松本でも餅飾りの風習が残っているのだ。松本ではまゆ玉というが、おそらくこの地で養蚕が盛んだった頃からの呼び名だろう。

 これまでに何度も冬の松本を訪れていたが、その存在にこの冬初めて気づいたのである。市内のスーパーへ行くと、入口に「三九郎」と書かれた幟が立っていて、なんだろうと見ると、ヤナギの枝がバケツにどっさり生けてあって、その横に白、黄、紅、緑と淡い色の小餅が入った「まゆ玉」の袋が山積みになっている。自分で作る人用に餅粉も置いている。それらを見て初めて、ははあ、これは枝につける餅飾りの材料だなと思い当たった。松本のそれは上新粉で作るしんこ餅で、アルプスに囲まれた米どころ松本平らしいお餅である。あめ市の飴も、米に麦芽を加え糖化させて作る米飴で、冬寒く空気が乾燥して湿気の少ない土地ならではの地元菓子なのだ。

市内のスーパーではまゆ玉や餅粉の他にマシュマロも置いてあった

 そのまゆ玉を焼くのが、三九郎である。三九郎とは正月飾りを焼くどんど焼きのことで、松本では現在あめ市と同じ日に行なわれており、市内の中心部を流れる女鳥羽(めとば)川の川原にも、やぐらを組んで注連(しめ)飾りや門松やだるまなどを積み上げて支度をしてあるのが橋の上から見える。見ているうちに人がやってきて、紙袋からだるまを取り出して置いていったりもする。どんど焼きを三九郎と呼ぶ由来は、松本城の初代城主の息子の幼名だとか、この地に多い道祖神にまつわるものだとか、農家の三つの苦労(凶作、重税、病)を表わすなどといわれるそうだが、定説はない。ただ松本周辺でしか聞かない風変わりな呼び名である。

女鳥羽川沿いの三九郎。お役御免のだるまたちがあたりを睥睨している

 地区ごとに作られる三九郎のやぐらはツリー形で、おおむね共通しているが、特徴的なのはだるまで、各家庭でお役目を果たした大きなだるまの数がことのほか多い。やぐらを組んだてっぺんの棒先に堂々とだるまを刺した形が多いが、だるまに縄を通して数珠玉のようにぶら下げたものもあり、それぞれに趣向が凝らしてある。あめ市では子どもたちの手で初だるまも売られるので、どこの家にもひとつはだるまが置かれているのだろう。

 私がすれ違った親子連れは女鳥羽川ではなく、地区の広場に向かっているようであった。あたりを探すと、道路から少し上がった高台の広場で三九郎が組まれているのが見えた。やぐらのてっぺんに赤いだるまが突き刺さっているのが見えたのである。

 階段を上がって広場に出ると、すでに住民の人たちがぱらぱらと集まっていた。皆着ぶくれをして、手に手にまゆ玉のついた枝を持っている。三九郎は三体作られている。いちばん小さいものが呼び三九郎といって、最初に火をつけて人を呼ぶ意味があるそうだ。もうすぐ点火されるようで、大人たちは知り合い同士挨拶をしたり、子どもたちは広場を走り回ったりして待っている。もう夕方五時で、日が落ちて、あたりはだんだんに暗くなってきた。広場の木々が夕明かりに黒くシルエットになって立っている。地域のまとめ役とおぼしきおじさんが号令をかけ、子どもたちの手によって点火されると、あっという間に火の手が上がり、もうもうと煙が上がり始めた。火の勢いは強く、ぼうぼうと燃えさかって危ないほどである。今年の三九郎は大きいですからとおじさんが言っている。人々は皆、手にまゆ玉をもったまま、火が収まるのをじっと待っている。やぐらが音を立てて崩れ、赤いだるまがいくつもころころと転がっていき、大人たちがそれをまた火に投げ込む。

燃えさかる大三九郎、小三九郎、呼び三九郎。点火役は昔から子どもだという

 やがて火が小さくなり、遠巻きにしていた人々の輪が縮まって火の回りに集まり、持ってきた枝をかざし始めた。子どもたちは大人と一緒に、神妙な面もちで火にまゆ玉をかざしている。熱いのか、背中を向けて腕だけ伸ばしてかざすおじいさんもいる。三九郎で焼いた餅を食べると体が丈夫になるといわれ、無病息災を願って食べるそうだ。ぱちぱちと音を立てる火に自分のまゆ玉をかざし、お餅が焼けるのを待ちながら、皆、火を見つめている。最初は火を怖がっていた犬も、暖かいのか、主人の足もとでおとなしく座っている。

 その静かな光景を少し離れたところから見ていて、人々のようすや行なう場所や日付といった細部は移り変わったとしても、こうして年明けのしんしんとした冷え込みのなか、地域の人々が集まって三九郎を作りまゆ玉を焼く情景は、何百年もの間、毎年この地で、同じようにして繰り返されてきたのだろうと思った。

よくしなるヤナギの細枝に小餅をつけることで稲穂を模したともいわれる

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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