ひな祭りもまた、端午の節句と並ぶ桃の節句として、季節になるとさまざまな祝い菓子が作られる。はぜたお米に色づけした砂糖をかけたひなあられがもっとも一般的だが、地方によっては、その土地でしかお目にかかれないお菓子が登場する。
島根県の松江は茶の湯を好んだ松平不昧公のお膝元として、今も老舗和菓子店が軒を連ねる城下町だが、ここでのひな菓子には花もちがある。餅粉と上新粉(米粉)を混ぜただんご粉(地元ではちまき粉とも)で生地を作り、中にこしあんを入れ、別に色づけした生地をつけ、椿の葉を敷いて蒸したお餅で、以前は時期になるとどこの家庭でも作っていたが、祖父母を含む大家族での生活様式が減ったことで、現在は菓子店が作るようになった。松江のひな祭りは月遅れの四月三日で、花もちは二月下旬から店頭にお目見えする。
特徴は愛らしいその形と色で、ふくふくとふくらんだお餅の上部が赤、黄、緑の三色で色づけされており、よく見ると梅や桃や菊、鶴や亀、巾着や扇など、いずれも縁起のいい形をしている。これらは手で形づくるのではなく、素焼きでできた専用の型があるという。
今でも型を製造販売している市内のきむら陶器店で聞くと、昔はどこの家庭にもあった型だが、家庭で花もちが作られなくなったことで、昭和の終わりにかけて徐々に失われてきてしまったそうだ。それでも孫に作ってやりたいというおばあさんや、昔を懐かしんで型を求めて店を訪れる人がいて、松江の伝統が途絶えないようにと型を販売し続けたご主人の遺志を継いで、今も扱っているという。「昔は玉造の窯元でお願いしていて、おじいさんが夜、こたつに入って、ひとつひとつ手作りしてたもんだけど、今では作る人もいなくなったので」、三重の製造業者に依頼して作っているそうだ。昔の型は小ぶりだったが、子どもたちにも扱いやすいように、ひと回り大きく作っている。
型の柄には特に決まりはなく、縁起のよいものが選ばれる。昔からあったのは亀、桃、菊などで、今は鯛や筍、富士山なども作っている。昔の型には蝶々や兎、葡萄などもあった。
「以前は花もちではなく、いが餅、えが餅と呼んでいました。一晩つけて黄色く色づけしたお米をお餅の中央につけた姿が栗のいがに似ていたことからと思います」。いが餅に関しては、これまでに実際に見たところでは山形、石川、富山、長崎、愛知、三重などに存在しており、いが餅ともけいらんとも呼ぶ。ひな菓子として作られることが多く、こうして山陰の島根にも分布しているところをみると、江戸から明治期にかけて日本海側の港町の交易を担った北前船の経路とも関係があるのではないだろうか。松江のいが餅も当初はお米自体に色をつけてお餅にのせていたが、次第に簡略化され、食紅で色をつけるようになったのではないかと推察される。同じように色づけされたひな餅は佐渡にも存在する。
もうひとつ訪ねた、松江の窯元袖師窯でも花もちの型を作っていた。こちらは昔のままの小さい素焼きの型で、鶴、亀、桃、扇、桐、提灯、おかめなど、いずれもおめでたい柄が揃っている。家にあった古い型を持ってきてくれる人もいて、それを見本に復刻しているものもあるという。同じ梅や亀でも微妙に違う模様なのがおもしろく、木でできた打ち菓子の型を思い起こさせる。お餅は水分が多いため、木型ではなく素焼きの型を作って応用したのではないだろうか。
地元の南目製粉では「白玉だんごの粉」「まきの粉」「青豆粉」などを作っているが、この時期になると三色の食紅入りの「花もちの粉」を作っており、老舗和菓子店ではイベントで花もちの作り方を教えている。少し前の昔とは人々の暮らし方も季節の風習も大きく変わってきてしまったが、地域に根ざした伝統のあるものを残したいという気持ちは、松江の人々のなかで変わっていない。
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若菜晃子
1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 若菜晃子
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1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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