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考える四季

 数年前から「かわいい」に関する議論が盛んになっているけれども、アニメやキャラクターものに関心のないふつうのおっさんである私はとりたてて注意を払っていなかった。
 そんな私に変化が訪れたのは、中世ヨーロッパのロマネスク彫刻の写真を見たときのこと。教会の柱や門扉の上部に、奇妙な怪物やユーモラスな表情をした神や天使が彫られているのを見て、とっさに「かわいい!」と反応してしまったのである。それらは、まるで子供の絵のように大雑把で大胆でゆるかった。
 私はすかさず書店に走り、ロマネスク関連の本を何冊も買い求めた。わくわくして、浮き足立っていた。
 ひょっとしてこれは「萌え」というやつではないか。
 おお、おっさんの私にも「萌え」がやってきた。
 その後ロマネスク美術の研究家である金沢百枝さんにお会いする機会があり、そのとき彼女がふと漏らした言葉に強い共感を覚えた。それは「世の中でかわいいと言われているものの多くは、そんなにかわいくない」という意味の言葉だった。
 たしかに、一般にかわいいと言われているもの、たとえばその代表格とされるキティちゃんにしても、アニメに出てくる幾多のキャラクター、さらにはゆるキャラに至るまで、私にはその中にどれひとつとしてかわいいと思えるものがなかった。まさに金沢さんの言うとおりだ。
 一方で、何をかわいいと思うかはあくまで主観だから、人それぞれかわいいと思うものが違っていても問題ないとは思っていた。
 それで話はいったん終わって、しばらくはただ独自にロマネスク美術をかわいく思っていたのだけれど、昨年の芸術新潮4月号で、金沢さんが美術史家の矢島新さんと対談された記事を読んで、またしても同じ疑念がむくむくと頭をもたげてきた。
 矢島さんの著作『日本の素朴絵』は私には衝撃的な本で、それは日本美術のなかに存在する、これまで下手だとか不完全ということで相手にされていなかった素朴な絵画や彫刻をとりあげ、その魅力を再評価しようという試みだった。その後さらにそれを推し進めた『かわいい仏像 たのしい地獄絵』でも、共著者である須藤弘敏さんの紹介する東北の仏像たちのかわいさに私はすっかり魅了されていた。
 その矢島さんが金沢さんとの対談のなかで、日本の不完全な美術を成熟前の未熟というより成熟の先のわびさびと考えたい、と語っておられたのである。私は膝を打った。
 真に「かわいい」ものと一般に「かわいい」と言われている大半のものの間には歴然とした格の差がある、そう言っておられるように受けとれたのだ。
 思えば『日本の素朴絵』で衝撃を受ける以前から、私も日本の石仏のなかに妙にかわいいものがあることに気づいていた。石仏が好きというと家族に老化したとつっこまれるので、あまり力説しないよう息を潜めていたが、そこには普遍的な「かわいい」があると感じていた。
 海外でも、ふとしたはずみで「普遍的なかわいい」を発見することがある。ベトナムの博物館で見たゾウの石の彫刻は今でも記憶に残っているし、ミャンマーのマーケットでお土産に買った小さな仏像は、あまりにかわいくて気に入っていたのに、引越しで無くしてしまってとても残念に思っている。
 ところが、2011年の芸術新潮9月号『ニッポンの「かわいい」』特集を取り寄せてみると、かの矢島さんがゼミの学生にかわいい日本美術を紹介し、そのなかで彼らがかわいいと思うものを投票させてランキングにしておられた。結局そうはいっても「かわいい」は主観の総体として統計的に評価するしかないということだろうか。若い人にだけ聞いておられる点も気になった。
 「かわいい」を云々するのは若者の特権なのだろうか。中年のおっさんがこれよりこっちのほうがかわいいと真顔で語るのは、出すぎたまねなのだろうか。
 矢島さんの言うとおり、下手だったり不完全な作品も成熟の先のわびさびと考えることができるのならば、大人の目線で「かわいい」を語っても問題ないどころかむしろ大人だからこそ語れることのように思える。
 私はやはり、いい絵とそれほどでもない絵が区別できるように、「かわいい」にも「普遍的なかわいい」とそうでない「かわいい」があると思う。ゆるキャラの「かわいい」は普遍的でないほうなのだ。
 鑑定士がルーペで調べて「このかわいいはニセモノです200円」みたいな話になってしまうとそれはそれで寂しさも感じるけれど、どのジャンルでも本物だけが持つあの手堅い感触、旨み成分のようなものが「かわいい」のなかにも厳然と存在するはず。その成分の正体はいったい何だろうか。
 ロマネスク彫刻の写真を見たばっかりに、最近はそんなことで悩んでいるのであった。

(「考える人」2016年春号掲載)

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

宮田珠己
宮田珠己

みやたたまき 1964年兵庫県生まれ。『旅の理不尽 アジア悶絶篇』『わたしの旅に何をする。』『ジェットコースターにもほどがある』『なみのひとなみのいとなみ』『だいたい四国八十八ヶ所』『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』『日本ザンテイ世界遺産に行ってみた。』など著書多数。

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