Webマガジン「考える人」

シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

安田菜津紀の写真日記

ふと塀の上を見上げると、大柄な猫が何やら話しかけてきた。

 幼い頃、母は絵本の読み聞かせにこだわる人だった。人を無為に傷つける人間とならないよう、内面を豊かにするには絵本が必要だと思い立ったらしい。その数は月に300冊、1日に10冊近くもの絵本を読んでくれた。
 母の絵本かばんには、いくつもの図書館のカードが束になってぶら下がっていた。ある図書館で絵本を読みつくしてしまうと、また次へ、また次へと巡っていく。自転車で行ける範囲の図書館を一巡した頃、最初に通っていた図書館に新しい絵本が入っているのでまた探しに行く、ということの繰り返しだった。
 ある時、母がいつもより真剣な面持ちで、1冊の絵本を手に取った。いまだ読み継がれている、佐野洋子さんの「100万回生きたねこ」だった。自ら誰を愛することもなく、ただ生き死にを繰り返していた1匹の猫が、最愛の相手を見つける。けれども2匹はやがて、別れのときを迎える。それは死によってもたらされる、決して抗うことのできない離別だった。
 私は珍しく母に食ってかかった。「なんでこんな悲しい絵本借りてきたの?」と泣いて怒ったのをよく覚えている。それにも関わらず、母は何度も繰り返し、この本を借りては読み聞かせた。
 今なら、分かる。母が私に何と向き合ってほしかったか。誰かと会えなくなる悲しみの深さは、愛の深さである。死と向き合うからこそ、生が輝く。この絵本と向き合えたからこそ、私はその後の父や兄の死を少しずつでも、受け入れられているのだろう。
 月に300冊の読み聞かせの中には、他にも私にとって宝物となっている絵本との出会いが溢れている。その中でも最も深く刻まれた物語は、時を経るごとに、むしろ心の中で輝きを増している。

南阿蘇村の水源。命を包み込む場所の一つ。
君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

安田菜津紀

2016/04/22発売

シリアからの残酷な映像ばかりが注目される中、その陰に隠れて見過ごされている難民たちの日常を現地取材。彼らのささやかな声に耳を澄まし、「置き去りにされた悲しみ」に寄り添いながら、その苦悩と希望を撮り、綴って伝える渾身のルポ。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

安田菜津紀

1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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