子どもたちの卒業式が間近に迫り、慌ただしい日々を送っている。日常生活の大きな変化に、子どもの人生の潮目に、またもや心がついていかない。様々な準備作業に対応する体力はあっても、式典嫌い(そんなものがあるのか)の私にとって、卒業式も入学式も、気持ちが沈んで仕方が無い。ついでに着る服もない。喜ばしいことなのにと叱られてしまいそうだが、それでもやっぱり逃げ出したい。なんというややこしい人間なのだろうと自分でも嫌になってくるが、大丈夫、わかっている。息子たちが中学生になるという事実から逃げてばかりはいられない。心を入れ替えねばならない。こんな気持ちを抱くきっかけとなったのは、知人の子どもたちの受験である。ついこの間まで息子と同じ小学校に通っていたはずの年長の子どもたちが、気づいたら高校受験に全力投球していたのだ。

 友人たちと雑談中に、「実はうちの子、来年受験で」という言葉を聞くようになったのは、昨年の夏頃だったか。「えっ! もう受験!?」と、その都度驚くのだが、言われてみればそんな時期である。でも、この前中学生になったところじゃん! と、時の流れの早さに驚かずにはいられない。「あっという間だよ…」と寂しそうに言う友を見ながら、あれから三年かと、自分の年齢を思いだし納得する私。来たる決戦の日を憂う友と、過ぎていった日々の無情さに唖然とする私とでポイントは若干ズレつつ、私たち母親の心情は、この時期、とても複雑である。

 「大変だね」と、思わず口に出る。ため息交じりにそう言いながら、私にもその時はやってくると内心穏やかではない。「入学したら受験まで一瞬だよ」と、ニヤリと笑いながら忠告する母たちに、そりゃあそうでしょうね、思春期を迎えた子どもとの三年なんて、本当にあっという間でしょうよと答えて、アイスコーヒーに浮かんだ氷をじっと見つめ、ストローで勢いよくかき回して不安をごまかしたりする。

「受験」。なんと怖ろしい言葉だろう。息子たちとこれからどれほど衝突しなければならないのだろうと不安になる。これからどれだけ言葉を尽くして、子どもを鼓舞せねばならないのか。テスト前なのにゲームばかりの息子の姿が今から想像できすぎて辛い。「テスト勉強してる?」「うるせえ!」というバトルが果たしてわが家でも起きるのか? …あああっ! 想像しただけで疲れてくる。体力勝負だった育児は卒業と喜んだのもつかの間、今度は受験生との消耗戦が待ち構えているようである。一刻も早く菩薩の穏やかさ、寛大さを会得せねばならない。本当に人生は試練ばかりだ。

 ちょうど一ヶ月ほど前のこと、とあるお母さんから深刻なトーンのメールが届いた。「村井さん、どうしてもお願いがあるのです」という文面に度肝を抜かれた。マズイ、何かやっちまったようだと焦って「どどど、どうしました? うちの息子が何か悪さでも? それとも私…?」と返信すると、「いえいえ、違うんです! ちょっと助けて欲しいことがあるので、あとで伺います」とすぐに返事が来た。

 仕事を終え、わが家にやってきてくれた彼女の話を聞くと、娘さんが大学受験で英語を猛勉強中だということ。もし時間があったら見てやってくれないかという相談だった。もちろん、私でよかったらと二つ返事で受けたが、相手は大学受験生だ。そう簡単なわけがないではないか。県内屈指の進学校に通う娘さんから届けられた参考書のコピーを確認すると、なるほど、やはり難解な問題ばかりで、これは頑張らねばならないとなぜか私にスイッチが入った。この日から、私と娘さんの間でメールのやりとりが一ヶ月ほど続いた。参考書の記述で疑問に思った点を彼女が私に投げかけ、そして私がそれに回答するというスタイルだった。

 昨日、娘さんが一人でわが家を訪ねてきた。ピンク色の傘を差して、カラフルなシャツを着た姿がインタフォンのモニタに映っていた。その明るい表情で合格を確信した。急いで玄関まで走って行ってドアを開けると、お土産を持った彼女が、「受かりました!」と、にこにこ笑って大きな声で言った。受験前はひとつにまとめていた髪を下ろして、表情がすっかり大人びていた。「物件も決めてきました!」とうれしそうに言う彼女に、努力が実って本当によかったねと声をかけるので精一杯だ。あと一ヶ月ほどでこの子は一人暮らしをはじめるのだ、とうとう独り立ちするのだと思うと、涙の防波堤は瞬く間に決壊の危機であった。

 希望を抱いた十八歳が、うれしそうに笑う姿は眩しいものだ。このすばらしい新大学一年生に幸多かれと願うばかりだ。そして、ここまで立派に彼女を育てたご両親に、心からお疲れ様と伝えたい。わが家の息子たちも、瞬く間に成長し、受験を経験し、そして巣立っていくのだろう。人様の子でもこんなに心が揺れるのだから、息子の時は一体どうなるというのか。願わくは、大騒ぎせずに済ませたい。今はただ、男児二人をこれからも育てていくオラに力をわけてくれ! と祈るばかりだ。そして、これを読んで下さっているかもしれない受験生を持つ親御さんたちにも、力いっぱいのエールを。