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ロビンソン酒場漂流記

2023年1月24日 ロビンソン酒場漂流記

第8夜 ロマンとともに30年

相模鉄道さがみ野駅 徒歩25分 「津和野」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 つぎのロビンソン酒場は座間にある。神奈川県座間市である。

 編集者のMさんから座間がどんなところかと聞かれて、思わず、

 「米軍基地と日産の工場があるところ」

 とこたえてしまったが、日産の工場は90年代に閉鎖になっていた。

 横浜の小学校に通っていた頃、社会科見学で、いつもなら日産の座間工場へ行くところ、増設工事かなにかで、私の学年だけ横須賀の追浜(おっぱま)工場へ行くことになった。当時、小学生の私にとって、座間工場で製造されていたのは、シルビア以外はサニーとか地味な車種ばかりという印象だった。比べて追浜工場ではその頃好きだったドラマ『西部警察』で渡哲也演じる大門刑事が乗ったままカービン銃をぶっ放す車、フェアレディZを製造していた。私は大門軍団ファンなうえにZファンだったので、行き先が座間でなく追浜になってよかったね、と級友と話して大いに盛り上がった記憶がある。その友達は、自由帳に竹ヤリと呼ばれる大きなマフラーをつけた、いわゆる暴走族の好きな改造車を描くような筋金入りのイカツイ小学生だったが、ひ弱系の私とは妙にウマがあった。彼に頼まれてスカイラインのいわゆるケンメリを描いてあげたりした。彼が今どこで何をしているかまったく知らない。そして、座間工場は閉鎖されて小さな事業所になった。いっぽうで米軍のキャンプ座間は今もどーんと大きなまま変わらずそこにある。ため息が出る。

 行き先のロビンソン酒場の最寄駅は相模鉄道、相鉄線のさがみ野駅である。最寄駅といっても店まで1.6キロある。徒歩20分以上はかかる。

 「さがみ野ってどこですか」

 「座間です」

 「座間のどこらへんですか」

 「たぶん座間の端っこのほうです」

 出発前に、そこそこ不毛な会話をMさんとかわしたのだが、実はさがみ野駅は座間市ではなく隣の海老名市にある。駅の周囲は海老名市だが、南側は綾瀬市、東側は大和市で北側に座間市がある。どこも徒歩圏で、それは神奈川県のフォーコーナーズみたいなところなのであった。フォーコーナーズとはアメリカで唯一4つの州境がかさなっているところだ。そういうわけで、今回のロビンソン旅は海老名と座間という二つの市を跨ぐというこれまでにない壮大なスケールになった。

 私たちは問題のさがみ野駅で待ち合わせた。私の在所も神奈川県にあってしかも直線距離なら10キロちょっとしか離れていないのだが、さがみ野駅には簡単には行けない。3回乗り換えてようやくたどり着ける。

   遠いところへ行くときは、だいたい大きなターミナル駅などで乗り換えるし、綿密な計画をたてるので焦らない。問題は、今回のような近くの知らない路線を何度も乗り換えるパターンである。首都圏だから乗降客も多くてぼやぼやしていられない。

 かつて『Dr.スランプ』のコミックスの扉に鳥山明さんが、東京の自宅の近くで迷子になったときは名古屋弁で道を聞いて余所者のフリをした、というようなことを書いていた気がする(まったく余談だけれど、私は鳥山明さんについては『Dr.スランプ』原理主義である。こういう話をしながら呑むのは楽しい、これも余談)。しかし、私は根無し草的人生を過ごしてきたものの、大雑把にいえば相当な度合いで神奈川県民である。当然「じゃん」とか「だべ」とかいかにも神奈川的な方言をナチュラルに使うことができるネイティブである。だから言葉遣いで余所者感も醸し出しづらく、このあたりで道を聞いたら地元のくせにという雰囲気になりそうでちょっと躊躇(ためら)われる。

 ともあれ、こういう、迷わなくて当然という雰囲気の、近くて遠い場所ほど緊張を強いられるものだ。しかもその日の待ち合わせは夕方4時だった。私は店の口開けに臨むのが大好きで、いつも待ち合わせ時間は早い。これについて編集者のMさんは

 「口開け原理主義」

 と呼んでいるが、私は暖簾を下ろす間際に来る人も、予約してくる余裕綽々層も好きである。したがって原理主義ではなく言うなれば口開け新感覚派なのである。

 ただ問題が一つあって、この時間帯移動は学生の下校時間とかさなりがちだ。ホームにひしめきあう学生達、殊に女性の学生にとって、おじさんは、そこにいるだけでハラスメントなので非常に緊張する。ゆえにこの日もなるべく学生さんが少ない車両を目指して乗り込んだ。ガッツ俺、と思い、頭のなかでは大好きな俳優のヘレン・ミレンが敏腕警察官を演じる『第一容疑者』というドラマでしばしば見せるガッツポーズを思い浮かべたら、元気がでた。ありがとうヘレン。

 意外なことに乗り換えには全然迷うことなく成功した。そういうこともある。

 さがみ野駅の改札を出ると『あぶない刑事』を相当マイルドにしたような感じの人が立っていて、やはりそれはこの連載ではおなじみのサングラスの編集者ことMさんだった。冬の日の入りは早い。すでに外は真っ暗だが、Mさんのサングラスは容赦ない真っ黒なレンズ。しかもMさんは私を見つけた瞬間、手をふったりせず、逆に手をポケットにいれて『右曲がりのダンディー』の映画ポスターの玉置浩二みたいなポーズをとってみせた。バブル世代と一緒くたにされがちだが、その実それを享受できなかった私たち世代の、バブルへの憧憬と悲しみを、私たちはMさんのコスプレとエチュードを通じて昇華している。

 さがみ野駅の改札脇にはいまどき珍しくたくさんのタバコを売っている売店があった。売店というより、それはいわゆるタバコ屋で、ついでにスポーツ新聞なども売っている、というスタイルの店であった。私は吸わないので今のタバコ事情がよくわからないのだが、ピースだけでも何種類もあるのに驚いた。昔は子どもがおつかいでタバコを買いにいかされたりしたが、こんなにもたくさんのピースナントカがあったらきっと間違えて買ってしまった挙句の悲しい親子のやりとりがそこここでおこっていただろう。と、思ったら、タバコ屋の人もMさんが注文したナントカピースの場所がわからなくてしばらく探していた。

 さがみ野駅の北口を出ると、小さなロータリーがあってまっすぐ北へ向かうと5叉路とも6叉路とも呼べそうな人間の脳のなかの血管みたいな複雑な交差点がある。その一角の三角地帯に、見たところ五坪くらいの仕舞た屋風の店がたっていて、なかに人の顔が並んでいて酒を呑んでいる。歩道からガラス一枚隔てたところにかなりの密度で酔眼が並ぶ光景は、この町が呑兵衛に優しいことを物語っていた。見入っていたら、なかから店員さんが顔を出して、

 「二階でも飲めますよ」

 と、声をかけてくれた。私たちがあまりに興味津々の面持ちで店を覗き込んでいたのを、満席の一階に戸惑って中に入れずにいるシャイな中年だと思われたようだ。誘われたらすぐにこたえてしまうタチなので、私は思わずMさんに、

 「ここで肩をあたためますか」

 と、聞いたが、Mさんは首を横に振った。よくわかっているのだ。私がブルペンで肩を壊すほどに全力投球してしまうことを。

 三角地帯の狭小酒場に後ろ髪をひかれながら、私たちは目的のロビンソン酒場へと急いだ。急ぐ必要はなかったけれど。

 その酒場がある近辺は、以前ワケあってぶらぶらしたことがあり、そのワケは恥ずかしくて言いたくもなく、ただ、人間関係のアレとでも呼ぶことにする。ただ、そのアレは私の心を微かに傷つけたりはしたものの、そんな傷はとうに癒えていて、そのかわりに一軒の酒場の記憶を残してくれていた。それが、今回のロビンソン酒場なのである。

 Mさんと私はすっかり暗くなった道を歩いていた。このあたりは横浜や川崎の坂道が多い「東京都多摩川市」的なエリアとちがって地面がたいへんに平たい。どこまでいっても平坦でロビンソンウォークがあまりきつくない。資材置き場や巨大な中古車屋。大きなスーパーマーケットや大きな団地など、わりと大きなサイズの建物がつづく。大きなサイズといっても縦ではなく横に大きいので圧迫感がない。

 あまりアクセントも無く、延々続く広々とした空間をずんずん歩く。これが結構気持ちいい。

 そうこうしているうちに、どこで座間市になったのかいまひとつわからぬまま、いつの間にか住所の表記が座間市になっていた。座間市は急にやってくる。そして突然現れるのがロビンソン酒場である。すでに駅から20分は歩いている。かなりお腹もすいたし疲れてきた。だが、平坦なのでそこはいつもよりいくらか楽。

 「このくらいならロビンソン酒場としてはつらいほうじゃないですね」

 とMさんも嘯く余裕すらあったが、それでも二人とも痩せ我慢をしていることはよくわかっていた。腹は鳴り足は重かった。

 コンビニもそれほど無かった通りに、突然何軒かの店が見えてきた。しかし、その日はどこも開いていない。こういう巡り合わせもロビンソン酒場ならでは。辺りに店が少ないほどロビンソン感はいやます。

 大通りのファミリーマートの灯りが目にとびこんできたと同時に薄赤い看板が目にとびこんできた。

撮影:M

 「あれですか? ロマン?」

 Mさんに聞かれた私は反射的に頷きそうになって慌てて頭を振った。

 『スナックロマン』

 看板にはそう書かれていた。そっちじゃない。

 「隣の看板のほうです」

 スナックの看板の隣に大きな看板があってそこには『津和野』とあった。

 「ほお、あれですか」

 そして看板からすこし脇道へ視線を動かす。そこにある一軒の店。店先には、酒樽が三つ積まれ、赤提灯が灯っている。その間には青地に赤い「居酒屋」の文字も凛々しい暖簾。居酒屋入口の三役揃い踏みではないか。これが、今回のロビンソン酒場『津和野』である。

 こんばんは、と格子戸を開けて入ると口開けしたばかりで店内には店主と女将さんだけがいた。

 津和野と言ったら山口県の萩とセットで島根県の津和野が思い浮かぶ。萩・津和野は別の町だけれど、子どもの頃から一組で馴染んできた。垂乳根と母、みたいなセット感だ。どっちが垂乳根かはこの際かまわない。ともかく、店とあの津和野は何らかの関係があるのだろう。カウンター席に腰をおろして、すぐ店名の謂れを尋ねた。

 「とくにないんだよね」

 店主の大畑弘樹さんが教えてくれた。それ以上は追求しなかった。

 店はすでに30年近い歴史があるという。20年以上前に来たことがあると告げると、

 「あんまり変わってないでしょ」

 と大畑さんは言った。いや、実は、あんまりはっきり覚えていないのだ。ただ、旨かった記憶ははっきりしていた。長いカウンターと小上がり。カウンターにはガラスケースがあって、その奥は厨房である。メニューは厨房やカウンターの上などにたくさん札があってざっと数えただけでも30は優にこえる。

 お通しの煮物が出てきて、これがちょうどいい出汁の効いた味わいで、いきなり塩気を感じた口にもやさしい。生ビールをお願いして、ひとまず乾杯してからあらためてメニューを見る。本日のオススメは黒板に白のマーカーで書いてあっていきなり、これは、というのが目に飛び込んできた。

 「白エビの天ぷらください」

 それに刺身の盛り合わせをお願いした。まずは海のものからいくのが最近のロビンソン酒場での流行になっている。

 そして現れた白エビの天ぷらである。すこし卵色をした衣を真っ白なエビがまとっている。黒い目がちょんちょんとある。かわいい。このかわいいのを躊躇なくパクリといく。富山湾の白エビは駿河湾の桜海老と並んで小さくて旨い海老の双璧をなす。子どもの小指くらいのサイズの白エビは口にふくんでまずふっくらとした歯触り。ついで、この小さな体にどうやってこんな出汁を含めるのだろうかという、旨い汁気がすうっと舌を流れていく。さらに、ここの天ぷらは、衣の主張はきわめて控え目だから、藻塩をちょっとつけると、白エビの甘みが柔らかく引き出される。あまりに軽くすいすいいけて、この白エビの天ぷらは神様のスナック菓子ともいうべき、おそるべき後の引き方である。ほんとうに旨い。

 もちろんすでに酒はお燗にかわっていて、ものすごいペースで無くなる。いや、この店、ほんとうにすごい。刺身の盛り合わせは鯵と鮪と(すずき)で、バランスもよくいずれも無いはずの座間漁港の存在を感じさせる新鮮なものだった。鯵なんて今釣ったんじゃないかというプリプリ加減のジワジワの脂で、すばらしく酒が進む。

 ここからは調子にのった。つくね、ラッキョウたまり漬け、ピーマンの揚げびたし、オニオンサラダ、自家製餃子。脈絡の無い感じだが、その時の欲求に素直に従ったのである。これが大正解で、ピーマンの揚げびたしなんて、なんで揚げびたしというと茄子ばっかり食べてきたのか、急に顧みてしまう一品だった。ツヤツヤになった素揚げのピーマンは自然な甘みがたまらない。これに醤油がきりっときいた漬け汁がいい具合いにピーマンの果肉にしみていて、噛むとピーマンと漬け汁が混ざり合って広がる。これが良い。一鉢で二合は軽い。

 オニオンサラダも仕事がしっかりしてあって、えぐみは皆無。さっぱりとした口当たりは、二口で血液がサラサラになったような気になった。

 自家製餃子は見た目も餃子のお手本のようなもので、やけに旨い。なんというかふらりと入った中華料理屋で不意に、アンは下味からぬかりなく仕上げられていて、焼き加減も絶妙なザ餃子という餃子に出会ったような旨さの餃子なのだ。

 「餃子旨いですねえ」

 思わず何のヒネリもない感想を大畑さんに言ってしまったら、

 「ありがとうね」

 と笑った。これは何かあると思ったが、大畑さんはあまりペラペラ喋る人ではなく、そこがまた素敵なのである。そして傍の女将もまた、ニコニコと笑顔を浮かべているが、決して多弁ではない。いいなあ。

 最後に変わった肴を頼んだ。ハムの天ぷらである。ハムカツは知っているがハム天は巷間あまり耳にしたことがない。

 「はい」

 大畑さんが差し出すと、そこには山芋の天ぷらのように輪切り状の天ぷらがある。カレー塩をつけて食べるのだが、これが天晴、実に旨い。薄く軽く揚げた天ぷらの衣だから口に入れたときの口どけがいい。そこからハムがちょろっと顔を出すと、なにやらハムという植物があるような、火が通ってすこし柔らかめになったであろうハムの食感が愉快ですいすい箸が進む。

 「いろんな料理を出されるんですねえ」

 大畑さんに聞くと、嬉しそうに笑った。実は大畑さん、この店を切り盛りするようになる前は、中華料理屋で腕をふるっていたのだという。餃子が旨いのはそのせいなのだろう。

 元々、母親が居酒屋を隣の厚木市でやっていたのが、こちらへ引っ越すことになり、それをきっかけに大畑さんはこの店で働くようになったのだという。で、最初にMさんが向かおうとしていたスナックロマンは大畑さんの母親の店なのであった。そうしてこの店は30年近い間、この町に愛されつづけている。その日も気付けば小上がりに、大先輩とおぼしき呑兵衛さんたちが、

 「カラオケ行きたいなあ」

 「いいよ歌わなくて」

 なんて話して大盛りあがりしていた。こういう場所が、この国にはもっと必要だ。

 また来ます、と言って店をあとにしたが、その実、私がこの店に来たのはもう20年以上前のことである。今度来るときはその頻度だと七十代になっている計算だが、大畑さんも女将さんも全然つっこまずに笑顔で見送ってくれた。この店が愛されている理由がはっきりわかった気がした。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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