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ロビンソン酒場漂流記

2023年4月11日 ロビンソン酒場漂流記

第9夜 L字には過去がある

小田急線狛江駅 徒歩20分 「伊炉里」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 その日、待ち合わせをしたのは小田急線の狛江駅の改札前であった。待ち合わせの相手は、いつもの編集Mさんである。

 狛江駅は小田急線の各駅停車と少しの準急しかとまらない。自宅からいちばん近い小田急の駅、町田駅から狛江に向かったが、うっかり各駅停車に乗ってしまうと、驚くほど到着してくれない。あまつさえ小田急線は、なんとか特急とか快速なんとかとか、いろんな種類の電車が運行していて、来た電車にとりあえず乗ってしまうと、あっさり狛江を通過する粗忽特急になりかねない。

 だからというわけではないが、結局、待ち合わせ時間に二人ともすこしずつ遅れて到着した。一足先に着いていたMさんはというと、やはり、というか、もはや外すことができなくなりつつあるサングラスをかけ、夕方の乗降客が増えつつあるコンコースにたたずんでいた。通年サングラスのMさん、むしろ、この先素顔で待っているほうが、場違いに薄着ないし裸で待たれているような感じがしそうで怖い。ともあれ、いまやロビンソン酒場界のカール・ラガーフェルドという雰囲気になりつつあるので、夏場になったら扇を持ってもらおうと思っている。

 狛江駅は東京都狛江市にある。もう一度念を押すが、東京都、狛江市である。神奈川県ではない。かつて神奈川県に属し、一度は帝国議会に神奈川県復帰のための法案を提出したこともあったほど神奈川県と馴染み深い狛江市だが、今も東京都である。

 そんな狛江市は日本で2番目に狭い市である。一番狭いのは埼玉県の蕨市で広さ順に並べると全国792位。狛江市は791位である。ちなみに一番広いのは岐阜県高山市だ。ただ、一番広い高山市の人口密度は38人、翻って狛江は13196人である。数字だけ見ると、ずいぶんぎゅうぎゅう詰めのように思えるが、それは高山市がきわめて風通しが良いのであって、実際、狛江駅からおもてへ出たときの第一印象は、

 「なんだか気持ちのいいところだなあ」

 であった。というのも、私が降りた狛江駅北口の周りには、背の高いビルが少ないうえに、広々とした道路が走っている。しかも大きなお屋敷、それも大きな木のある立派な庭の家があって、街がすっきりしているのである。

 さらにときめくことがあった。

 駅を降りた途端に古墳がごろごろしていることだ。駅周辺だけで10もある。かつてテレビの広告で駅前留学を謳う語学学校があったが、狛江なら駅前古墳である。古墳があるとコーフンするというと駄洒落のようで、実際にひどい駄洒落だが、古墳に出くわすと妙にわくわくしてしまう。昔からお墓があると好奇心がわいてしまうのだが、古墳にコーフンをおぼえるのもそのせいだろう。

 ちなみに狛江の歴史は古墳時代どころではなく旧石器時代から人がちょっと滞在したりしていたことがわかっている…そんな大昔の話をしながらMさんと歩いていたら、いきなり旨そうな肉屋が現れた。

 散歩の途中で肉屋。イコール買い食いである。E = mc²と同じくらいはっきりしている。躊躇うことなく店に入るとガラスケースのなかに、生で食らいつきたいような旨そうな肉が陳列されていた。なんでもスーパーで賄える時代、良い肉を肉屋で買えるのは良い街の証拠だ。そう思うと居ても立ってもいられなくなり、「いらっしゃい」と迎えてくれたお店の方に、無闇に素敵な店だと褒めちぎってしまった。もちろん買い物もした。揚げ餃子におからである。

 買い食いとは局地的個人的地産地消である。だから、買ってすぐ食べてこそ意味があるのだが、今回買った2品はおおよそ、その場でパクリに適さないものだった。おからは言わずもがな、揚げ餃子も手がギトギトになる恐れがあった。とはいうものの、せめて揚げ餃子だけはここで食べようと、身を隠すべく電柱を探したら電柱がない。実は狛江は狛江市無電柱化推進計画というのがあって、どんどん電線を埋設しているのであった。羨ましいぞ、引っ越したいぞ。

 そこで、開き直ってビルの物陰でこっそり揚げ餃子を食べたらやたら旨い。香味野菜の刺激は控えめで、そのかわり挽肉の質の良さがストレートに伝わる。揚げ方も名人芸。近くだったら三日に一度は食べたくなる出来だった。

 こんな旨い肉屋が当たり前の顔して存在する街ならば…ロビンソン酒場への期待も否応なしに高まってきた。

 その日目指していたロビンソン酒場は、かつて訪れたとき、いかしたコの字酒場だった記憶があった。なぜ、狛江に来て、そんないかしたコの字酒場を訪れたのか。まだ今より体重が20キロも軽かった時代のことである。

 人は体重が増えるたびに、記憶を少しずつ失っていく。人生とはそういうものだから、狛江のコの字酒場へ行った理由はちっとも思い出せない。あるいは知らずと、記憶の壺に蓋をして、その上に重くなった体を載せて塞いでいる。

 Mさんと私が歩いていたのは、都道11号線という真っ直ぐな道であった。この道を北へのぼっていくと京王線の国領駅につきあたる。行き先のロビンソン酒場は、狛江と国領のだいたい真ん中にある。道すがら、タイ料理屋やベトナム料理屋、珈琲屋などがあり、ちょこちょこと中年二人に秋波をおくってくる。誘惑には弱いのが中年の特徴だから、ふらふら引き寄せられそうになるが、そのたびにMさんに引き戻される。ただ、1箇所だけ抗うことができないものがあった。

 焼き芋だ。

 駅から15、6分ほど歩いて、そろそろ二人とも無口になった頃だった。クリーニング屋さんの店先に幟が見えた。赤地に「焼いも」とある。傍に小さな台があって黒板に「焼き芋無人販売」とある。その下にあった発泡スチロールの箱には「焼き芋はこの中です。1本300円」とある。

 胸を熱くしたのは、続いて書かれていた「※300円の代金を払っていない方には払える日が来る事を願ってます」とのメッセージだ。たまらず一本買って300円の代金をおさめ、Mさんと分けた。半分に折るつもりが、6:4くらいになってしまった。もちろん6をMさんに渡し、あとすこしでロビンソン酒場だというのに、二人してかぶりついてしまった。長いウォーキングを経た中年に、蜜たっぷりのデンプンはこのうえなく旨かった。

 嗚呼、満足。ともすれば踵をかえしかねないが、むしろ焼き芋というアペタイザーが食欲を一層かきたてた。私たちは俄然早足になって向かった。「伊炉里」という店へ。

   ほどなくして高張提灯に墨痕淋漓としたためられた「居酒屋」の文字が見えた。そして引戸の上には立派な一枚板の看板があり「伊炉里」と書いてある。ついに辿り着いたのだ。ゆっくりと戸をあけ中に入った。

 ん?

 なにか印象が違う。あれ?  無いのだ、記憶にあったコの字型カウンターが無い。入口を入ると上手には小上がり、下手には大きな長いL字カウンターが設えてある。カウンターの内側は厨房で、全体に横長な店である。黒塗りのカウンターはそれなりの年月をかさねなければ纏うことのない風合いがあり、見上げると立派な梁が見える。思っていたのと違うが、これはまた、最高な佇まいなのであった。

 「いらっしゃい」

 男性と女性の二人が迎えてくれて私はMさんとともに、L字カウンターの真ん中のあたりに腰を落ち着けた。あらためて見回すと、やはり私が知っていた店の雰囲気とは違う。しかし、店のお二人の雰囲気はなんとなく、私の朧げな記憶と地続きの感じがする。おそらく同じ店には違いない。

 カウンターの内側にメニュー札やホワイトボードがあって、夥しい数の品が書かれている。この充実した品揃え、やはり間違いなく私が知っている伊炉里という店だ。

 飲んだときの記憶は飲んで思い出すにかぎる。さっそく生ビールをお願いした。さっと出されたジョッキは表面が凍るほどにキンキンに冷やされ、Mさんと「乾杯」と静かにグラスをあてると、いつもよりも透き通った音が響いた(気がした)。ロビンソン・ウォークの後のビール。なんて旨いのだ。

 驚いたのはお通しだった。鴨のスモークとブリのアラの炊いたのが出てきたのだ。サイズからしてお通しの一般的な認識を覆すものだ。

 私は、猫から嫌われるくらい魚を食べるのが得意である。しかも、全体に何もかも弱めにできた人間のわりに歯だけは頑丈で、ちょっと旨そうだなと思うと骨までバリバリ食べてしまう。そう書くと何でも食ってしまう悪食のクロダイみたいだが、クロダイみたいに大きな口ではないので、おちょぼ口のクロダイくらいに思っていただきたい。

 とまれ、このブリのアラが実にほどよい味付けだった。アラの煮たのには、時に面食らうくらい甘かったり、やけに塩味が濃かったりすることも少なくないが、この煮魚の甘さは、酒の甘さと巧く手をとりあうくらいのほどよさ。醤油もブリの小脂の持つコクを消さないぎりぎりの塩梅。この旨さ、やっぱり、あのコの字の伊炉里だ。早速、刺身を盛ってもらい、生牡蠣もおごることにした。記憶が蘇ったのだ。ここは、魚が旨い店だ、と。

 ほどなくして現れたそれは、マグロ、〆さば、スズキなどが盛られていて、これが、まあ、

 「狛江って漁港ですよね」

 と、いう具合。二切れで半合はいけるくらいフレッシュ。〆さばは、かなり酢がきいたのも、浅いのも、いずれも好物なところ、ここのそれは、かなり〆た一皿だった。ただ、酢が喉にたつような尖りかたをせず、あくまでさばのコクの脇をかためているところがニクかった。

 「明日が休みだから今日がいちばん〆られてるんですよ。今度はまた〆たばかりのをためしてみてくださいよ」

 店主が優しく教えてくれたので、ここで思い切って尋ねた。

―あの、ここはいつからやってるんでしょうか?

 「もう40年以上になりますねえ」

―あの、実は、ロビンソン酒場というルポのようなエッセーのようなものを書いておりまして

 「そうですか。このごろ、あのコの字酒場とかドラマとか見てましたけど、ああいう感じの…」

―それ書いたのぼくです。

 「あら、そうでしたか。うち、コの字だったんですよ」

―やっぱり!

 というわけであっさり謎は解けた。12年ほど前、道路の拡張工事があって、以前の店は取り壊したのだそうだ。奥行きが減ったぶん、今度は横長の店舗になり、コの字カウンターではなくL字になった、というわけだった。溜飲が下がると同時に、生牡蠣をつるんと飲み込んだ。なんとまあ、滑らかでコク深いこと。個体のフリをした牡蠣という名のスープがじゅわりと食道を流れていく。上半身が一気に磯の香りにつつまれる。

 当座の疑問が解消したせいだろうか、ここへ来て一気呵成に注文した。豪飲という言葉があるが、豪食と形容したいボリュウムであった。ポテトサラダ、山いものいそべ揚、白子、そしてビックリ鉄板。

 ポテトサラダは芋ねっちりのストロングスタイルでハムと胡瓜がきいている。マヨネーズの酸味と塩味のバランスが絶妙なので聞いてみると、自家製であった。これは丼でいける。山いものいそべ揚は、さっぱりとパンチのマリアージュ、香ばしさが山いもの粘り腰のコクとあいまって、こういう植物が元々あるのではないかと思わせる仕上がりだった。白子は言わずもがな。問題はビックリ鉄板である。なにがどうびっくりするのか。

 「福岡のソウルフードで鉄板で焼いた肉とキャベツを辛味噌で食べます」

―どうして福岡のソウルフードが狛江にあるんですか?

 するとご主人、

 「これをどうぞ」

   と、辛子蓮根を差し出した。鮮やかな黄色が穴という穴につまった蓮根。熊本の名物だが、一口いただいてわかった。鼻にぬける芥子の具合が辛いが尖っていない。蓮根はしゃきしゃきで香り高い。マイルドな口当たりなのに、縦にさける蓮根と芥子がまざるとき、蓮根の甘さと瑞々しさが際立つ。これはたぶん自家製だ。

―これは、お手製じゃないですか?

 「そうです」

―じゃあ、九州のご出身で?

 実は店主の山下耕治さんは元は九州は熊本の生まれ。幼い頃に熱海に引っ越し中学までを過ごすと、高校時代に東京に家族と一緒に引っ越してきた。その後、26歳のときにこの店を開いた。

―ここは相当不便な場所ですけど、どうしてここに開いたんですか?

 「もともと住まいがここだったんですよ」

 以来40有余年。料理はほぼ独学。聞けば、

 「新しい料理をやろうと思ったら、すぐインターネットですよ。ほんと便利な時代になりました」

 と、山下さん、きわめて合理的に独学をアップデートしている。ここまで長く愛される店をつづけてこられたのは、そんな山下さんの持って生まれたものと努力の賜物といったら陳腐だが、ほかに説明のしようがない。そして一緒に店を切り盛りしているのはおつれあいではなく、

 「叔母です。私は独身ですけど、叔母はひ孫までいます」

  と、笑った。これには驚いた。てっきりカップルだとおもっていたのだ。へえ、なんておもっているうちに、れいのビックリ鉄板が仕上がった。鉄板にのせられた細切りの肉はジュウジュウと旨そうな合唱を聞かせる。キャベツは一緒に炒められていて、肉の色を微かにうつし取っていて、美しい茶色の斑点を纏っている。香りは、もう、カウンターの上がいきなりバーベキュー会場になったかのような香ばしさ。たまらない。これを特性の辛味噌にからめて食べる。一口パクリ。熱い熱い熱い。しかし、旨い旨い旨い。そして焼酎が止まらなくなった。酒泥棒、懲らしめてやるしかない。

 懲らしめてるうちに、だんだんこちらが懲らしめられてきてぼうっとしはじめたころ、もう一人、この連載の面倒を見てくれている編集のSさんが現れた。Sさん、なにやらプライベートでの緊張が解けたばかりだとのことで、

 「今日は飲む」

 と意気込んでやって来た。

 不便な場所なのに長く愛される、大海に浮かぶ楽園のような場所がロビンソン酒場。人生の節目に一杯やるのにこれ以上ふさわしい場所はない。Mさんと私は、もうほとんど仕事を忘れて、Sさんを「おお!」と迎えると、Sさんは、ほんとうに、心底旨そうにジョッキを空にした。その姿だけで、私はジョッキ2杯はいけそうだった。そしてSさんは、ビックリ鉄板を再度注文して丼飯と一緒に平らげた。ビックリ鉄板のおかわりに、山下さんはビックリしていた。

   すっかりメートルがあがった私たちは、とにかく何かを分かちあいたかったのだろう。鮎の骨酒を注文した。骨酒は干した鮎や岩魚をすこし焦げ目をつけて焼いたものを熱燗に入れて、香味をくわえて楽しむものだ。酒器は巨大な岩魚型で、マーライオンのように口からどぼどぼとぐい呑みに注ぐ。注ぐたびに私は、

―マー

 と言って、それをすこし困惑した表情でMさんとSさんが見つめる。夢のような光景だった。

 気づけばカウンターは常連さんでほとんど一杯になっていた。一人でゆっくりと飲む人。旨そうに刺身をつつきあうカップル。穏やかに、なにやら語り合いながらポテトサラダをつまむ女性二人組。時々目が合うと軽く会釈する。オアシスがそこにあった。今度ここを訪れたとき、たとえカウンターが一文字やW字型になっていても驚くことはないだろう。そして今夜と同じように、旨い肴に舌鼓を打つはずだ。

 帰り道、Sさんは国領駅へ向い、私とMさんは再び狛江駅を目指した。件の焼き芋無人販売はまだ明かりがついていて、私は迷わず発泡スチロールの箱をたしかめた。まだ四本あった。全部買って、千円札と2枚の100円玉を料金箱に投入して、一本はMさん、三本は自分用に鞄におさめた。もちおもりする鞄から、ほんのり香ばしい香りが漂い、私は好物を悟られまいとして挙動不審になる大正時代の女学生のように、もたもたと歩きつづけた。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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