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ロビンソン酒場漂流記

2022年9月6日 ロビンソン酒場漂流記

第7夜 霊園の山のあなたの空遠く

JR南武線津田山駅 徒歩25分 「割烹高根」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 その店を知ったのは、車で迷子になったせいだった。

 神奈川県川崎市に生田緑地とよばれる都市公園がある。そのなかに日本民家園という全国から歴史的な民家を集めた施設がある。新左翼の竹本信弘が逮捕された場所でもある。私は、この民家園が好きで子どもの頃から何度も足を運んでいるのだが、帰り道に「近くにある藤子・F・不二雄ミュージアムの近くを通ってみよう」なんて色気を出して道に迷ったことが何度かある。そのとき、この店を見かけたのである。

 もちろん、繁華街や駅からは遠いのに長く愛されていることがロビンソン酒場の定義だから、当然その店も駅からは遠い。いちばん近いJR津田山駅からも1.6キロはある。津田山駅はJR南武線の主要駅の一つ武蔵溝ノ口駅(接続しているのは東急田園都市線の溝の口駅)から一駅である。溝ノ口からはバスで行くことになるが、津田山駅からの徒歩の道のりは、ちょっと夏向きなルートである。

 JR南武線は川崎から立川まで、南北を貫く路線である。横浜線、武蔵野線、京葉線とともに東京メガループなる名称が与えられているが、南武線だろうと横浜線だろうと、乗っていてメガループを意識したことがない。JRが何かをカタカナでぶちあげると、たいがい高輪ゲートウェイみたいな掴みどころの無さを感じる。

 南武線の快速電車は、同線26駅のうち12駅に停車するが、今回のロビンソン酒場の最寄り駅である津田山駅には停車しない。この津田山駅は駅前からいきなり七面山という丘陵地がある。この七面山の別名が津田山で、この名前はこの辺を開発した玉川電鉄の津田興ニに由来していると仄聞した。東海道新幹線の岐阜羽島駅を大野伴睦駅と照れずに命名してしまうようなニュアンスだろうか。大胆である。

 改札でいつものように編集者のMさんと待ち合わせしたが、先に着いたMさんは駅の近くのスーパーマーケットのなかのカフェで待っていた。書物を片手に腰掛けるMさんを見つけたとき、Mさんは素顔だったが、私を見つけるとすぐにサングラスをかけた。Mさん、役作りに余念がない。

 津田山駅は山というだけあって駅を出るといきなり坂道がつづく。駅近くにありがちなコンビニなどは一軒もなく、道の左右にあるのは石材店ばかりである。石材店という時点で勘のいい人はすぐ気づくが、この駅前の道はまっすぐ霊園につづいている。

 霊園というとやたらに怖がる人がいるが、私は水木しげる先生ほどではないがそこそこ墓地というか霊園好きである。霊園はいい。子どものころから、いちいちお墓なんてつくっていたら世界はお墓で一杯になってしまうと思っていて、その考えはいまもあまり変わっていないから、お墓自体にはほとんど関心はないし、都市部にあるコインロッカーみたいな霊廟にも興味はない。ただ、霊園は、公園として見ると素晴らしいのである(罰当たりな物言いだったらすみません)。それなりに時代をかさねた霊園では、木々は立派に育っているし車通りもなくて、うるさい人もいない。人気(ひとけ)がないかというと、生身の人はお盆やお彼岸をのぞいてそうそう多くは見かけないものの、いつでもなんとなく人気は感じられる…みたいなことを言ったらMさんは、ちょっと怖がっているようだった。津田山駅の目の前にあるのは川崎市がやっている緑ヶ丘霊園といって昭和18年に開園したという(私の大好きな藤子・F・不二雄先生のお墓もある)。たしかに昭和の戦前の公園づくりの雰囲気が漂っている。霊園内の道も広く、手入れが行き届き過ぎていないところがいい。墓と墓の間の通路は芝生だがゴルフ場みたいに刈り込まれずにフサフサになっている。街路樹も太く葉は目一杯繁茂している。この感じ。35年くらい前、私が暮らしていたジャワ島とか東南アジアの公園の感じに似ているのである。それをMさんに伝えると、

 「ぼくが院生の頃行ったインドではこういう木の幹にペンキで太い線が引いてあったんだけど、あれはなんなんでしょうねえ」

 と言うので、

 「街灯が無いから夜になると真っ暗で木が見えなくて追突しちゃうのよ。だから木にペンキを塗って反射させる。それでもってガードレール的な役割も果たしてるんですよ」

 とこたえると、

 「さすが東南アジア生活が長い、生きた知識ですなあ」

 とMさんが感心したように言った。そんなMさんは、パナマ帽にアロハにサングラスの本気の南国スタイルである。

 駅からずっとつづく坂道をのぼりきると芝生がこんもりと盛り上がったところがある。古墳だ!とコーフンしたら、無縁納骨堂であった。実際このあたりは古墳がたくさん見つかっているところなので、そのコーフンもまんざらではなかった。ちなみに、途中で有名な割烹着姿の研究者の苗字と同じ名前のお墓なども見つけ、その時もMさんとたいへんコーフンした。

 そこからはいきなり霊園を外れて細い切り通しを行く。通行人はほとんどなく、冷たい風が吹き抜ける。見通しが悪いからカーブにミラーが設置されているが、手入れされてなくて曇っている。

 「のぞくと老人になった自分の姿が見えますよ」

 とMさんを怖がらせるつもりで言っておいて、自分のほうが鏡を見るのがこわくなった。

 ここをこえるといきなりバス通りに出る。この通りは、あたりで一等賑やかな武蔵溝ノ口駅と溝ノ口駅へとつづいている。この通りをひたすら溝ノ口とは逆方向に歩く。霊園ではあんなに饒舌だった私とMさんだったが、いきなり還俗した途端口数が減った。だが、ここからがそこそこの道のりなのである。するとMさんいきなり日傘をさして歩き出した。夏の日差しを避けるには合理的なのだがパナマ帽、アロハに黒いサングラス姿の怪人度はGTRクラスである。

 このバス通りは平らで肉体的にはきつくない。しかし、家と車とアスファルトだけの景色にはリズムがない。そして二人はまた無言になった。無言になって5分。暖簾が見えてくる。

 「着きましたね」

 「ええ、着きました」

 疲れきってジャックアンドベティみたいな会話をかわした私たちが対峙したのは、『和風創作 new 居酒屋 Takane』の看板だった。看板の表記は難しいが暖簾には『割烹高根』とある。そして常連さんたちも高根と呼んでいる。一見、洒落た一軒家。だが暖簾をくぐって格子戸をあけると、左手に美しいカウンター、右手に小上がりという素晴らしい酒場が現れる。カウンターの奥には大将がいて

 「いらっしゃい」

 と気持ちのいい声で招いてくれる。店名が高根だからてっきり高根さんだと思っていたら坂野洋さんというお名前であった。高根はこのあたりの地名なのである。

 小上がりには呑みっぷりのよさそうなご常連が先にいらして、口開けからさほど時間が経っていないのに店の空気はじゅうぶん温まっている。カウンターに腰掛けると背後から、 

 「ジャンプさん?」

 という声がする。件のご常連がこんな一介の飲兵衛のことを知っていてお声がけしてくれたのであった。ロビンソン酒場で誰かに声をかけてもらうなんて、漂流してたどり着いた島に仲間が先にいたようなものである。ありがたくて乾杯させてもらった。

 さて、このお店。まず気持ちいいのは部屋全体の照明なのであった。電灯色と昼光色の明かりがバランス良く配置されていて目が楽。加齢で老眼やらひどくなってくると、明かりは大事で、ギラギラしているとそれだけで疲れる。愛される店はこういうところから違うのである。

 カウンターには長いガラスケースと水槽があり、水槽のなかにはなんと伊勢海老とちょっとエロチックな大きな貝と蟹が2匹もいる。ホワイトボードに伊勢海老刺しもあるから、注文したらコイツがたぶんまな板の上にのるのだろう。なんとなく今日は、生きているこいつを見ていたくて他のものをいただくことにした。

 メニューは冊子と壁の札と両方あって、その数は五十をゆうに越える。それを大将が一人でこなす。忙しいだろうから、順番をいろいろ考えて注文したほうがいいかな、といらぬ老婆心というか老爺心がわきあがるところ、ここは混んでいても魔法のように手際よく肴も酒もはこばれてくる。すごい。

 その日、まずは刺身の盛り合わせをお願いした。

 一杯目に生ビールをいただくと、間違いなく手入れの行き届いたサーバから注がれたそれは、霊園とバス通りで疲れ切った体にしみわたり、そのまま昇天しそうだった。

 さて、ほどなくして刺し盛りが現れた。これが見事な出来栄えでブリやマグロの赤身に中トロなどが、それは美しく盛られている。ほんとうに見事な盛りつけで人参の飾り包丁やちょっとした添え物もぬかりない。あまつさえ蘭の花なども散らされていて、浜辺のリゾートの日本料理屋さんのようなのである。もちろん味は言うことなし。ここは漁港が近いんですか?と聞きたくなる新鮮さで、包丁も見事。ブリなんて一口入れたら、その身ほどけと溢れるキレのいい味わいが日本酒をどんどん進ませる。罪な刺し盛りなのである。そして、けっこうな量なのに、すぐ無くなってしまった。旨いことの証左である。

 ここからはじゃんじゃんいった。

 酢の物、海老マヨネーズ、アジフライ、卵焼き、牛肉握りに握り鮨…ロビンソン・ハンガー(長く歩いて腹が減ること)でこんなにも注文してしまった。

 酢の物は、貝や光ものを優しい三杯酢であえてある。そのまま刺身で旨い材料を歯が悪くなりかけでもすいすいいけて、それでいて歯ざわりを楽しめる具の大きさの揃えかたが良い。残った三杯酢まで呑み干したくなった。そして、ここにも美しい花の飾り。

 海老マヨネーズはというと、平成になってから全国の中華屋が店に置くようになったが、こちらのそれは海老は薄衣をサクサクに揚げてあり、これにあっさりめのマヨネーズがからめてある。パンチはある。一噛み目には、マヨネーズのコクと酸味がふわりと広がり、そこへ、ちょうどいい熱の入り方で旨さ甘さがひきだされたエビが顔を出す。歯触りのいい衣がリズムをあたえ愉快。しっかりした味付けだがクドくないから日本酒にもいける。中華屋さんが勉強に来るべき出来である。

 アジフライも立派なアジに衣は薄め。サクサクの下のフワフワ身ほどけいいアジが、あくまで軽く腹におさまっていく。店に来て、ビールは一杯で終えて、とうに日本酒にうつっていたのだが、ここへきてビールをチェイサーと称して注文したのは、ひとえにアジフライのせいである。罪だ。

 鮨は、「え?ここお鮨屋さんだったんですね」という出来栄え。酢飯の味も実にバランスよく、これだけ食べに来る人もいるのではないだろうか。

 握りではなくツマミの玉子焼きは、甘めに仕上げてあった。

 なぜだろう、甘い玉子焼きを食べると、全身がノスタルジーにつつまれ、この頃軽く涙が出るのである。この日も、その玉子焼きをいただいたら、どういうわけか学生時代のアレコレが胸に去来し落涙しかけた。甘い玉子焼きにはみなさまも努努(ゆめゆめ)注意されたし。

 そして、いや、まいったなあ、というのが牛肉握りであった。文字通りの牛肉の握り鮨なのだけれど、肉のサシも包丁の入れ方も素晴らしく歯触りと口どけは最高。こういう変わり種は「酢飯に肉がのっている」だけで鮨になっていないものにも時々出くわすが、ここのは全然違う。それどころか、酢飯との相性というか、変わり種なのに、その「鮨度」は「こんな牛肉みたいな美味しいお魚いたのか!」と思わせるくらいに、鮨としての旨さがある。本当はシメにするはずだったのに、これが旨すぎて、追い酒してしまった…。

 店主の坂野洋さんはぱっと見は鯔背(いなせ)。よく通る美声の持ち主で、注文したときの

 「はい」

 が、昭和の洋画の吹き替えのように、物凄く心地良く響く。元々は東京は中野の出身。十代からこの道に入り、和食店やホテルで仕事をしてきた。盛りつけの美しさは、そうした経歴によるものなのだろう。

 ご両親が、今のお店があるあたりの出身とのことで、知人からこの場所を紹介され1989年に開業した。以来33年の歴史をかさねてきた。

 「開業の時からいらしてくれているお客様がおおぜいいるんですよ」

 というから、いかに地元に愛されているのかがよくわかる。時々常連さん達と旅行にも行っているそうだ。それにしても、この場所で店を開くのは勇気がいったのではないかと問うと 

 「ううん、まあ、でもお店が少ないから、逆になんとかなるんじゃないかなあって思って」

 と、言うが、それは自信があってこそ。これだけの腕前とセンスがあったから、こうして愛されてきたのだろう。

 かつては、板前さんも雇っていたそうだが皆独立。二階の座敷もやめて、一階のカウンターと小上がりを坂野さんとお手伝いの女性とで切り盛りしている。いつの間にかいっぱいになった店は、ひっきりなしに肴と酒が運ばれていく。最高だ。

 帰り道、とっぷりと暗くなり、Mさんも私も自然とまっすぐ武蔵溝ノ口駅へと足が向かっていた。夜の霊園は、また今度来たときにとっておく。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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