シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

ロベスピエール 民主主義の殉教者

〈恐怖を日常に〉

 1793年10月、国民公会が「革命政府」を宣言し、マリー=アントワネットやジロンド派指導者を処刑した背景には、国内外の混乱と鬱積する民衆の不満があった。同宣言がなされ、恐怖政治(テルール)あるいは公安委員会の「独裁」が開始される背景を、ここで振り返っておこう。

 「5月31日〜6月2日事件」後、緊迫する対外戦争やヴァンデー戦争に加えて、マルセイユやリヨンなど南部諸都市でも反乱が頻発していた。マルセイユでは6月、連邦派が反乱を起こしアヴィニョンを占領した。リヨンでは、パリで同事件が起きたのと時を同じくして「穏健派」による暴動が起き、同市の有力なジャコバン派指導者で裁判所長官を務めたジョゼフ・シャリエが逮捕された。そして彼が崇敬したマラが暗殺された日の3日後、処刑された。

ジョゼフ・シャリエ(J.F.ガルネレー画)

 逆に、春に創設された革命裁判所で、各地の反革命派の弾圧や処刑が行われた。地方の「反乱」に対して中央からしばしば議員が派遣され、反革命容疑者を逮捕するなど治安の維持に努める一方、各地に人民協会を設立し革命の宣伝を試みたのである。

 パリでは9月5日、民衆(サン=キュロット)が国民公会に押し寄せたことは前回すでに見たが、このとき彼らは国内外の「革命の敵」が攻勢にでるなか、議会に対して〈恐怖を日常に〉と要求した。これは、8月頃からジャコバン・クラブで使われるようになったスローガンで、議会では「赤い司祭」の異名を持つ過激派のクロード・ロワイエが唱えた。「恐怖政治を日程にのぼせなければならない〔=恐怖が日常的になされなければならない〕」、と(9月1日)。過激派の指導者エベールは、すべての敵を打倒すべきだと抑圧的な措置を要求、民衆を煽った。

 5日、群衆は公安委員会の非公開の会合にも闖入した。同日夜、議会ではベルトラン・バレールが同委員会の名において即席の演説を行い、活動家たちを喜ばせようと「恐怖を日常的なものにしよう」と口走った。また、サン=キュロットたちが要求した、パンを買い占める商人などを取り締まる「革命軍」の創設と各地の革命裁判所の拡充が発表された。

 ロベスピエールは、群衆の直接行動に対しては懸念を示しながらも、革命の方向性には賛同した。公安委員会委員のテュリオが、弾圧は緩和されるべきだと言って委員を辞任したのに対して、国民公会でこれを暗に批判したのである(9月25日)。まず、みずからも委員の職を辞して真理を伝える覚悟だと述べたうえで、「真理は、アリストクラシーの不誠実な手先を打ちのめすため、自由の勇敢な擁護者の掌中に残る唯一の武器である」と発言した。そして、こう続ける。

 

国民公会を堕落、分裂、麻痺させようとする者は、この中にいようが外にいようが、祖国の敵である(喝采)。愚かさのために行動しようと、邪悪さのために行動しようと、われわれに対して戦争を引き起こす暴君の味方である。

 

 この国内外の〈敵〉との戦いにおいて、国民公会を支えているのが公安委員会なのだ。「しかし、国民公会は公安委員会と結びついている。あなた方〔=議員〕の栄光は、みずから国民的な信頼を与えた人々〔=公安委員会の委員〕の仕事の成功に結びついているのである」。よって、同委員会を批判する者も、同じく「祖国の敵」であると暗に示す。

 

ここでは個人が問題なのではない。祖国と原理が問題なのだ。私は宣言する。この物事の状態で委員会が公共の事柄を救い出すことは不可能である、と。私に反論があれば、それがいかに危険な状態にあるか、われわれを堕落させ解散させる体系がどれほど広がっているかを思い起こさせてやろう。外国人や国内の敵がこの目的のために金で雇われた工作員をどれほど持っているか。(中略)だから、政府が無限の信頼を得なければ、それに値する人間によって構成されなければ、祖国は失われると信じる。私は、公安委員会が一新されることを要求する。

 

 こうしてロベスピエールが〈敵〉と〈味方〉を峻別しながら、公安委員会への「無限の信頼」を要求したとき、彼は一線を超えたように見える。

 もちろん委員会が一新されることはなく、国民公会は同委員会に「無限の信頼」を置くことを宣言した。こうした背景のもと、公安委員会が先導するかたちで翌月に宣言されたのが「革命政府」だった。その後10ヶ月間、同じ委員が再選されることになる。歴史家のロバート・パルマーは、それを次のように診断した。「9月25日の議会での勝利によって、12人〔公安委員会委員〕の独裁は大きく前進した」(R. R. Palmer, Twelve Who Ruled: The Year of the Terror in the French Revolution, 2017 [1941])。12月4日、革命政府の統治原理を示した「フリメール14日法」が採択されたとき、名実ともにその「独裁」が成立したとされる。

 ロベスピエールが過激派やその直接行動、そしてジロンド派指導者の処刑に懸念を表明しながらも、「恐怖」の要求に沿った革命の流れに身を委ねたのは確かである。この点で彼の政治家としての行動で注意したいのは、「革命政府」宣言の前日、国内のイギリス人を逮捕するという議員ファーブル・デグランチーヌの提案に賛成したことである(10月9日)。また、戦争中のすべての国の出身者に対してその措置を拡大するというサン=ジュストの提案も支持した(16日)。

 革命初期には政治難民の受け入れを歓迎したロベスピエールの目には、この頃になると国内の外国人が〈敵〉の工作員に映っていた。そして、彼らの陰謀に対してさらに焦燥に駆られることになる事件が起こる。

〈敵〉の陰謀

 10月半ばから汚職事件が政治問題になり始めた。それは、旧体制期に廃止が決まっていた東インド会社の清算をめぐって生じた―財務整理のために起こる株価の高騰を当て込んだ―汚職事件である。この頃パリには、軍の御用商人や投機家が集まって来て、軍需物資の発注や納入をめぐって多額の裏金が動いており、その中で生じた大規模な暗黒事件だった。

 14日、ダントン派のファーブルが公安委員会に対して「外国人の陰謀」を告発。しかし実のところファーブル自身が銀行家とグルになってお金を受けとっていたため、上記のようにロベスピエールに先んじて「外国人」を排斥する立法を推進して見せたと言われる。これに対して、関与を疑われた同派のフランソワ・シャボとクロード・バジルが公安委員会にファーブルを告発したが、自分たちが逮捕された。また、エベール派議員の関与も疑われ、両派の対立が激しさを増してゆく。

 ロベスピエールが標的にしたのは、エベールとその一派だった。11月21日、ジャコバン・クラブで演説し、エベールらを念頭にその非キリスト教化運動を批判した。というのも、エベール派が、偶像の焼却や破壊などヴァンダリズム(文化財破壊)を伴う同運動を利用して政治的影響力の再拡大を狙っていたからだ。11月10日、ノートルダム大聖堂で挙行された「自由と理性の祭典」も、その運動の一環だった(次回以降詳述)。リヨンでは、エベール派へ転じたジョゼフ・フーシェら派遣議員によって同運動が主導され、結果として地方の革命委員会のもと千六百〜千八百の人間が処刑された。ギロチンでは間に合わないと、処刑には大砲が用いられた。

 ロベスピエールは、非キリスト教化運動を「狂信」と同演説で断じる。彼によれば、今日懸念すべき新たな「狂信」が生まれている。それは、「外国の宮廷に金で雇われた不道徳な人間」による狂信であって、「卑怯で残忍な敵の特徴である不道徳の外観をわが革命に与える」ものだと糾弾した。そもそも〈敵〉には二つの軍団があり、国境沿いにいる文字通りの軍団のほか、「もう一つのより危険な軍団がわれわれのうちにいる。それは金で雇われたスパイや詐欺師の軍団であり、民衆の社会の中にさえ、いたるところに侵入している」。

 このように、国内の〈敵〉を国外の〈敵〉より焦眉の危険とみなす点でロベスピエールは一貫していた。ここでは、前者が非キリスト教化運動を通じて後者と共謀することで、革命および共和国を危機に陥れていると主張された。そして「信仰の自由」こそ、国民公会のとるべき方針であると主張する点でも、彼は一貫していた。「平和を愛好する司祭を迫害することを許さない」のは、彼らの祈りを妨げる人間のほうが「狂信的」だからだ。

 ロベスピエールによれば、非キリスト教化運動は、革命は「狂信的」だとする攻撃の口実を国内外の勢力に与えるだけではない。それは「無神論的」であるため、革命そして共和国の存続さえ脅かしうる。なぜなら、その存続にはある種の信仰が必要だからだ。いわく、「国民公会が最高存在のもとで人間の権利の宣言を表明したことは無駄ではなかった」。そして、同演説で次のように宣明する。

 

神が存在しないのであれば、それを発明しなければならない。

 

 確かに、共和国を象徴する母としての女神が各地で飾られるなど、革命期にはカトリックに代わるある種の信仰が現れたが(第12回)、ロベスピエールは偶像崇拝を否定する一方で、キリスト教の信仰も認めるようなかたちの革命宗教を構想することになる。

 続いて、彼は国民公会(12月5日)でも、非キリスト教化運動を通じて〈敵〉が国内に深く浸透していると警鐘を鳴らした。そうした中、外国の手先の代表として名前が浮上したのが、同運動にも関わったエベール派の議員アナカルシス・クローツだった。

 プロイセンの元貴族クローツは、汚職事件で死刑判決を受けたある銀行家と取引したという理由で嫌疑をかけられたのである。12月12日、ロベスピエールもジャコバン・クラブでクローツを糾弾した。「銀行家とだけ生活する人間」を共和主義者と信じられるだろうか。彼はフランス人以上に愛国的であるように見せながら、実際は列強国の手先とともに暮らしていたのである。「彼らは〔愛国者の〕仮面を覆い、われわれを分裂させる」。そして最後に、貴族、聖職者、銀行家、外国人の同クラブからの追放を提案した。この提案はすぐに採用された。

クローツ男爵(シャルル・ルヴァシェ画)

 外国人で元貴族という出自を持つクローツは、明らかに、非キリスト教化運動とともに〈敵〉の陰謀のスケープゴートとなったと言える。ロベスピエールが批判の手を緩めることはもはやない。12月25日クリスマス、国民公会で「革命政府の諸原則に関して」と題する演説に臨む。タイトルの通り、立憲政府との相違を明らかにすることで革命政府の諸原則を示すことを目的とした演説だが、その中でロベスピエールは初めて明示的に恐怖政治の必要に言及した。

 まず、「革命政府の理論はそれを生み出した革命と同じくらい新しい」と述べたうえで、「立憲政府の目的は共和国を維持することだが、革命政府の目的はそれを創設することである」と言う。後者は、その敵に対する戦いを通じて自由を勝ち取らなければならないのに対して、前者はそれを維持することだけが目的である。

 

主な関心は立憲政府が市民の自由であるのに対して、革命政府は公共の自由である。立憲政府のもとでは公権力の濫用から個人を保護すればほぼ事足りるが、革命政府のもとでは公権力自身が、あらゆる徒党の攻撃からみずからを守ることを余儀なくされる。革命政府の国家の防衛は良き市民にかかっている。人民の敵がもたらすのは死のみである。

 

 この革命政府のもとでは、すべての法の上に「人民の救済」が、すべての名目の上に「必然性」が置かれるという。そして、「弱さと無鉄砲さ、穏和主義と過激さ、二つの暗礁の間を航行しなければならない」と言うとき、ダントン派とエベール派が念頭にあった。ただ、ここでは国内のあらゆる場所に忍び込んだ外国の手先に対して議員の結束を促す。〈敵〉には、「われわれを分裂させることによってしか勝利はない」のだから。そこで、こう結論する。

 

恐怖をもたらさなければならないのは、愛国者や不幸な人々の心の中ではない。略奪品を分け合い、フランス人民の血をすする、外国のならず者たちの巣窟の中である。

 

 そのため、革命裁判所を改革・強化し、増える「犯罪者」を迅速に罰しなければならないと結論した。12月30日、クローツは逮捕され、翌年3月24日、人類主権を唱え「人類の友」の異名をとったこの元貴族は、反逆罪の罪で処刑された。

 ロベスピエールも、ここでようやく「恐怖を日常的なものに」する革命の流れに追いついた、という見方もできるかもしれない。『マリー=アントワネット』の著者は、共和国は恐怖によって恐怖を克服しなければならない段階に至ったと記していたが、フランス革命史家のマチエも、恐怖(政治)は時代の宿命だったと断じている(『フランス大革命』)。その意味で、恐怖あるいは〈敵〉の陰謀の発言に、ロベスピエールの独自な思想が見られるわけではない。マリー=アントワネットの腹心の前大臣が「パリ市民を恐怖でやっつける必要があると思う」(92年7月13日)と語ったとすれば(同上)、それは革命派独自の発言ですらなかっただろう。

 むしろ、ロベスピエールの演説で際立つのは〈敵〉の排除よりも、その裏返しでもある分裂への危機感であり、《単一性(同質性)》への執着とも言える思想である。それが、彼の構想する政治には必要だった。その政治とは、「独裁」などではなく、あくまで《民主主義》である。そして、その統治体制の原理となるのが「美徳」であり、「美徳」の必要こそ、革命指導者ロベスピエールがもっとも強く訴えたものである。

翌年、恐怖政治の論拠を開示した、集大成とも言える演説に臨む。そこには、〈敵〉の陰謀に対して焦燥に駆られながらも、革命の理想を捨てることはない革命家の姿がある。

民主主義とは何か?

 年が明けると、汚職事件をきっかけに深まる党派間、あるいは革命指導者間の対立がジャコバン・クラブの中で顕在化する。エベールとその一派の問題とは別に、特にダントンの背信行為や旧友でダントン派のデムーランによるロベスピエール批判が深刻な問題として浮上する。そこで、ロベスピエールは対応に迫られ、これがのちの大粛清につながるのだが、詳細は次回に譲る。ここでわれわれは先を急ぎ、彼の「恐怖と美徳」演説を確認しておくことにしたい。

「公安委員会のリーダー・ロベスピエール」(ゲラン画)

 94年2月5日、「政治道徳の諸原理に関して」と題した国民公会での演説は、国内外の小康状態とともに左右の党派の対立が先鋭化する中、「恐怖と美徳」を唱えた演説としてよく知られる。だが、それは同時に《民主主義》を定義し直した演説として重要な意味を持つ。

 冒頭ロベスピエールは、「革命の目標をはっきりと定めるべきときだ」と主張する。その目標とは、「自由と平等の平和的な享受」であって、「その諸法則がすべての人々の心に刻み込まれること」であるという。それはフランスを「諸国民の模範」にするものだとされ、なにやら壮大な目標に聞こえるが、それは民主主義(=民主政)によって実現されると語られる。

 

 この驚異を実現するのはどんな性格の統治か?それは民主的あるいは共和的な統治のほかにない。この二つの言葉は、一般の語用には混乱があるが、同義である。貴族政は君主政と同じく共和政ではないからだ。民主政とは、人民がたえず集まって公共の問題をすべて自分たちで決める国家ではない。(中略)そのような統治はかつて存在しなかったし、存在しうるとしても、人民を専制に連れ戻すだけだ。

 民主政とは、主権者である人民が、自分でよくしうることはすべて自分で、自分でできないことはすべて代表者によって行う国家である。

  したがって、民主政治の諸原理の中にこそ、あなた方の政治的な行動規範を探し求めなければならない。

 

 この演説では、ロベスピエールが重視してきた〈代表の原理〉が繰り返されているが、ここでは、その前提となる人民と代表者の一致を可能にするものが語られている。それは、民主政を「支え、動かす本質的な原動力」とされる、美徳である。「私が言っているのは、〔古代〕ギリシアやローマで多くの驚異を成し遂げ、フランス共和国においてもさらにもっと驚くべきことを生み出すに違いない、公共の美徳のことである」。また、「共和政と民主政の本質は平等」であるため、美徳の中には「平等への愛」が含まれるとされる。演説冒頭で平等のペアになっていた自由に代わって、ここには美徳がすべり込み、平等はその中に含み込まれ、美徳が最上位に昇華される。

 では、「美徳」とは何か。「この崇高な感情はあらゆる個別の利益に対して公共の利益を優先させることを前提にするのも事実である。その結果、祖国愛はまたあらゆる美徳を前提にし、あるいは生み出す。というのも、美徳はこうした犠牲を可能にする魂の力以外の何であろうか」。要するに、美徳とは「公共の利益」を優先する崇高な感情であり、「個別の利益」あるいは自己を犠牲にすることを可能にする魂である。「美徳は民主政の魂であるだけではなく、この統治においてしか存在しえない」とされるのは、貴族政や君主政と違って民主政のもとでは国家が全市民にとって平等な(=みんなと同じ)祖国となり、よって同じ(・・)犠牲の対象になるからだ。

 驚くべきことに、「美徳は人民には自然である」と言われる。一方で、代表者(国民公会議員)に向けて、「私個人の下劣なことに魂を没頭させ、卑小な事柄への熱中や偉大な事柄への軽蔑を呼び覚ます傾向のあるものはすべて排除され、制圧されなければならない」と訴える。「フランス革命の体系の中では、非道徳的なものは非政治的であり、腐敗したものは反革命的である」。それは、本来は(・・・)徳のある存在である人民の傾向ではないため、人民に汚染することのないよう除去されなければならないという発想になる。言うまでもなく、この発想には、ロベスピエールが革命勃発前後に読んだと思われるルソーの著書の思想が垣間見える(第9回)。

 そこで、「恐怖」が必要になる。すでに前年の演説で「恐怖をもたらさなければならない」と指摘していたが、美徳とともに恐怖が革命政府(革命時の民主政治)には必要だと断じる。

 

美徳なくして恐怖は有害であり、恐怖なくして美徳は無力である。恐怖は迅速、厳格で、仮借なき正義〔の執行〕以外の何物でもない。したがって、恐怖は美徳の発露である。それは個別の原理というより、祖国のもっとも差し迫った必要に適用される民主主義の一般の原理の帰結である。

 

 なるほど、「平時における人民の政府の原動力は美徳である」とされ、「美徳と恐怖の双方」を必要とする革命時のそれとは区別される。だが、二つの時期はそれほど明確に区別できるだろうか。言い換えると、平時であれ人民本来の「美徳」を脅かす〈敵〉がいない、「恐怖」のいらない状態、つまりは人民の《単一性(同質性)》が達成された状態を現実的に想定することは可能だろうか(もちろん、その状態に至ることがロベスピエールの理想ではあっただろう)。それができないとすれば、時代に関係なく、民主政治には多かれ少なかれ、「恐怖」がつきまとうということにならないだろうか。

 この場合、恐怖とは、〈敵〉を排除することで人民の《単一性(同質性)》を回復させる手段である。革命家はこれを、民主政が必要に迫られた際に用いる「民主主義の一般の原理の帰結」と表した。

 さらに、〈専制の原動力は恐怖である〉と唱えたモンテスキューを意識しながら、ロベスピエールはあるべき革命時代の民主政としての「革命政府は、暴政に対する自由の専制である」と喝破する。確かに恐怖は専制君主が愚かな臣民を支配する常套手段だが、民主政のもとでも自由の〈敵〉を制圧する手段として肯定される。目的次第で手段は正当化されるということだろう。

 このようにロベスピエールの演説、その中に発露する思想を見ていると、彼の言う〈美徳ある民主主義〉はなかば必然的に恐怖を伴うように思われる。演説終盤で、二つの党派、「穏和派」と「ウルトラ革命派」に再び言及されるが、ここで彼らは「裏切り者」だと切り捨てられる。つまり、これからは両派も、恐怖がもたらされる対象になるだろう。

 《民主主義》とは、人民の意志あるいは人民と代表者のその一致に根ざした政治であり、その理想のためには、彼らを分裂させる〈敵〉は排除されなければならない。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高山裕二

明治大学政治経済学部准教授。博士(政治学)。専攻は政治学・政治思想史。著書に『トクヴィルの憂鬱』(白水社、サントリー学芸賞受賞)、共著に『社会統合と宗教的なもの 十九世紀フランスの経験』(白水社)、『近代の変容(岩波講座 政治哲学 第3巻)』(岩波書店)などがある。

連載一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら