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ロビンソン酒場漂流記

2024年2月26日 ロビンソン酒場漂流記

第11夜 二本松のひとつ屋根の下で

JR横浜線相原駅 徒歩30分「さつき」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 待ち合わせはJR横浜線の相原駅だった。

 「今度のロビンソン酒場は相模原です。待ち合わせは相原にしましょう」

 出かける前、私はいつもの相棒・編集者のMさんに、そう伝えてあった。日暮れどきの相原駅、時間通りに私たちは落ち合った。冬の夕方だったけれどストイックにサングラスかけてきてくれたMさんと一緒に、西口と示された階段を降りてロータリーに出たところ、案内板を見てそろって首をかしげたのだった。

 そこにあったのは

 『町田市案内図』

 だったからだ。

 世の町田通にとって、「町田市の形はフロリダ州の形に似ている」ことは常識である。フロリダ州は南北にのびた半島が目立つが、実は西にも細長くのびている。町田市も同じで八王子市、相模原市に突き刺さった注射針のように西に長い。JR横浜線の町田駅はもちろん町田市にある。横浜線は、その後ずっと相模原市内を通っているが、相原駅で突然、町田市が復活する。そして次の八王子みなみ野駅から先は八王子市内を走っているのだ。学生時代、相原駅を毎日のように通過して八王子駅で中央線に乗り換え国立駅まで通っていたが、相原が町田市だなんて、この日までまったく知らなかった。

 相原駅を降りると、やけにつるっとしたバス乗り場があって、二両連結したトラムのような巨大なバスがやってきた。車内は、若者で満杯である。法政大学の多摩キャンパスの学生さんたちらしい。これだけヤングピープルが乗り降りする駅なら賑やかそうだけれど、相原駅はとても静かだった。ロータリー周辺には店らしい店はほとんどなく、大学の帰りに一杯やるという雰囲気は全然ない。今回訪れるロビンソン酒場は、最寄駅から最高にロビンソン度数が高いのだ。

 私が最後にそのロビンソン酒場に行ったのは、たぶん学生のころである。法政大学の学生さんに恋をしたとか、そんなロマンチックな話は一切なく、ほかに何か理由もあったような気がするが、基本的には生来のプチ放浪癖でなんとなく相原駅で下車してしまって偶然見つけた店だった。当時はスマホもガラケーすらも持っていなかったから、ほとんど遭難に近い状況で見つけた、その店のことは忘れようもなかった。住所もおぼえている。相模原市二本松という、とてもトラッドな雰囲気の漂う地名だった。

 どんな酒場を訪れるときも私はなるべくスマホを見ないようにしている。酒場をさがすときくらい、人は機械ではなく勘に頼りたいではないか。呑兵衛の勘ほどあてにならないものはないは承知している。それもふくめての酔狂なのである。

 ところが、なのであった。一度行った場所の記憶は、案外忘れないたちなのだけれど、相原駅からその酒場へつながるはずの景色があまりにも変わってしまっている。そのときMさんには言わなかったのだが、実は心中で

 「間違えたかも」

 と、おそろしいことを考えていた。不安を隠そうと、Mさんを連れて、あたりを意味もなくブラついてみると、なにやら喫茶室なる看板がある。看板はあるが、ほとんど「店」らしさはなく、ほぼ純粋に民家なのだ。こういうトリッキーな店があればたずねずにはいられない。入口を探してみると、土足厳禁でスリッパが用意されていた。

 入ってみると、立派なお家のリビング、という雰囲気の空間で、マダムがコーヒーをいれてくれる素敵な店だった。そこでロータリーのことを聞いてみたら2016年に改修工事がすんで昔とはすっかり雰囲気が変わってしまったことがわかった。居心地のいい店だったし、ビールもあるらしく、いっそ、ここで肩慣らしに一杯やってしまおうかと考えていたら、Mさんはそれを見透かしたかのように、日が暮れないうちにロビンソンを目指しましょう、と席をたった。もつべき者はよき旅の友である。

 相原駅の西口から南西に向かったところに件のロビンソン酒場はある。道はほとんど平坦だ。古い家と新しい家が混在するのは、ベッドタウンによく見られる光景だ。かつては農家と農地と山林だったのが、徐々に開発され宅地が造成されていったのだろう。豪農、という雰囲気の家の間に、昭和が色濃く残るアパートが建っているかと思うと、突然、パワービルダーが建てたであろう細長い家が何軒か連なる。元号であれこれ区切るのは案外意味の無いことと思いつつ、昭和と平成と令和がパッチワークのように並んだ景色を眺めながらひたすら歩いた。

 途中、またしてもヤングなパッセンジャーで満ち溢れたバスに何台も遭遇したが、道すがら学生さんたちが馴染めそうな居酒屋が全然無いのが不思議だった。あの人たちは、どこでコンパをするのだろうか。

 そんなフレッシュな雰囲気一杯のバスが通る大通りから、途中細い道に入ると、急に街灯が減った。家の表札を見ると、町田市ではなく相模原市になっている。いつの間にかアクロス・ザ・ボーダー…シティポップのような惹句が思い浮かびほくそ笑む。

 それにしても暗いので、私が

 「なんとなく奈良の夜を思い出しました」

 とつぶやくと、Mさんが

 「サガミナラ」

 と、どう料理していいのかわからないことを言った。おそらく疲れているのだろう。できれば、途中に酒屋でもあれば、そこで一杯やって、フライイング・ロビンソンと洒落込んで二人して目を覚そうと思ったものの、あたりには酒屋どころかコンビニもなかったのであった。

 が、ぬばたま、の三歩ほど手前程度に暗い道はそれほど長くつづかず、案外、といってもすでに20分は歩いていたが、大通りに出た。信号があって看板には

 「二本松」

 と、ある(こういう信号機にくっついた看板は交差点名標識と呼ぶらしい)。ここまで来たら、もうすぐだ。それまで疲れ切っていた私たちは、看板を見た途端に元気をとりもどし、薬局の店先に立っていたオレンジ色の象の像を撫でては

 「酒場はもうすぐだゾウ」

 「こら、ソウゾウしいゾウ」

 などと、オジサンらしさを爆発させながらいそいそと進んだ。そして、ほどなくして現れたのが、

 「大衆居酒屋 さつき」 

 なのであった。

 素朴でいかにも旨い店らしさを漂わせる看板を見ていたら、急にいろんな記憶がよみがえってきた。最後にこの店に来たのは、偶然じゃなかったことを思い出したのであった。一緒に呑んだあの人は元気にしているだろうか…。

 引き戸をガラリと開けてなかをのぞくと、ほとんど記憶どおりだった。長いカウンターと小上がり。奥に長い造りの店は、まだ早い時間だというのに、ほとんど満席である。とても便利とはいえない立地だけれど、はやっているのだ。

 ちょうどカウンター席に二人分だけ空きがあって、私たちはそこに陣取った。先代の大将・山岸國弘さんと、「あんちゃん」と呼ばれる二代目の山岸全志さんが揃って

 「いらっしゃい!」

 と、気持ちの良い声でむかえてくれた。二人とも浄瑠璃をやったら似合いそうなよく通る声だ。

 お腹はすいているし、喉もカラカラ。とりあえず生ビールをお願いすると、お通しが出てきた。たらこに焼き魚に松前漬がちょっとずつ。お通し界のYMOかRUSHか。最高のトリオである。なんというハイセンス。ねっちりとふわふわとこりこりが同居している。

 火がついた。呑兵衛の魂に。まずは、せんまい、刺身盛り合わせ、さつきサラダをお願いした。

 「魚は、専門だからね」

 刺身をお願いしたからだろう、目の前にいる國弘さんが息子さんの、あんちゃんこと全志さんを指さした。楽しみだ。

 さつきはこの場所ですでに半世紀以上営んできた。どの駅から歩いても遠いが國弘さんは

 「遠くないよ」

 と、言う。なにか近道でもあるのだろうか。こちらが

 「え?」

 と、すこし戸惑いながら聞き返したら

 「バス乗れば」

 と、破顔一笑した。國弘さんは一事が万事この調子で、カウンター周辺は常に笑い声があふれている。しかし、なぜ、ここまで駅から遠いところで商売を始めたのだろうか。

 「高度経済成長期にはね、このへんは砂利を運ぶトラックの人が大勢行き来してたのよ。この通りのある、二本松は、ちょっとした繁華街だったんだよねえ。それで、最初はすき焼きの店として開いたの」

 なのだそうだ。もともと相模原で育った國弘さんは、この店を開く前、老舗のハム会社に勤めていた。そこで働くうちに肉の目利きになった。旨い肉を選べるようになった國弘さんは、当時、金回りのよかった砂利運搬のトラッカーたちを相手にすき焼きの店を開いた。店名は、國弘さんが5月生まれだから「さつき」にした。

 國弘さんの話にうなずいていると、センマイが出てきた。センマイは牛の第3胃のことである。細く切ったそれはホルモンにありがちなニオイなど一切なく、歯応えは抜群。センマイは旨みは少なめな部位のはずだが、噛み締めるとぎゅっと深いコクを感じさせる。

 ほどなくして刺身の盛り合わせも登場。見た目だけでも一杯やれる出来栄えだ。ブリ、マグロ、エンガワ、キンメ…包丁捌きも鮮やかに、キリッと立ったエッジが連なる光景は、皿一杯の刺身の山脈である。矢も盾もたまらずキンメをパクリ。「相模原は漁師町」と言ってもいいくらいの鮮度のそれは、品のいい小脂がじわりと味わい深く、きゅっとしまった身とあいまって、舌の上でキンメがダンスする。さすがだ。

   刺身を用意してくれたあんちゃんは、この店に入るまで魚の旨い店で修行をかさねた。この刺身なら、左手にはお猪口が似合う。日本酒をお願いしようと思ったら、また國弘さんが

 「酒はあっちが専門」

 と、今度は二代目の妻、鮎子さんを呼んでくれた。あんちゃんと同じ相模原っ子で、二本松の隣町の出身だという鮎子さんは

 「勉強中なんですよ」

 と、謙遜するが、その夜

 「のどがカラカラなんですが、なんというかコクがありつつも爽やかなのを」

 などという、こちらの抽象的なリクエストにも的確にこたえる一杯を用意してくれた。おかげでMさんも私も序盤から、絶好調、駄洒落もさえわたった。

 カウンターはほどよい高さに設えられていて遮るものもあまりなく、厨房の様子も手に取るようにわかる。サラダをつまみながら、しおらしく血糖値を気にする素ぶりをしつつ國弘さんの様子をうかがうと、ステンレスのバットにぷりんぷりんのエビがのっている。ふと横を見ると、いい顔で呑んでいる常連さんが、短めの棍棒みたいなエビフライを食べているではないか。Mさんと私は無言でうなずき、声をそろえて

 「エビフライ」

 抵抗できるわけがない。ついでに馬刺と厚揚げもお願いした。もう底無しの食欲である。

 料理を待つ間、店のなかをあらためて眺めていた。

 どうしてこうも居心地が良いのだろうか。家族経営だからというわけでもない。案外ギスギスした家族経営の店なんて珍しくないものだ。この店の居心地が良いのは、関係が良好な家族が経営しているからだ。

 「ああ、おいし」

 厨房で私が注文した焼酎を注いだ國弘さんは、こんどは自分でも一杯やっている。最高だ。

 そしてついに、目の前にエビフライがあらわれた。その太さ、ちょっとしたグローブの親指部分くらいのサイズだ。細かなパン粉が見事な狐色に染まっている。自家製のソースをトロリとかけて、熱いのもいとわず、ガブリといく。ほんのりと上品な甘さのあるエビの身はむちむちの歯触り。薄い衣と密着したところに脂の旨みもくわわり、香ばしさと旨みが最高の状態で同居する。ソースのほどよい塩味が、さらにエビの持つコクを引出す。恍惚としてくる。

 一息ついて、壁を見ると、あんちゃんが三味線をひいている写真がある。実はあんちゃん、津軽三味線の伝説の名手、高橋竹山の弟子、竹音に師事した弾き手で、地元の祭りなどで大活躍しているのだ。

 しかし、どの駅から歩いても20分以上かかる場所だというのに、驚くほど大盛況である。常連からよほど愛されているのだろう、店が主催するバスツアーなどもあって、そちらも満員御礼らしい。

 エビフライで陶然としていたところに馬刺と厚揚げもやってきて、これが、またしても旨い。この店はかつて『肉と魚の店』と謳っていたが、それも納得。馬刺もさっぱりしつつも旨みがたっぷり。厚揚げも大豆の素朴なコクと、巧みな揚げ具合で、最高に旨い。

 幸せだ。 

 ここでちょっとしたミラクルがおこった。國弘さんが「旨い」と太鼓判を押したエイヒレをカウンターの客全員が注文しモグモグ揃って食べたのである。私もそのうちの一人。なんたる一体感。サンタナの「ブラザーフッド」という曲を思い出した。連帯こそ平和だ。パックス・エイヒレだ…。

 旨くて安くて居心地がいい。だから繁盛するのは当然なのだろう。だが、店のある通りには、ぽつぽつと店はあるものの贔屓目に見てもそれほどにぎわっている様子はない。大繁盛でいいですね、と言うと、國弘さんは、このときばかりは真面目な顔でこたえた。

 「他の店が無い、競争が無いといいと思う人もいるけどね、ほんとうは同業が一杯あるほうがずっといいんだよ。いろんな店がなくちゃだめなの。そのなかでお客さんは選んで来るんだし、お店もがんばるんだよ」  

 勝ち組、なんて言葉を小学生でも口にするような世の中で、なんだかしみじみとしてしまった。この店が愛されつづける理由は、こういうところにあるのだろう。帰り道、思わず二本松の不動産情報をスマホで調べてしまった。家の近くに、こんな店があったら、最高だからだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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