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チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史

前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦を生き延びて奄美の喜界島に帰還。1950年、再び沖縄に渡り、コザの歓楽街だった八重島でレストランを営んだ。

 10年前、私が沖縄へヨメに行くと決めた頃、親切な人たちがたびたび真顔で心配してくれた。「街は米兵だらけで治安が悪いんでしょ?」、「くれぐれも夜道を歩かず戸締りは厳重に」、「ハブに気をつけて」。
 実のところ、那覇や宜野湾の街中で米兵を見かけることはない。週末の繁華街では良からぬ輩が夜遊びするかもしれないが、地味な主婦には無関係。飲食店や公園で出会う米兵は礼儀正しく、厳重に指導されているのか日本人と目を合わせない。ハブはこの10年、動物園かハブ酒の中身でしか見たことがない。
 だから、「復帰前のコザの街は、米兵が我がもの顔で暴れまわる無法地帯だった」というのも、無知ゆえの思い込みらしい。
 初めて勝田さんに会った頃、「お店をしていて、嫌な目に遭ったり恐い経験をしたりしたことは?」と尋ねると、勝田さんは少し考え込んだ。

 そうですねぇ。…食べたのに払わないのはおりました。食べてから寝るくせのある兵隊がいて、そのままテーブルに寝た場合、皿を片付けたらダメです。起きた時、「食べてない。どこに証拠があるか」と文句を言う。だから、皿でも酒でも、金をもらうまで置いとくのが我々の方針です。
 それと、支払いの場合。例えば、ビールが1ドル50セントだとして、2ドルとか5ドルの紙幣をもらっても、すぐ金庫に入れたらダメなんです。「今のは20ドルだった」と言ってくることがある。お釣りを渡すまで、お金はそこに置いて確かめておかんと。そういうのはありました。

 意外とのどかな「トラブル」に、失礼な質問かと思いつつも重ねて尋ねる。店で暴れられたり喧嘩されたりしたこともないですか? 

 そういうことはなかったですね。この人はそれなりの悪者だなぁと思う人は注意をして、手が届かない範囲にいるようにする、それが大事ですよね。…まぁ、トラブルが多いのは、やっぱり女関係ですよ。女性がいるクラブやバーなんか。我々レストランは食べるところなので関係ない。

 「結局、彼らの性質のあり方や、言葉もいくらか分かっていれば、トラブルはあまりないと思うんだけどね…」。そして、「いや、実際、面白いですよ、彼らと商売するのは」と、勝田さんは楽しそうに笑った。
 立地も関わるかもしれない。「基地の街」もいろいろで、コザの八重島やセンター地区は、嘉手納基地の門前町だ。嘉手納には陸軍や海兵隊もいるが、空軍やファミリーが多い。金武や辺野古は海兵隊の街で、船が来れば一時的に兵隊があふれ、やがて一斉に去る。「だから嘉手納のエアフォース(空軍)を相手にした店は、案外、落ち着きがあるんですよ。エアフォースはずっとおるからね」。

 でも昔はね、黒人と白人との喧嘩がよくあったんです。例えば十字路は「黒人街」、BCは「白人街」でした。白人が黒人街に行ったり、黒人がBC通りに来たりするとみんなでやられる。54年頃からかな、同じ兵隊が喧嘩するのはいかんと、あまり喧嘩もなくなりましたね。


1965年頃のスーパーレストラン。白人客が多かったが、黒人の将校クラスも来ていた。勝田家提供

 「十字路の黒人街」とは、照屋のことだ。BCや八重島から車で3分もかからない距離だが、客層も雰囲気もまるで違って「Black Heaven」と呼ばれたと聞く。現在の様子を見たくなり、1月末のある日、照屋を歩いてみた。

 

筆者撮影

 高いアーケードの商店街は、ほとんどがシャッターを下ろす。支柱にサビが浮き、見上げると天井がところどころ崩落している。アリの巣のような市場に入ると、食品店や雑貨店がまばらに開いているだけだ。洒落た建物の造りや装飾に、かつての賑わいを想像するしかない。
 この辺りでは戦後まもない頃から米兵相手の水商売が始まり、1950年代半ばには黒人の街として定着した。八重島やBCストリートの辺りが整備されたのと同じ時期である。
 米軍の人種差別対策は早い。1948年、トルーマン大統領の行政命令「軍隊における処遇と機会の均等についての大統領委員会の設置」に始まる。軍隊内での人種・信仰・出生地などにもとづく差別や分離は廃止された。だから、例えば戦後まもない越来(ごえく)村に駐留していた黒人部隊(第931航空工兵隊)のような人種別の編成は、それ以後、廃止されている。
 しかし、組織は変わっても意識は根強い。かえって、基地の外での分離をもたらしたのである。沖縄の各地の歓楽街では、白人と黒人の抗争が頻発した。陣取り合戦の結果、照屋からは白人が締め出され、八重島やBCはほぼ白人の街に落ちついた。
 黒人を排除しようとしたのは、白人兵だけではない。地元・沖縄からの「経済的」差別もあった。黒人は白人より消費が少なく、黒人を顧客にすると白人客が離れる。店側は黒人客に高額をふっかけたり、入店を断ったりした。店の従業員と兵士との乱闘事件まであった。MP(憲兵)も衝突を避けるため、人種が混在しないよう警備・誘導したという。
 米軍では沖縄での人種間対立を深刻に受け止め、詳細な報告書(”Racial Tensions in Off-Base Bar Areas on Okinawa”, 270/19/23-24/5-1)を作らせている。(山崎孝史「資料解題」とともに沖縄市『KOZA BUNKA BOX』第10号(2014年)所収)
 ホワイトビーチに軍艦が着くと、兵士たちはタクシーに乗りあわせて繁華街へ向かう。黒人たちは照屋で下りる。白人たちの車は交差点を通り過ぎてBCやゲート通りに向かった。
 古くからの歓楽街で「オールド・コザ」と呼ばれた照屋の界隈は、「ブッシュ bush」と呼ばれるようになった。沖縄全域から黒人兵が集まり、やがて本国での公民権運動を追い風に、独自の文化が生まれた。

久志刺繍店。表のガラス戸には、学ランを着た松田聖子のポスターが貼ってある。筆者撮影

 当時の黒人兵の間で大流行したデザインを一手に手掛けた「久志刺繍店」が、今も市場の外にある。ふらりと店内に入ったら、親子連れと店主の視線に射られた。「15分後に来てくれ」と素っ気なく追い出され、周囲をひと廻りして時間を潰す。おそるおそる再訪すると、店主ひとりが警戒した顔で迎えた。
 私のことをパトロールする教師かPTAママだと思ったそうだ。違うと分かって、店主の久志弘さんは安堵した笑顔を見せてくれた。
 現在、お店の上得意客は、卒業式シーズンの中学生だそうだ。
「米兵相手の仕事は、本土復帰で辞めてね。日本人向けにネームの刺繍なんかするうち、暴走族の特攻服を頼まれるようになって、今は卒業式の学生服。うちは安いってんで、那覇からも来るよ。ああやって親と来て、親が支払いをするんだ」と言われ、幾重にも驚いた。
 それにしても、学生服に刺繍? 首をひねると、「写真は撮るなよ」と念を押しながら製作途中のを何枚も見せてくれた。学ランの背中一面に刺繍が入っている! 私が中学生だった80年代の京都南部では、竜だの般若だのが裏地に入った特殊加工の制服が不良グループの先輩から後輩へと受け継がれたものだが、これは自分の制服を卒業式のためだけに贅沢に加工するという。
 裏を装飾するのは和服に似るが、表に派手な刺繍を施すのは軍用ジャケットの模倣だろうか。ふと「ヤンキーからヤンキーへ」という少々下品なコピーを思いついたが、残念ながら黒人兵をヤンキーとは呼ばないので却下である。ちなみに気になるお値段は、だいたい4万円弱だそうだ。

サンプルの特攻服だけは撮影を許された。これより派手な仕上がりで、学ランやセーラー服の背中から肩にかけて全面に、学校名や名前や自作ポエム、校章や桜などの模様が入っているのを想像してほしい。筆者撮影

 久志さんの刺繍はコンピューターミシンではない。今どき珍しい横振りミシンを両手両足で操る。絵や構図は客の希望通りに図案を起こす。「文字なら下書きなしで縫えるよ」と華麗な職人技を披露してくれた。
 中学生の頃から父親を手伝って図案を描いていた久志さんの画力は芸術的で、刺繍の仕上がりは実に美しい。私も何かに刺繍してほしくなった。スーツの背中は、大人としてまずいだろうか。着物ならいいのではないか…。

店主の久志弘さん、75歳。父が疎開先の九州で進駐軍相手の刺繍屋を始め、米軍を追って沖縄へ戻ってきたそうだ。筆者撮影

 久志さんは、開店した1966年当時の注文ノートを取りだして見せてくれた。ベトナム戦争初期の帰休兵たちが、ベトナムの地図や滞在期間、部隊名、戦車やスヌーピーの絵などをジャンパーの背中に入れるよう指示したものだ。
 本国の公民権運動も影響して、人気デザインも変わる。黒い握りこぶしや赤玉ワインを飲む黒ヒョウの図案を誰かのリクエストで作ったら、「同じのをくれ」という注文が殺到した。そこに「BLACK IS BEAUTIFUL」や「BLACK POWER」の文字を入れる。1970年頃には、照屋あたりで遊ぶ黒人の多くが、久志さんデザインのジャンパーを着ていた。
 「外では、黒人が集団になって白人を車から引きずり降ろしてボコボコに殴ったりしていたね。こちらも慣れてしまって、『お、やってる、やってる』なんて店の中から見物した。でも、自分たちに乱暴されたことは一度もないね。…あ、万引きは多かったよ。だから一人ずつ店に入れて、こうやって仁王立ちで見とくわけ。盗られても注意すれば、ソーリーって返しよったさ」。クックックと思い出し笑いをしながら、久志さんは楽しそうに話してくれた。
 そして、「これ、自分よー」と壁に飾った1975年に撮影された写真を得意げに指した。

兵隊は15日と30日のペイデイ(給料日)に一斉に買い物に来るから、それまでにパッチを作りためておく。来店した客にショーケースから好きな組み合わせで選んでもらい、裏の「女商売の店」などで遊んでくる間に縫いつけるそうだ。写真:松村久美

 これを撮影した松村久美さんには、1970年代の照屋の写真が多い。沖縄の写真資料をあれこれ見て探しまわるうち、この写真家が気になってきた。
 本土復帰の前後、本土から来た夥しい数のカメラマンが沖縄に滞在していた。だから復帰運動やコザ暴動のような「社会派」写真は山ほどある。歓楽街の、それも黒人街は珍しい。しかも、この人は歓楽街の「中」で撮る。自分の主張ではなく、そのままの人をすぐ近くで、正面から捉える。愛を感じる。何者だろう? ネットで検索しても情報はほとんど出てこない。
 好奇心抑えがたく、写真の借用依頼をするため役所で電話番号を教えてもらい、長くためらった末に思い切って電話をかけてみた。はつらつとした女性が出た。少し話しただけで意気投合し、話が弾んだ。…それでつい油断して、あの手の質問をしてしまった。
 「夜の照屋で撮影して、危ない目に遭うことはなかったですか?」
 松村さんは気を悪くしたふうもなく、明るく笑った。「それ、よく聞かれるんですが、本当に一度もないんです。個人的に誘われても行かない、麻薬はしない、それだけは決めていたから、危ないことなんて一度もなかったです。23歳のうら若き乙女だったんですけどね。あはは。」
 松村さんの写真に写る黒人兵は、休暇を楽しむ青年たちだ。お洒落して、仲間とつるみ、恋して、踊って、酒を飲む。

1970年頃、バーで踊る黒人兵。写真:松村久美

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

宮武実知子

みやたけみちこ 主婦・文筆業。1972年京都市生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得退学(社会学)。日本学術振興会特別研究員(国際日本文化研究センター)などを経て、2008年沖縄移住。訳書にG・L・モッセ『英霊』などがある。「考える人」2015年夏号「ごはんが大事」特集に、本連載のベースとなった「戦後日本の縮図 タコライス」を寄稿。

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