息子の同級生の母たちにばったり出会うと、「そろそろやな」、「また行事が終わったな」と言い合うのが最近のお決まりになっている。長い人では保育園時代からの付き合いであるから、十年を超えて、互いの子どもの成長を見守ってきた。まだ歩くこともままならない乳幼児の頃から知っている子どもたちが、来春には小学校を卒業する。これは、我々母親たちにとって大きな区切りのようなものだ。いや、他の人たちがどれだけそう思っているか定かではないが、なんとなく身構えているのはわかるし、少なくとも私にとっては、とんでもなく大きな区切りなのだ。

 確かに、保育園を卒園する時にも、万感の思いはあった。初めての育児に悩み、疲れきっていたあの頃は、保育園の先生のひと言や、子どもの咳やくしゃみや発熱にいちいちビクビクしていたものだった。つまり、あの頃、私たちの誰もが新米の母親であったのだ。保育園の卒園は、そんな新米だった私たちが、育児の基礎編を一応マスターしたという証のようなものだった。小学生になったら登下校は自分たちでするんだって! ウソみたい!と、今考えたらある意味普通のことに大きなありがたみを感じ、期待に胸を膨らませていた。眠ることもできないような辛い育児から解放されるに違いない! という喜びは、とても強かったように思う。卒園証書をもらったのは、ある意味私たちだったのだ。

 しかし、小学校卒業が間近に迫る今、私の胸に去来するのは、そんな喜びではなく、どこにも持って行きようのない寂しさだ。息子たちは、子どもから大人になろうとしている。十二年間、片時も私の側を離れず暮らしてきた二人が、少しずつ私から離れはじめるその時が来たのは間違いない。私にはそれがどうしようもなく寂しい。心がちぎれてしまいそうだ。喜ばしいことが、常に心を躍らせるとは限らない。特に子どもの成長は、喜びと寂しさが複雑に絡んで、いてもたってもいられなくなる。こんな気持ちを抱えていたら、おかしな母親だと思われるだろうか。 

 広島への修学旅行に息子たちが行ったのは、先日のことだ。出発前日、スーパーで旅行に必要な雑貨を買い揃えながら、様々なできごとを思い出した。大人用の下着をカゴに入れながら、「未熟児だったのに!」と驚かずにはいられなかった。NICU(新生児集中治療室)に入院していたあの小さな赤ちゃんが、もうこんなに大きくなったのかと、十二年という月日の流れの速さに呆然とするしかなかった。25-27センチの靴下をカゴに入れながら次男の巨大な足を思い出し、笑いがこみ上げてくる。赤色が好きだった長男は、六年生になって青や緑が好きになった。長男が喜ぶだろうと緑のタオルやハンカチを選び、そういえばあの子、おかっぱ頭がよく似合うかわいらしい子だったなあと微笑ましかった。今は男の子らしい髪型になったけれど、優しい顔立ちはそのままで、年齢より少しだけ幼い。そんな幼さを思い出したら心がふわっと温かくなった。直後、しんみりと悲しくなる。ああ、時は流れてゆく。私と二人の息子たちとの思い出も、いつかは薄れ、過去の記憶として消えて行くに違いない……。

 なぜだか傷ついてしまう。決して短いとは言えない期間、育児に奔走したではないか。泣くことしかできない、ただ寝ているだけの赤ちゃんを、座らせ、立たせ、歩かせたのはこの私ではなかったか。やっと成長してくれたと一息ついて、これから成長した子どもと人間同士の対話を楽しめるのではと思った瞬間、「巣立ちでーす! お世話になりましたー!」と言われているような気がするのだ。おいおいツバメか? 随分あっさりだな! と、文句が出そうになっている自分が怖い。これはなにやらおかしな気分である。まさか嫉妬? いや、誰に? ままま、まさか、私の中に小さな姑が爆誕か!? 最も恐れていたことが起きてしまったような気がするではないか。自分の中に芽生えはじめた忌まわしい感情の新芽をせっせと摘みまくる。子どもの人生は彼ら自身のものに相違ない。

 さて、修学旅行である。広島までの一泊旅行を二人は大いに楽しんだようだった。駅まで迎えに行くと、改札から出てきた長男は、はにかみながら私のところに走りより、私の両手を握った。「おかえり。楽しかった?」と聞くと、「うん、すごく楽しかったよ」と小さな声で答えて、再びクラスメイトのいる場所まで走って戻っていった。すっかり声変わりし、私の身長をいつの間にか追い越した次男は、私を見つけると恥ずかしそうに「オッス」と(野太い声で)言い、買ってきたお土産が入ったビニール袋を私の方に高く掲げて見せた。

 家に戻った二人は口々に「やっぱり家が最高!」と帰宅を喜んだ。私はといえば、子どもたちが思う存分旅行を楽しんだ姿を見て、それだけで充分だった。子どもたちから私へのお土産は、キーホルダー。小さいものでいいという私のリクエストをちゃんと覚えていたのだろう。二人からのお土産を見つめながら、私の十二年間はきっと報われたのだと考えた。