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おかぽん先生青春記

 1990年代初め、俺はつくばの研究所にいた。まわりはみんな早起きで昼休みには野菜サラダを食べ、帰宅前にはランニングをしているような健康的な生態学者たちだ。俺はひとり、みんなが昼飯を食べ終わったころのっそりと現れ、カップラーメンをこそこそと食べ、みんなが帰ったころ本格的に研究を始める日々であった。研究所には自転車で30分ほどかけて通っていたので、今考えてみると俺にしては運動していた日々だと言える。
 ただ、その自転車も鼻歌をうたいながらちんたら漕いで通っていたわけで、まじめに乗ってきたならおそらく15分で着いていたであろう。今もある程度そうだが、俺はどうもきちんと生活することに罪悪感を持っているのではないかとさえ思える。
 当時のつくばは、夜になるとほんとうにまっくらで、道に落ちていたでかい石に自転車ごと乗り上げ、ひっくり返って10分ほど動けなくなったこともあった。またある時は、少し早めに帰宅しようと思い、ラボを明るいうちに出たのは良いが、へんに浮かれてしまって中島みゆきの「うらみ・ます」を歌いながら自転車を漕いでいた。ふと気づくと、俺の後ろには女子高校生自転車集団が俺を抜くに抜けずに困っていたこともあった。たいへん申し訳ない。まあ、1990年代初頭のつくばはそういうところであった。
 1960年代にティンバーゲンという学者が動物行動の理解には4つの視点が大切であると言った。この方は後に動物行動学の確立でノーベル生理学・医学賞をとったほどの碩学である。碩学だからノーベル賞をとったのであり、ノーベル賞をとったから碩学なんじゃないよ。4つの視点とは、仕組みと発達、機能と進化である。
 仕組みとは、その行動を引き起こす筋肉運動や神経系のからくりを問うことだ。
 発達とは、その行動が、動物が生まれてからどのように変化するかを問うことだ。
 機能とは、その行動をとることで、動物にとってどのような生存上の利益があるかについて問うことだ。
 進化とは、その行動が祖先においてはどのような行動であったかを問うことだ。
 動物の行動研究は、1960-80年代の間は、ティンバーゲンの4つの質問に沿って進められるのが理想とされていた。例えば、鳥がなぜ歌うのかを知るには以下のような研究が必要である。
 仕組み:鳥が発声するための器官とその制御について。
 発達:ヒナが父親の歌を記憶し、最初は下手な歌だが、だんだんと練習を重ねて上達していく過程。
 機能:鳥が歌をうたうことによって配偶や繁殖で利点があるかどうか。
 進化:近縁種と比べて、その鳥の歌はどう変化しているのか。というわけだ。
 これは大変である。一人で全部できるわけはない。一人ができるのは、これらの研究のごく一部である。しかし行動学者であるからには、この4つの質問を常に心に置いて研究をするのがカッコいいのだ。
 ところが1980年代中頃には、4つの質問のうち仕組みと発達を中心に研究するのが神経行動学、機能と進化を中心に研究するのが行動生態学というように、行動学は大きく2つの潮流に分かれてしまった。前者はなかなか仕事が終わらないので夜型になり、後者は動物の行動を観察するので朝型になる(夜行性動物を研究する者は除く)。そして神経行動学者は生態学者のことを道楽者と罵り、生態学者は神経行動学者のことを近視眼的と罵るのであった。
 さて俺は、みんなが帰った研究室でふたたびカップラーメンをすすりながらこの分断をなんとかせねばと考えていた。行動学はティンバーゲンの理想に戻らねばならない。そのためにはどうすればよいのか。俺はどんなことでも道具から入りがちなMONOマガジン男である。だから俺は、研究所にあった顕微鏡を占有しF1マシンのように(例えが古いだろうか)チューンナップしていた。一方、彼ら行動生態学者たちは、顕微鏡ではなく双眼鏡を自慢していた。俺たちは顕微鏡はニコンかオリンパスかで言い争うが、彼らは双眼鏡はツァイスかスワロフスキーかで言い争うのである。やつら、やはり道楽者なのだ。
 しかし、そう言ってばかりもいられない。俺はこの分断をなんとかするためにこの世に送られてきたのだ、と当時は半ば本気で信じていた。俺がまずすべきことは、双眼鏡と顕微鏡の間を流れる広くて深い河を埋めることなのだ。そのために俺は双眼鏡を買わねばならない。それがこの分断を埋める第一歩となるはずだ。
 そこで俺は、俺の経済レベルでぎりぎり購入可能であった某社の2万円の双眼鏡を買った。双眼鏡などは2千円くらいかと思っていたが、ほんとによく見える双眼鏡は20万円くらいする。それはまだ早い。まずは2万円のものから始めよう。しかし双眼鏡を買っても、それで何を見るのかを決めねばならぬ。当時のつくばは空気がきれいで、夜、双眼鏡で空を見ると天の川だって見えた。しかし、天の川を見ていても動物行動学は進歩しない。
 俺が見たい野鳥はいるか。そうだ、コシジロキンパラだ。コシジロキンパラは、ジュウシマツの祖先種である。本来、日本にはいないはずだが、台湾あたりから台風に飛ばされて沖縄に定着した群れがいるという。ちゃんと「日本の野鳥」にも載っていた。ジュウシマツの歌が複雑であるのに気が付いていた俺は、その祖先種であるコシジロキンパラの歌を調べることで、行動生態学に一歩足を踏み入れることができるのではないだろうか。俺はこの計画がすっかり気に入り、日々顕微鏡をのぞきながらも、沖縄でコシジロキンパラを観察する日を夢見て、つくばで着々と計画を練っていたのであった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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