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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 7月の初めに奥秩父の前衛峰に行った帰りに山梨県甲州市の塩山(えんざん)のスーパーに寄ると、入ってすぐのところにお盆用品の特設コーナーがあった。盆ござだのおがらだの籠盛りの果物だのといった、お盆の支度を整えるための品々が狭い通路の両脇にぎっしり並んでいる。なかには精霊馬を作るためのナスとキュウリセットなど、随分と古風なものまである。ご先祖様がこれに乗って帰ってくるというものである。甲府盆地の一角である塩山は、ぶどうやももなどの果樹栽培が盛んで、一帯には広々と畑が広がっているが、農家の人々はどうやら今でも意外と昔ふうなのかもしれないと思う。

 それまで通路の右手ばかり見ていたので、左手はと見ると、安倍川餅がどっさり積まれていた。通路を通る人々は皆その前に立ち止まって、ほぼ全員が餅を手に取って籠の中に入れている。餅棚の上には垂れ幕が盛大に掛かっており、「お盆さんに欠かせない安倍川餅」とあった。お盆にさん付けは初めて見たが、お盆=ご先祖の意味合いなのだろう。

 安倍川餅はどれも平たいパック入りで、大中小とあり、平ぺったい白餅数切れにきなこと黒蜜でワンセットになっている。スーパー独自の商品もあるほどで、すでにきなこがまぶされた、ぜいたくもちなる商品もある。パックとは別に、薄くのした白餅も大中小と置いてある。

ずらりと並んだ安倍川餅。「お盆必需品」「ご馳走メニュー」の垂れ幕あり

 ここではたと思い出したのが、山梨のお土産として名高い信玄餅である。小さなビニール風呂敷に包まれた箱にきなこをまぶした小餅が入っていて、別添えの黒蜜をかけて食べる。お餅の形は薄型ではなく正方形に近いが、あれはもしかして安倍川餅がもとになっていたのだろうか。

 安倍川はご存じのとおり南アルプスの一角を源として静岡県内を流れる川で、江戸時代には、川を越えて東海道を行く旅人たちに近在の茶屋がきなこ餅を供したことから、安倍川餅と呼ばれるようになった。今でも当時をしのばせる店が数軒、橋の袂に建っている。この安倍川餅の文化が川を遡って、山国である山梨に入ってきたのだろうか。

 季節はちょうど桃の時期で、農協の集荷場で桃を売っていたおばさんに聞くと、「お盆に安倍川を食べるかって? 食べるのではなく、お仏壇に供えるんです」と言う。

「ぶどうの葉の上に、おそうめんや安倍川餅を少しずつ載せて供えます。お盆のときは盆棚をしつらえて、ぶどうなんかを上から下げてね、飾った棚に供えるんです」

 はすの葉ではなく、ぶどうの葉というところが、いかにもこの地域らしい。

「下げたお供えは食べるんですか」
「食べません。昔は川に流しに行きましたけど」

 あんなにたくさん安倍川餅が売られていたのに、食べないというので、なおも食い下がり、お盆に帰省した人たちが集まった席で食べたりするんですかと聞くと、「いえ、私の家では食べませんでした。食べる家もあるかもしれないですけど」と言って、話は終わってしまった。安倍川はご先祖様が食べるもので、この世の人はあくまでも食べないらしい。

 もう一軒、町角の和菓子屋でも店のおばさんは、「安倍川は仏様へのお供えです」と断言した。「ご先祖様へのお供えですから、自分らが食べるものではない」と、食べるなんて滅相もないといわんばかりである。

 「そういう昔からの習わしなんです。それにそんなにたくさんあげないですよ、ひと切れかふた切れで、下げて食べたりもしません。お餅なのですぐ固くなりますしね」

 お店ではお盆の時期になると、予約で薄いお餅を作っているという。そうしてひとしきり話した後に、でも若い人たちは昔どおりでなくていいと思います、今は代わりに信玄餅をあげる人も多いですね、と付け加えた。やはり信玄餅は、安倍川餅にかぎりなく近い位置づけのようだ。

お餅は薄くやわらか。特徴的なのは黒蜜で、黒糖の味よりも水飴の甘さが強い

 なぜ塩山ではお盆に安倍川餅をお供えするのだろうか。和菓子屋のおばさんによると、お盆に安倍川をお供えする地域は県内でもいくつかあるという。文献を見ると、富士川流域でもお盆に安倍川をお供えしている。富士川は安倍川と同じく静岡県内を流れる川で、その上流部が山梨県内の釜無川と笛吹川となって、笛吹川は塩山を通ってさらに奥秩父へと遡っていく。おそらくこの川に沿って駿河と甲斐の国の間で古くから人々の往来があり、駿河湾で獲れた魚介類をはじめ、さまざまな物品が行き交い、静岡の安倍川餅も山梨に入ってきたのではないだろうか。ただ、静岡では丸めた餅にきなこと白砂糖をまぶして食べるが、古くは白砂糖は高価なものだったため、山国山梨では黒蜜で代用したのだろう。またほうとうに代表されるように、山がちで米作よりも麦作が盛んであった地域では餅米も貴重だったため、お供えの餅もなるべく薄く薄く作ったのではないだろうか。今でも商品名にぜいたくもちという名前が残っているほどなのである。贅沢だからこそ、お盆のご馳走として帰ってきてくれたご先祖様に供し、自分たちは食べなかったのではないだろうか。

 もうひとつの疑問は、安倍川餅といえばきなことあんこのふた味であるが、山梨の安倍川はきなこのみである。いったいあんこは山梨に至るまでにどこへいったのだろう。これに関しては、静岡の安倍川餅も当初はきなこだけで、あんこはのちに加わったことから、山梨の安倍川も、相当古い時代、場合によっては江戸時代からこの地にあったといえるのではないだろうか。塩山にきなこの安倍川しかないのは、つまりは古い時代に伝わったものである証拠なのだ。もしくは小豆と砂糖で炊くあんこも贅沢品だったため、浸透しなかったのかもしれない。

 そうした、年に一度お盆に作る安倍川餅はぜいたくな餅、という人々の間に深く根づいた感覚と、代用の黒蜜をからめたきなこ餅の味に慣れ親しんだ嗜好から、山梨独自の安倍川餅である信玄餅は生まれ、しっかりと定着したのではないだろうか。

 ながらく、なぜ山梨ではきなこをまぶした、ある意味(名称以外は)地域性の薄い信玄餅が名物なのだろうと不思議に思っていたが、塩山のお盆の安倍川餅を見て知って、謎が解けた思いがする。

7月初旬、ぶどう農家では収穫前の手入れの真っ最中だった

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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