さて俺は、大学助手(現在は助教)になるための面接を終え、衝撃の事実を知り、飲めない酒を飲み、「酒と泪と男と女」をうたいながら帰路に向かったのであった。なお、これ以降述べることは、特定の経験ではなくいくつかの経験をもとにした複合体であることをお断りしておく。その意味で、まあこのエッセイ全体がある程度そうだが、特に今回は「フィクション」であると思ってほしい。帰路でうたった歌も「酒と泪と男と女」ばかりではなく、「煉瓦荘」(太田裕美)などもうたった。また、ここに述べることは30年ほど前のことであり、現代ではこのようなことはあり得ないことも加えてお伝えしておく。有史以前の笑い話と思ってください。
助手審査の一部として、研究発表をして質問を受ける。俺は得意の「ジュウシマツの歌文法」の話をした。このため1枚3000円もするスライドを10枚も作った。
発表を終わると、まず受けた質問は「なぜ英文論文だけなのか。日本語で日本の科学に貢献するつもりはないのか」であった。当時から、研究論文は英語で書き、世界中の研究者に届けるのが標準であった。俺自身は必ずしもそれが正しいとは思っていないし、日本語の論文を書いて日本の科学に貢献するつもりはある。だから、いくつかの研究をまとめた総説論文を日本語で書く予定だ、と答えた。しかしまさか、英文論文を出していることについて、そんな批判を受けるとは思いもしなかった。
当時、俺は10本以上の英文論文があった。米国留学中に英文論文を書く訓練は受けていた(というか、俺の先生、ボブは英語しか書けないし)ので、俺にとって論文を書くのはそれほど苦ではなかったし、研究を論文にまとめるのは当然であった。ところが次に出た質問は、「なぜこんなに論文があるのか、研究を小さくまとめて数をかせいでいるのではないか。じっくり研究してしっかりした論文を書くべきではないか」であった。俺の五臓六腑は怒りに打ち震えたが、そんなことはおくびにも出さず、落ち着いて答えた。「決して研究を小さくまとめているわけではありません。まとまりの良い単位で論文にしています。また、論文をいくつかまとめた、より大きな視点での総説も書いております」。
次に出た質問は、さらに驚くべきもので、これを受け、俺は改めて生物学者として出直すべきではないかと思ったほどである。「鳥の歌なんて心理学じゃない。生物学だろう。アメリカに戻って生物学のポストを探したらよかろうに」俺は答えた。「私は日本で心理学を生物科学として捉えなおして新しい心理学を作りたいのです。お話したように、鳥の歌はヒトの言語と共通したいくつかの性質を持っています。これを手がかりに、ヒトの言語機能の心理学的研究にも進んでゆきたいと考えています」我ながら完璧な答えである。
以上のように、俺はたいへん厳しく、見方によっては不条理な質問を受けたが、そのすべてに激することもなく(もしかしたら顔が真っ赤になっていたかも)、冷静に(終了後には手に汗握っていたが、不安感は表出していなかったはず)、紳士的に(俺はその時初めてスーツを着た。七五三のようになっていたことは否めない)ふるまった。これは俺を採用するしかないぞとほくそ笑みながら帰り支度をすると、知り合いの教員に声をかけられた。
その教員は言った。「話したいことがあるから、飲んでいかないか?」ふむふむ。俺を採用することを前提に、今後の手順の打ち合わせをするのだな。良かろう。酒の飲めない俺ではあるが、付き合ってやろうじゃないか。俺は教授たちの委員会が終わるのを控室で待ちながら、未来予想図を作っていた。またゴキブリ部屋を鳥小屋に改修せねばならないかも知れないが、まあそれも良いだろう。このあたり、土地勘がないがどの辺に住もうか。古本屋と喫茶店があるところがいいな。これからどんな出会いがあるだろうか。喫茶店のお姉さんと仲良くなって仕事が終わったら一緒に古本屋に行きたいな。俺の妄想は限りない。
ということで、俺たちは近所の居酒屋で刺身を食べながら、密談をした。俺にとっては飲めない酒だが、彼は酒好きである。メートルがあがる(酒がはかどること。死語)。しばし雑談ののち、彼は「実は……」と切り出した。「実はこの公募、すでに有力候補がいるんだ。君の発表がとてもよかったので、ひっくり返りそうになったのだが、委員長が有力候補をゴリ押しした。だから今回は済まない。またきっといい話があるよ」にゃぬ。そんな馬鹿な。だからこの先生、このタイミングで馬刺しを頼んだのか。でも鹿刺しはどこだ。俺は当然動揺していた。「ここはおごるから、勘弁してくれ」おごられるのは当然だと思っていたが、さらに勘弁までしなければならないとは。びっくりしたなあもう(死語)。
だから帰路につく俺のテーマ曲は「酒と泪と男と女」だったのだ。俺にしてはずいぶん酒を飲み、意識は朦朧としていたが、俺の脳裏にはまだ、まだ見ぬ喫茶店のお姉さんと古本屋に行く光景が流れ続けていた。次号のテーマは「ポスドクは続くよいつまでも」になりそうな雰囲気だ。
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岡ノ谷一夫
帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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