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たいせつな本 ―とっておきの10冊―

2022年9月27日 たいせつな本 ―とっておきの10冊―

(16)探検家・高野秀行の10冊

言語の面白さを教えてくれる10冊

著者: 高野秀行

川添愛『言語学バーリ・トゥード AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)
モハメド・オマル・アブディン(河路由佳/聞き手・構成)『日本語とにらめっこ 見えないぼくの学習奮闘記』(白水社)
大西拓一郎『ことばの地理学 方言はなぜそこにあるのか』(大修館書店)
澁谷智子『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(医学書院)
船山徹『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』(岩波書店)
梶茂樹、中島由美、林徹編『事典 世界のことば141』(大修館書店)
ダニエル・L・エヴェレット(屋代通子訳)『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房)
ケイレブ・エヴェレット(屋代通子訳)『数の発明 私たちは数をつくり、数につくられた』(みすず書房)
松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(角川ソフィア文庫)
吉岡乾『フィールド言語学者、巣ごもる。』(創元社)

 私は20代のころから、25を超える言語を習い、実際に現地で使ってきた。なんて言うと語学の天才みたいだが、実際には悪戦苦闘の連続だった。旅や取材の必要に応じて、文字もないアフリカの言語をネイティブの先生に学んだり、現地に滞在中に即興で習って使っていったりした経緯は先日出した『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)という本に詳述した。

 さて、私は世界各地で語学と格闘するうちに、言語そのものに深い興味を抱くようになった。いや、言語というのはめちゃくちゃ面白いのである。言語や語学のプロでもないのに、私ほど言語に深い思い入れを持っている人はめったにいないだろう。「言語推し」といっていい。

 その推しとして言わせてもらいたいのだが、言語は人間の根幹部分であるにもかかわらず、一般にはあまり理解されていないと思う。言語に関する本も何を読んでいいのかわからないという人が多いだろう。言語学者の書くものは難しすぎるし、素人向けの語学本は浅すぎるきらいがある。

 でも、ご安心を。しっかりした言語学者や専門家の書く言語や語学本の中には、誰にでも楽しめて、すごく深いものもたくさんあるからだ。

 今回は「言語本ソムリエ」を自称する私がえり抜きの10冊を紹介したい。

1. 川添愛『言語学バーリ・トゥード AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)

 最近比較的若い世代の言語学者が続々と一般向けの楽しい言語エッセイを発表しており、本書はその代表格。カバーのイラストが長州力や藤波辰爾ら往年の名プロレスラーに取り囲まれた、ノーム・チョムスキー(20世紀最大の言語学者と言われる人)という時点ですでにどうかしている。実際、本書では、プロレスやお笑い芸人のネタをふんだんに盛り込み、言語学の本質に迫っていく。私は何度腹を抱えて笑ったかわからないが、一方で、「宇宙人の言語とは?」とか「AIに人間の言語が理解できる日は来るのか?」という深遠なテーマを滑り込ませているので油断ならない。

2. モハメド・オマル・アブディン(河路由佳/聞き手・構成)『日本語とにらめっこ 見えないぼくの学習奮闘記』(白水社)

 私の旧友・悪友であるスーダン出身の盲人アブディン。目が見えない彼がどのように日本語を学んでいったのか。彼にとって日本語とは何なのかが具体的に語られる。個人的には、夏目漱石と落語とラジオの野球中継をどれも「音の芸能」とみなす彼のセンスに驚嘆した。やっぱりすごい奴だったんだ。私がプロデュースした同じくアブディンの青春記『わが盲想』(ポプラ文庫)もお薦めです。

3. 大西拓一郎『ことばの地理学 方言はなぜそこにあるのか』(大修館書店)

 山梨県甲府市の方言では「言わない」を「言わん」と、西日本の方言のように言う。それは一体なぜか? 何気ない方言の不思議を、川や海の交通網、家族制度、人口密度などから、まるでシャーロック・ホームズのようにするすると読み解く技法に感嘆! 

4. 澁谷智子『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(医学書院)

 日本手話は身振り手振りではなく、また、日本語とも全く異なった体系をもつ言語である。ろう(聴覚障害者)の人は手話を用いるが、その子供たちは「聞こえる人=日本語話者」であることが多く、そういう人たちを「コーダ」と呼ぶ。手話と日本語のバイリンガルという特殊な言語生活を営むコーダの苦闘と魅力を描く佳品。これも立派な言語本である。

5. 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』(岩波書店)

 本書を読んで、私は「翻訳」のイメージが180度変わった。インドの仏教経典がサンスクリット語から中国語に翻訳されたとき、なんと何人もの僧侶がまるでトヨタの自動車工場のように流れ作業で訳していったという。聖なる経典の翻訳は個人の技倆や感性に左右されてはならず、品質を一定に保たなければいけないのだ。とはいえ、中国人はインド人の冗長さを好まず、不要な部分をばっさばっさ切っていったとか、「直訳派」の玄奘は「意訳派」のインド人僧侶に最終的に敗れたとか、読み応えのあるエピソードも満載。学術書でありつつ、翻訳裏話(?)の最高峰である。

6. 梶茂樹、中島由美、林徹編『事典 世界のことば141』(大修館書店)

 世界各地の141の言語について、133人のフィールド言語学者が、基本的な言語情報に簡単な挨拶・会話例、お薦め本や信頼できるウェブサイト、そして背景となる社会や暮らしも紹介した世界のことば百科。実に読みやすく、どのページを開いても面白い。私が最も好きな言語ガイドブック。

7. ダニエル・L・エヴェレット(屋代通子訳)『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房)

 言語本を選ぶとき、本書を外せる人は誰もいないだろう。南米アマゾンの先住民ピダハンを30年以上にわたって研究した言語学者にして元宣教師による衝撃の一冊。ピダハン語には「父」「母」「左右」もなければ「数」も「色」を表す言葉もない。こんな言語あるのか!と思うが、著者のたどった運命はもっと劇的。一方、著者はピダハン語の特殊な文法構造と文化から、「人間の認識は言語のちがいに左右される」と主張。「人間の認識は言語に左右されない」とする言語学の主流派の説に異議を唱え、賛否両論、侃々諤々の議論を呼び起こした。いずれにしても言語本のひとつの頂点だろう。

8. ケイレブ・エヴェレット(屋代通子訳)『数の発明 私たちは数をつくり、数につくられた』(みすず書房)

 面白そうな本があるなと手に取ってみたら、著者はなんと『ピダハン』の著者ダニエル・L・エヴェレットの長男だった! 子どもの頃、父親と一緒にピダハンの村で暮らしたケイレブは長じては人類学者となり、「なぜピダハン語には数がないのか?」を基点に「数とは何か」を調査研究した。その徹底ぶりは人間だけでなく、動物の数認識にまで及んでいるからすごい。その結果、3以上の数の認識は本能ではなく、言語学習の効果だと判明したという。これが彼の父親と同じように、言語学主流派に反駁する結論になるから面白い。

 数がいかにして誕生したかを先史時代の痕跡から追うスリリングさと、親子二代で言語学主流派にケンカを売るという大河ドラマに痺れる。

9. 松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(角川ソフィア文庫)

 青森県津軽地方の自閉症児は津軽弁を話さず、標準語しか話さない──。不可思議な報告を受けた臨床発達心理士である著者は調査研究を開始。すると、思いも寄らぬ言語と発達障害の関係性が浮かび上がってくる。本格ミステリ小説並みの展開に感動! オチもすばらしい。

10. 吉岡乾『フィールド言語学者、巣ごもる。』(創元社)

 著者はパキスタンやインド北部の山奥で話されている言語を調査研究するフィールド言語学者。最初の言語エッセイである『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』(創元社)では、「はやく日本に帰りたい」という絶妙なボヤキ節と鋭い言語学者魂を織り交ぜ、言語本に新たな地平を切り拓いたが、今回はコロナ禍でフィールドに行けなくなり、それをボヤキながらも、日本のあらゆる言語表現を言語学的に解析するという技を繰り出している。マンガ、YouTubeのオタク表現、猫は人間の言葉を話せるか…と、その多芸ぶりには驚くばかりだが、白眉は『ハリー・ポッターと賢者の石』の英語表現が世界53言語の翻訳書でどのように訳されているのか、自分で読んで比較するという試み。え、53言語をどうやって読むの? 中には文字がローマ字でないものも多数含まれるし、自動翻訳に任せているようでもない。それを涼しい顔でやってのけるのだから、いや、一流の言語学者ってマジですごいと思うのである。

 以上、今回は10冊を紹介したが、涙を飲んで割愛した言語本がたくさんある。実際、「面白い言語本100冊」という企画でも私は受けられる(たぶん)。いずれにしても、推しとして、一人でも多くの人に、言語本の面白さを知ってほしいと願ってやまない。

語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)

高野秀行

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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