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村井さんちの生活

 すっかり春めいてきて、近隣の山から黄色い煙が吐き出されるようになった。花粉だ。庭の雑草もじわじわと伸びてきて、冬の終わりを告げている。そろそろ本格的なリゾートシーズンがはじまるなと、なぜか私が身の引き締まるような思いだ(国道が車で混雑するから)。私が住んでいる琵琶湖の西側は、ここ数年でずいぶん人気のリゾートスポットとなった。レストランも増えたし、家も増えたし、車も増えた。町に活気が出るのはいいことだと思うのだが、後期高齢者に活気が出すぎるのは考えものだなと思う今日この頃。いえね、うちの義父です。

 ここのところ数か月の義父は、私の目から見ても絶好調である。寝たふり、死んだふりを繰り返した挙げ句、私に敬遠されたことに気づいた義父は、今度は強気に出る作戦を決行している模様だ。私が実家を訪れると、まるで逃がさないといわんばかりに小走りで私のところにやってきては、息せき切って話しはじめる。何を話すかというと、自分が日々感じる世の中の問題点についてだ。そしてもちろん、義母の様子もである。

 義父が今現在最も問題だと考えているのは、実家の外壁の傾斜だ。実際に傾斜しているかどうか、正確に判断するにはそれ相当の機材がいるだろうから断言はできないが、私が見たところ傾斜しているようには見えない。しかし、義父は傾斜してきている、今にも倒れそうだと言い張る。それが心配で毎日外壁をじっと見つめているらしい。

 「どうしても倒れてきているように見えるのや」と言う義父に、「お義父さんが斜めなんちゃいます?」と答えたら、あとで夫が「言い過ぎやで」と言っていた。さて、この場面で私はなんと義父に答えればよかったのだろう。正解はどんな言葉だったのだろう。きっと正解は、「お義父さん、もし外壁の工事を考えているのであれば、まずは私に言って下さいね。ときどき電話がかかってきたり、突然人が訪ねて来て、家についていろいろ言うかもしれませんが、それは断って下さい。どうしてもしつこいようなら、私のケータイの番号を伝えて『娘がすべて管理しています』と伝えて下さい」というものであり、この通り伝えた。義父は、ウムと満足そうだった。きっと、自分の懸念が受け入れられたと思ったのだろう(受け入れてはいないが)。

 すこし気温が上がったこともあって、毎日ウォーキングに出かけている義父だが、歩きながら町内のいろいろなところを観察しているようで、先日はこんなことを言ってきた。

 「二丁目の山下さんの家なんやけど、壁にはしごを立てかけたままにしておる。あれは問題やと思う。防犯上、あまりよろしくない」 

 どうでもよすぎる問題提起で咄嗟に言葉が出なかった。いつもの鋭い反応ができなかったことが悔やまれたが、かろうじて「お義父さんに関係ないっしょ」と答えた。すると「関係ないことない! あれは町内会の会合でみんなに意見を聞いてみようと思う」と言うではないか。めんどくさっ! まったくどれだけ暇やねんと思ったのだが、ここでの模範解答は、きっとこうだと思う。

 「お義父さん、よそのお宅の敷地内にはしごが立てかけてあろうが、楽しそうにバーベキューをしていようが、お義父さんには関係ないことですよ。そんなことを町内会の会合で話しあっても、お義父さんが変な人だと思われるだけですよ」

 このときも、一応はこんな感じで模範解答を返しておいた。義父は不満そうだったが、一旦落ち着きを取り戻してくれた。

 次に義父が言い出したのは、義母についてだった。最近の義母はとても元気にしているものの、夜間になると混乱が生じるようになっている。主な症状は幻視だ。レビー小体型認知症と診断されているため、幻視や幻聴が起きても不思議なことではない。そして義母の説明する、私たちには見えないけれど彼女に見えているものの存在が、確かにこの世のものとは思えず、迫力があり、義父が「気持ちの悪いことばかり言うんや」と文句をいうのも、理解はできる。

 義母によると、夕方になると玄関の前に一人の男性が現れるのだそうだ。決まって同じ時刻に、同じ場所に立っているらしい。人間の形をしているものの、それは明らかに人間ではない「何か」だそうだ。

 「最初は樹木の形をしているんだけれど、ずっと見ていくと、枝が伸び、幹が捻れ、徐々に男の形になっていくのよ」と、義母は冷静に話す。私は「ほほう…」と聞いていた。なんという興味深い話だろうと、引き込まれてしまった。そこに口を挟んだのが義父だった。「毎晩、そこに立ってる男を捕まえろって、わしに言うんや! そんなもの、誰もおらんのに、どうやったら捕まえられるっていうんや。もうほんまにやってられんのや」

 ここでの模範解答は? きっと、「お義父さん、レビー小体型認知症は見えないものが見えたりするんですよ。これは病気なので仕方がありません。その都度対応してあげてください」だろう。私も、そう言おうとした。言いかけたところで、義母がはっきりとした声でこう言った。

 「お父さん、あなたにはあれを見る能力がないのよ。私にはその能力が備わったということ。間違いないの。あれは、あそこに立っている。絶対に間違いはない。あなたの能力が足りないだけ」

 そう言われた義父は呆然として、言葉を失っていた。私は笑いを堪えるのに必死だった。そして、震える声で「お義父さん、お義母さんの言った通り、お義父さんにはそれを見る能力がないだけだと思いますよ (フフフ…)」と伝えた。私の言葉を聞いた義母は、誇らしげな表情で私を見て、大きく頷いていた。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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