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おかぽん先生青春記

 そのようにポスドク第3ラウンドに入った俺は、来る日も来る日も実験していた。右脳または左脳の一部を損傷したジュウシマツの歌聞き分け能力に関する実験だ。ジュウシマツではうたう能力については、圧倒的に左脳が大切で右脳はほとんど何もしてない。では聞く能力は逆に、右脳のほうにあるのでは、というのが俺の仮説であった。だから、右脳を損傷したジュウシマツは聞き分け能力が落ちるであろう。左脳を損傷しても、聞き分けの能力には影響は出ないであろう。俺はこの仮説を考えると、「これで一旗あげて、どこかの助教授になれるはずだ」とほくそ笑んでいた。

 ジュウシマツが2種類の歌を聞き分けるかどうか調べるため、オペラント条件づけという技術を使った。まず、ジュウシマツがボタンをつついたら餌を2粒あげる。次に、ジュウシマツの歌を聞いた後ならば右のボタンを、キンカチョウの歌の後では左のボタンをつつくよう訓練する。これを繰り返すと、ジュウシマツが2つの歌を聞き分けることができるかどうかがわかる。

 LEDライト、マイクロスイッチ、電磁石などを材料にこのような仕組みを作り、自動的に実験できるように、PCで制御した。1992年であったので、PCから任意の音声を再生するのは難しく、デジタルアナログ変換ボードというものをPCにつなげて、小鳥の歌を再生した。こういう作業は俺はとても得意なのだ。

 このように、動物の訓練を必要とする心理実験は、休みなく続けるに限る。俺は毎日、大学の相撲部屋の前を通って、心理学動物棟に通って実験をした。脳損傷を受けていないジュウシマツは、この課題を2週間ほどで学習することはわかっていた。右脳を損傷したジュウシマツはどうか。驚いたことに、また、少々がっかりしたことに、右脳を損傷してもやっぱり2週間で学習ができた。じゃ左脳はどうだ。左脳を損傷したジュウシマツは、これも驚いたことに、そして意外なことに、学習に3~4週間かかったのである。俺の仮説は見事に崩壊した。

 仮説は崩壊したが、事実は事実である。ジュウシマツでは、歌をうたう能力も、歌を聞き分ける能力も、どちらも左脳に集まっていたのだ。俺は意気消沈しながらも次の実験を考えながら論文をまとめていった。

 ポスドク第3ラウンドを半分ほど過ぎ、さていよいよ秋葉原でパソコン業者になろうかと思っていた俺に、転機が訪れた。慶応の渡辺先生はうるむ人(苦しむ民を見て目を潤ませる領主)であったが、それでもなかなか大学教員のポストはない。渡辺先生は、いろいろな先生に俺のことを話してくれていた。俺もいろいろな学会に参加しては、何か就職先はないでしょうか、という話を、いろいろな先生方にしてきた。こうした土を耕すような努力が実りはじめたのである。

 1つは、とある医科大学の助手、今でいう助教だが、の話である。こちらは、当時日本で唯一の「鳥の歌の神経科学研究室」であった。この研究室では、鳥の歌を制御する脳神経回路について画期的な発見をしていた。俺は月に1度この研究室のセミナーに呼ばれ、その後の夕食会では研究室を主宰する先生といろいろ議論しながらチーズメンチカツ定食を食べていた。毎回チーズメンチカツ定食であったのは間違いない。この研究室で、助手の口がありそうだ、という話である。

 もう1つは、千葉大学文学部で、認知情報科学の講座を作り、助教授、今でいう准教授だな、を公募するという話である。公募というからには公募なので、公募してみなければわからない。何回か前の「ポスドク恨み節」のようなことがあっては困るが、今回はほんとうに、公募なのだという。

 問題はこの2つの話が同時に来たことである。医科大学助手の件は、公募ではなく、うまく行く可能性は高い。公募ではなく一本釣りというやつであった。千葉大学のほうは不確実であった。種も仕掛けもない公募ということであった。

 安定志向な俺は、医科大学の助教になろうということをほぼ決めていたが、念のため、「うるむ人」渡辺先生に本件を相談した。先生は、「千葉大行ったら?」と事もなげにいう。岡ノ谷はもう生意気なので助手はつとまらない、どうせなら助教授になって自分の研究室をもて、ということであった。いや、生意気なので、ではなく、十分実力があるので、ということだったかも知れない。とても昔のことなので、詳細は覚えていない。

 安定志向な俺は3昼夜ほどもがいたが、医科大学助手とて確実に決まるわけではない、ままよ、と覚悟を決めた。千葉大学の公募に応募することにしたのだ。千葉大学には旧知の先生もおり、いろいろと相談に乗ってもらった。千葉大学では、既存の心理学とは異なる、文系の認知科学の講座を作りたいということで、今回の公募になったということだ。既存の路線に乗らないで走ってきた俺にとって、ぴったりではないか。種も仕掛けもない公募ならば、面接にくらい呼ばれるだろう。面接に呼ばれたならば、今度こそ押し切ってやる、という気持ちが湧いてきた。

 公募を出した先生に聞いても面接の詳細は教えてくれない。来て話をしろ、とだけいう。スライド準備してよいかと聞くと、そんなのいらぬという。俺のチャームポイントを遺憾なく伝えるためには、どうしても画像資料が必要だ。俺はクリアファイルに俺の研究成果をならべ、紙芝居のように準備しておいた。先方がその気になれば、資料を使って話をできるようにしておいた。その中に、鳥の脳を2つの方法で染色した写真を入れておいた。1つはニッスル染色というもので、脳の構造が良くわかる。もう1つはチトクロム酸化酵素による染色で、脳の中でもエネルギー消費が高いところが濃く染まる。この2つの写真が、俺の運命を決めたのだろうと今思う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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