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村井さんちの生活

 もうすぐ学校がはじまるという、休校生活も終わりに近づいた日のことだった。わが家の男子チームが突然、ビワイチ(琵琶湖沿いの道を自転車で走り、一周すること)を決行する! と言いはじめた。

 休校生活は三ヶ月に及んだが、わが家の息子たちは地道にトレーニングを重ねていた(重ねるのは勉強でお願いしますと言いたいところだが、そこは言わない約束だ)。元からトレーニング好きの長男は一日も欠かさずに黙々と動いていたが、そんな長男に触発され、次男もウェイトトレーニングをはじめていた。いきなりウェイトトレーニングを、ヨッシャー! セイッ! とか言いながらやりはじめた、自分よりも大柄な次男を見て明らかにイラッときていた長男は、夕方に走り込みを行うようになった。それも、律儀な青年なので、休まずに黙々と走り込む。それを察知して、今度は次男が竹刀の素振りをめったやたらにしはじめるという、家庭内筋トレ戦争が勃発していたのだ。その延長線上にあったのが、以前からずっと行きたいと願っていたビワイチだった。もちろん、息子二人で行かせるわけにはいかないので、わが家の自転車愛好家の夫も参加することになった。自転車は、わが家には複数台ある。すべて夫がきっちりと整備し、荷物を積めるようになっている。いつでも長距離走行はできる。

 私は最初から行く気はゼロだったため、「私は行かないけど、ホテルは予約するんで!」と、そそくさとホテルを探しはじめた。琵琶湖一周は全長約200キロで、一日で走りきってしまう強者もいるらしいが、安全なルートを選び、途中、観光地で遊びつつ、のんびり行くのであれば、途中どこかで一泊するのが現実的だ。ルートを考えて、長浜市の湖沿いにあるホテルを選んだ。自粛が明けたばかりのホテルは宿泊費がかなり下がっていたため、男三人が泊まるにしてはかなりいい感じの部屋を確保することができた。夕食はついていないが、朝食はある。温泉もある。近くには繁華街があって、焼き鳥やらピザやら、子どもたちが好きそうなメニューはいくらでも見つけられそうだった。これはいいと即決した。

 ホテルを予約し、間違いなくビワイチに行けると知った長男は大喜びした。彼にとっては自転車もトレーニングのひとつだ。「やった! めっちゃ楽しみや!」とニコニコしながら準備をはじめた。しかし、次男である。「なんか俺、足が痛いかもしれない…」と、なぜだか小声で私に言ってくる。「大丈夫だよ、行くのは今週末だし、それまであまり走り込みとかしなければ」と答えると、「うん…」と不安そうだ。わかるわかる。私も、次男みたいな子供だったから、気持ちはわかるわ~。

 そしてとうとう、当日の朝だ。ニッコニコの夫と長男の横で、若干落ち込んだ様子の次男は、不安そうに自転車にまたがっていた。「大丈夫だよ、途中で進めなくなったら車で迎えに行ってあげるから」と言うと、「いや、いいよ」とちょっとむっとして答えて、そして、夫と長男がウッキウキで乗る自転車を追いかけつつ、ダルそうにペダルを漕いで、しばらくすると見えなくなった。

 家に残された私と愛犬ハリーは、まずは部屋をきれいに片付け、キッチンを整え、あらかじめ買っておいたおいしそうな食材を冷蔵庫に確認し、テレビで『相棒』を見まくるという強い意志を固めていた。が、涼しい部屋で愛犬と『相棒』を見続ける私のもとに、次々と写真が届きはじめたのだ。すべて、夫、長男、次男からだった。

 嫌そうな表情で出発した次男が、一番張り切っている様子だった。長男は琵琶湖大橋を、風を切って自転車を漕いでいた。驚くことに、全行程の中間地点にあるホテルには、午後の早い時間に到着し、あっさりとチェックインを済ませてしまった。とにかく、次々と写真が送られてくる。見つけた亀、魚。遊んだ川、きれいな青空、きらきらと光る湖。梅雨入り直前の、一年でもっとも気持ちのよい青空が広がる日を選ぶことができた三人は、ケンカをすることもなく、誰もリタイアせず、翌日には琵琶湖を一周回りきったのだった。

 日に焼けて帰宅した息子たちに、「どうだった?」と聞くと、「最高に楽しかった!」ということだった。「足は大丈夫?」と、こそっと次男に聞くと、「楽勝」と言っていた。「疲れなかった?」と長男に聞くと、「ぜんっぜん」。二人はさっさとシャワーを浴び、着替えを済ませ、用意していたハンバーガーをムシャムシャと食べた。そして声を揃えて、「じゃあ、俺たち部屋に行くんで」とあっさり言って、そそくさと階下へ行き、二人でゲームを楽しんでいた。よくやったね、無事に帰ってきてうれしいよという母の気持ちは、完全に置いてけぼりである。

 なんなの。

村井理子「村井さんちの生活」

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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