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村井さんちの生活

 さて、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、臨時休校が開始されて70日以上が経過した。学校が再開された自治体もちらほら増えてきたようだが、私たちが住む地域では、休校措置は今のところ5月末まで続くことになっている。5月後半には登校日があり、出席番号別に、分散しての登校が決まっている。

 学校からは先日、追加の課題とスケジュールが届けられた。スケジュールには、どの課題をどのように進めていくか、科目別にびっしりと指示が書かれていた。B4サイズの紙だ。これ、作るのは相当大変だっただろうな~というタイプの資料だ。じわじわと不安感が広がるのがわかった。どうしよう、これを管理できるのだろうか…と、絶望的な気持ちになった。頭のなかに、遅れている原稿のことが次々と思い浮かんでは消えた(消していいのか)。

 休校期間中ずっと、私は自分自身を持て余している。子どもの学習スケジュールが詳細に記されているプリントを前に、狼狽えている。どこからひねり出してきたのかわからない罪悪感を抱き、不安になっている。そもそも、まだ配られたばかりの資料で、ここから先、何らかの奇跡がおきて、子どもが自主的に課題をこなすかもしれないのに、こなさないことを前提にして、すっかり警戒モードになっている。休校にまつわるすべてが不安で、すべて自分が悪いかのように感じてしまう、底なし沼にはまっている。苦しい。逃げたい。一人になりたい。頭のなかにこんな気持ちがグルグルと回りはじめ、もう本当に、私は疲れました…。

 それでも、指定された課題の回収日に間に合うよう、計画的に勉強をさせようと決意した(課題の回収は、2回に分けて行われる)。今年の目標は、提出物を期限通りにしっかりと提出することだと4月に話し合ったばかりだ。だから、口を酸っぱくして期限を守ろうと言い続けた。ちょっとイライラしていたかもしれない。とにかく、学習は予定通りに進めよう、課題は回収日にきちんと提出したいからと何度も念を押した。テンション高く言い続ける私に圧倒されたか、全部揃ったと課題を持ってきた息子を褒め称えた。えらかったね、すごいねと息子に伝え、ウキウキした気持ちで学校に課題を届けに行った。課題が入った茶封筒を、校門前に設置されたテントで待っていた先生に手渡した。親としての義務はなんとか果たしたと安堵したのだった。

 学校から指示されたことを、親子できちんとやる。それだけが、休校にまつわる不安感を払拭する手立てだった。しかし昨日先生からかかってきた電話によると、提出されていない課題が4つあるという。絶望じゃ。ひとつひとつ、私がすべて確認すればよかったのだろうか。そんなことある? 中学生なのに?! それは息子を信用していないという気持ちの表明になるのでは? だから、そうはせずに息子に任せたのだ。そしたら、4つも足りないんだって! 受話器を持ったまま、ばたりと倒れそうになった。

 先生との電話を切り、「課題、4つも足りないんだってよ」と息子に言うと、「ああ」という反応だった。なんだよ、「ああ」って。あッ! 忘れた! とか、演技でもいいからやってよ。そしたらこっちだって、「なんで忘れちゃうんだよー! ほら早く、残りの課題やっちゃいなよ、学校にもう一度提出しに行くから!」とかなんとか言いながら、気持ちを切り替えることができるじゃないか。しかし息子から出てきた答えは「ああ」だ。なぜ? という言葉しか浮かんでこない。自分でもバカじゃないかとは思うが、結構なショックを受けた。

 ここで私はいつもの方法で自分の気持ちを落ちつかせた。自分自身が14歳の頃のことを思い出すのだ。私は14歳のころ、学校から出された課題を計画的にこなし、なおかつ期限通りに提出することが出来ただろうか? 答えはNOだ。それでは、当時私の母親が、口を酸っぱくして、課題を出せ、期限を守って提出せよと吠えていたら、どう反応しただろうか? 「うるせえ」の一択だろう。

 申し訳ないですと謝る私に、先生は、次の登校日に出してくれてもいいですから、問題を解くのが大変だったら、学校がはじまってから担当の先生に質問してくれてもいいですからと言ってくれた。「お母さん、何か不安なこととかないですか?」とも聞いてくれた。「すべてが不安です」と言いたかったが、我慢した。大丈夫ですよと言ってくれる先生は、子供と親にセカンドチャンスを与えるのが上手だなと思った。私もそうありたいと思った。そして私は、息子がきちんと課題を提出しなかったことにショックを受けると同時に、学校の先生から、課題をきちんと揃えさせることすら出来ない母親だと思われることを極端に怖れているのだなと気づいた。泣きたい。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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