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村井さんちの生活

2022年3月28日 村井さんちの生活

動物好きのパン屋さん

著者: 村井理子

 十年ほど前、わが家の近くに小さなパン屋がオープンした。本当に小さな店舗で、店舗というよりはむしろ、自宅の一部を改装してとりあえずパンを置くスペースを作ったような、そんな雰囲気のあるアットホームな店だった。店主は寡黙な人で、滅多に奥の作業場から出てこない。忙しく働く後ろ姿をときどき見かけては、思ったより若いなと思うだけだった。無口だけれど、仕事に全力投球している彼のことは、すぐに好きになった。というのも、彼が焼くパンは、とても美味しかったのだ。まさに職人だ。特に食パンと、ハード系のパンが美味しかった。

 店主は人嫌いのようだったが、彼のパートナーのミカちゃんはとても明るい人だった。働き者で人当たりがよく、客の話に付き合うのが上手だったから、会計が終わってもミカちゃん相手に立ち話をする人が多かった。私もそんな客の一人だった。

 寡黙な店長が作るパンは本格的で、ずっしりと重く、固い、小麦の香りが強いパンだ。そんなパンが大好きな私は感激したが、高齢者が多い田舎の地域だけに、柔らかいパンがあっても売れるだろうなとは思っていた。店長もそう思ったのか、しばらくすると店先に、惣菜パンがずらりと並ぶようになった。とても柔らかく、甘く、おやつにぴったりな惣菜パンばかりで埋め尽くされた店内は、おしゃれじゃないけど懐かしい雰囲気に包まれていた。わが家の子どもたちは、この店のパンで育ったと言ってもいいぐらいだ。

 オープンから数年経過したころ、とある月刊誌から取材の依頼が入った。地方の美味しいパン屋を紹介する記事だという。私はすぐに引き受け、そしてこの小さなパン屋を紹介した。ミカちゃんは取材を喜んで受けてくれた様子だったが、店長はどのように感じているのかわからなかった。私が立ち寄ったとき、ミカちゃんが遠慮がちに「うちの店でいいんですか……? 店長も、大丈夫かなって心配してるんですけど」と言うので、「いつもの通りで大丈夫ですよ」と答えた。

 取材日当日、編集者とカメラマンが田舎の小さなパン屋にやってきた。私も撮影に参加したが、カメラを構えられた店主はとても居心地悪そうで、無言でせっせと作業を進めていた。大丈夫かなあ、悪いことしちゃったかなあと少しだけ心配になったものの、雑誌が出版され、私が一部届けに行くと、奥の作業場から店長が店先に出てきた。

「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「すごくうれしいです」
「そう言っていただけて、私もうれしいです」

 たしか、こんな会話を交わしたと思う。

 その後も、私は愛犬のハリーを連れて店を訪れ続けた。週に数回、通い詰めたと言ってもいい。子どもたちが店長の焼く惣菜パンを大好きだったこともあるが、なにより私が店長のパンが好きだった。彼の焼く食パンは、甘過ぎず、柔らか過ぎず、皮がぱりっとしているのだ。

 店長は無類の猫好きなうえ、わが家の愛犬ハリーのことが大好きだった。私がハリーを連れて行くと必ず作業場から出てきてくれ、かわいいなあと言って撫でてくれた。私だけで店を訪れると、「ハリーは来ていないんですか」と明らかにがっかりとした様子で言った。ハリーにあげようと思ってたんだけど、もういいや、村井さんにあげますと言って、パンの耳をもらったこともある。この人、たぶん人間より動物が好きだなと思った。

 ある日、店長が病気になったことを人づてに知った。しばらく入院して手術をするとも聞いた。根掘り葉掘り聞くこともできず、ただ、途切れないように店には通い続けた。数週間で退院できたようだったが、しばらくは店のパンがミカちゃんの焼いたものになっていたと思う。いつもとは違う、少しだけ形が崩れたパンだった。

 店長が回復し、店に戻ったと聞いた直後のことだ。今度は私が病気になって入院してしまったのだ。店長もミカちゃんも、突然店に来なくなった私を心配してくれていたようだ。数か月ぶりに、げっそり痩せた姿で店に行くと、ミカちゃんも店長もとても驚いたけれど、温かく迎えてくれた。「心配してたんですよ。パンが口に合わなくなってしまったのかなって思って」と、店長は言っていた。

 この日以来、私と店長は「病気友達」になった。私が行くと、店長は必ず作業場から店に出てきてくれるようになった。互いの体調を話し合い、どんな薬を飲んでいるか、どれぐらいの頻度で通院しているのか、パンそっちのけで話し込んだ。最後は必ず、お互いがんばろうとエールを送り合う。そして店長はハリーをひとしきり撫で、私はパンを持って家に戻る。店長はいつもたくさんおまけをくれた。そんなことの繰り返しだった。

 私の術後一年が経過したあたりで、店長の体調が不安定になりはじめた。「再発しちゃって。もうあまり長くないみたい」と言う店長に、私は何も返すことができなかった。ミカちゃんが急いで「でもさあ、ほら、新薬を試すことになってるじゃん! 大丈夫だよ! 絶対に大丈夫だって」と店長に言った。私も、「そうですよ! 私もがんばるから店長もがんばろうよ」と必死に言った。店長は「ちょっと入院するけど、また戻ります」と言ってくれた。

 結局、店長が戻ってくることはなかった。店長を失ったパン屋が閉店となった日、店の前まで行くと、ドアに十年間お世話になりましたと張り紙があった。ミカちゃんは元気だろうか、常連客の誰もがそう思っただろう。しかし一向にミカちゃんの行方は知れないまま、あっという間に数か月が経った。私は近所の友人の一人に、もしミカちゃんと連絡が取れるようであれば、私が少しだけでいいから会いたいと言っていたと伝えてくれと頼んだ。

 その数日後、焼きたてのパンを持って、ミカちゃんはわが家にやってきた。突然で驚いたけれど、昔のままの明るいミカちゃんだった。「店長のこと、聞きました。残念です。動物が大好きな優しい人でしたね」と言うと、ミカちゃんは顔を真っ赤にして泣いた。私も泣きそうだった。

 そこからまた数か月が経過し、先日私はミカちゃんの新天地までパンを買いに行って来た。地元の方の協力のもと、新しい店舗がオープンしたのだ。昔より明るく、広い作業場。以前と同じパンだけど、形が整い、パッケージも美しくなり、種類も増えていた。私が大好きだった食パンも、ちゃんと焼き上がっていた。作業場で忙しそうに働くミカちゃんは、なんだかとても頼もしかった。店長の技を立派に受け継いだ職人さんが、こうして誕生したんだなと、うれしく思った。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

村井理子
村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『兵士を救え! マル珍軍事研究』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』など、エッセイに『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』がある。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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