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村井さんちの生活

2022年5月11日 村井さんちの生活

「お客さん」になった義母

著者: 村井理子

 去年の年末から最近まで、多忙を極めた。いつも遅れ気味の原稿だとか、なかなか減らない原書のページ数だとか(一応、翻訳家なので)、そういった問題には慣れているが、ここ数か月は息子たちの高校受験や中学卒業、そして高校入学、入学後オリエンテーションなどが重なった。スケジュール管理が苦手な私にとってはまさに地獄の日々だった。そしてもちろん、義理の両親の介護は同時進行だ。息子たちの入学準備でバタバタしているその渦中に、デイサービスとの調整が襲ってくる。そのうえ、確定申告まであった。夫は仕事が多忙過ぎて、家に戻ってもため息ばかりついていた。ため息をつきたいのはこっちだが、こうなったら仕方がないと私はいつものようにフル回転して、目の前の仕事を処理する日々だった。

 そしてすべてが終わり、ようやく自分の時間を取り戻しつつある最近になってふと気づいてみれば、認知症の義母がびっくりするほど穏やかになっていた。

 認知症発覚からそろそろ三年になるが、それまでの義母と言えば、「関西ナンバーワンのきつい姑」、「地獄のお母様」と噂になるほどの人だった。明るく、何ごとにも前向きで、働き者の完璧な主婦だったし、自分の好きなことには一直線の人だった。精力的に外出し、友人も多く、社交的。本を読み、音楽を聴き、映画を観ては人生を謳歌していたように思う。町内会でもボス的存在で、3丁目のAさんが定年退職したらしいとか、5丁目のHさんはご両親と同居するため引っ越したなど、情報のすべてを掌握していた。その一方で、息子夫婦(私と夫)の生活や、孫たちの教育に関して私に意見を言うことを躊躇しなかった。つまり、とてもパワフルな人だったし、それだけに私にとってはやっかいな姑という一面もあったのだ。

 どんな点がやっかいだったのかとすべて書けば原稿用紙が200枚程度必要なのでまたいつか書きたいとは思うが、とにかく、彼女は個性が強く、意志が強く、言葉が強かった。おまけに身体も頑丈だった。それはいいことなのだけれど、こっちは体力があまりない。双子を抱え、病気を抱え、50キロの犬を抱え、書き出したらきりがない。だから、彼女が勢いよくわが家にやってきたりすると、私はとことん削られ、本当に、本当に……。

 そんな義母が数年かけて徐々にバランスを失い、今日の穏やかな義母になった。それは喜ばしいことではないですか、人間、年をとると穏やかになるものなんですよ……と、慰めるような感じで言って頂くことがあるのだが、義母の認知症の進行状況を間近に見てきた私には、そうは思えない。服用している薬の効果を否定するわけではないが、絶対におかしいのだ。義母の今の穏やかさは、人間が円くなったからではない。彼女はたぶん、自分の周りの状況をあまり把握できていない。つまり、彼女は今、自分の家にいるにもかかわらず、お客さんのような状況になっているのだ。

 なぜそう思うのかというと、つい最近まで感情を爆発させることが多かった義母が、最近はにこにこと笑顔を振りまき、大人しくしているのだ。遠慮している。これは、本当にあり得ない。あの強烈な毒はどこに行ったというのだ。周囲を圧倒するほどの義母ビームが1ミリも出ていないではないか。あれだけ抵抗していたデイサービスも、文句ひとつ言わずに、素直に行くようになった。ここまでくると不気味である。

 素直になってくれた、穏やかになってくれた、それだけだったらまだわかる。あれだけ働き者で、家のなかのことは何もかもきちんとやってのけた義母が、ダイニングテーブルを前にちょこんと座っているだけなのだ。お客さんか。いや、お客さんでいいのだけれど、うーむ……。本当に悲しいことだが、また少し、認知症が進行したのかもしれないと私は考えている。

 こればかりは仕方がないことだけれど、認知症というのは、一旦加速すると、どこまでも速いスピードで進行する病だなと思わずにはいられない。彼女はまるでふわふわ空中を漂う風船みたいだ。必死に手を伸ばしても、なかなか捕まえることができず、あっという間に青空に向かってふわりと飛んでいってしまう。ちょっと待って~! と言ってしまいそうになる。

 しかし、こんな悲しい状況ではあるが、希望もある。今まで半世紀以上も義母にすべて頼り切りだった義父が、90歳間近にして自立したのである。信じられないかもしれないが、義父は掃除、炊事、洗濯など、ヘルパーさんの力を借りつつも、すべて自分で行うようになったのだ。自分のためにやっているのではない。彼はそれを、義母のため、そして私のためにやっている。もしかしたら、8割ぐらい、私のためにやっているのかもしれない。長い間、なぜ義母は普通に暮らせなくなったのかと、文句とも、怒りともつかない口調で言い続けた義父の口から、そのような言葉は一切出なくなった。義母に何を言われても、穏やかに、頷くことが出来るようになった。ただのお爺ちゃんだった義父は、確かに今、スーパーお爺ちゃんに成長しつつある。義母のデイサービスの日、彼女の着替えや薬を準備し、バッグに詰めている義父の後ろ姿を見て、私は感動した。人間は90歳になっても変わることができるのだ。そのままがんばってくれ!

 義母が認知症になってしまったのは悲しいことだし、義父にとっては、これまでの長い結婚生活がすべて壊されたかのようなショックでもあっただろう。しかし、時間をかけて徐々にそれを受け入れ、自分を変えた義父を私は尊敬している(2ミリぐらいだが)。私に迷惑をかけないように、義母が苦労しないように、90歳の老体に鞭打つように必死に家事をする義父を見ていると、本当の優しさを教えてもらったような気持ちになる。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

村井理子
村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『兵士を救え! マル珍軍事研究』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』など、エッセイに『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』がある。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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