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村井さんちの生活

 先日突然義父から電話があり、またしても「お母さんを歯医者に連れて行きたい」と相談された

 「奥歯が痛いって言ってるんや」ということだったので、翌日、仕事を終えてから夫の実家に行き、義母に直接聞いてみた。

 「お義母さん、歯が痛いって聞きましたけど?」と尋ねる私に義母は「全然痛くないですよ?」と答えた。義父の顔を見ると、静かに首を振っている。

 「奥歯が痛いって聞いたんですが、本当に痛くないんですか?」ともう一度義母に聞くと、義母は若干苛立った感じで「痛くないわよ。嘘じゃないですよ。だったら見てみる?」と言って、マスクを外して、いーっと前歯を見せた。なんと、奥歯じゃなくて前歯が一本無くなっていた。

 「お義母さん、奥歯というよりも前歯がないじゃないですか」と笑いを堪えながら言うと、「そうよ! そうなのよ、理子さん! この前、顔を洗ったときに落としてしまったのよ!」ということだった。奥歯が痛いのも問題だろうが、前歯がないのも問題だ。早速、駅前の歯科医院を予約した。本当に痛みはないのかと確認すると、神に誓ってないという義母。一応納得して、私は自宅に戻った。

 翌週の予約日、義母を迎えに行くと義父も支度をしていた。「お義父さん、まさか来るつもりですか。駅前の歯医者に行くだけですよ?」と私は嫌味を言った。義父は左脚が少し不自由で、車の乗り降りに時間がかかる。それが嫌とはもちろん言わないが、車で五分足らずの距離にある歯科医院に義母を連れて行くのに、義父まで連れて行く私の労力を考えてみてほしい。車の乗り降り、エレベーターまでの誘導、その間にどこかへ行ってしまう義母の監視…体重五十キロの超大型犬である愛犬のハリーを散歩させているほうが、幾分楽だ。何度か「ここで待っていて下さい。すぐ戻るから」と頼んだが、義父は泣きそうな顔で「わしも行く…」としか答えなかった。

 苦労して車に乗せたあとの義父は超ご機嫌だった。道路工事を見れば「ここの道路が広くなったのは県会議員の〇〇が…」とか、「ここのA社の社長はB社の社長に頭があがらんでなあ…」とかいう、本気でどうでもいい話ばかりして私を苛つかせた。どれだけ地元情報に詳しいねん、滋賀pediaか? どういうマウントや? チッ…などと思いつつも表面上は優しく対応、ようやく歯科医院に到着した。

 院長はとても優しい方で、私が義母の状態について(特に認知症が重度なことについて)説明すると、すべて理解してくれ、私を診察室に滞在させた状態で義母の治療をしてくれた。まず、前歯は差し歯が抜けてしまっているので作り直す。しかし、奥歯は歯周病がとても酷い状態で、たぶん抜歯になるだろうということだった。「こんなに酷くなるまで我慢してたんですかねえ…。ずいぶん痛かったと思うんですけど」ということだった。

 そう言えば、最近の義母は痛みに鈍感になっている。自分自身のコンディションの把握が出来ていないような気がしている。転倒が増えてきているため、擦り傷や打撲があるのに、「全然痛くない」と言う。その点を心配していたのだが、きっと、歯のことも、痛いと感じながらそれを訴えることが上手に出来ていない状態だったのではないかと思う。それも、長期間にわたって。

 紆余曲折あり、抜歯は駅前の歯科医院では出来ず、総合病院で行うことになった。高齢であること、認知症であること、薬を何種類か服用していることなどを考慮して、念のため、抜歯後に血圧その他の管理が必要だとの結論が、義母の主治医と歯科医師とのやりとりで決まったのだ。「あちらで抜いてもらってから、またこちらに戻って来て下さいね。その先の治療は僕がやりますから」と歯科医院の院長は言ってくれた。私は、その時も義母の付き添いで来ていた義父に「ここでは抜けないので、総合病院に行くことになりました。まあ、もしかしたら一泊ぐらいするかもしれないっすね」と伝えた。でも、この最後のひとことが余分だった。

 帰りの車中で、義父が突然泣きだした。義母は、「?」という顔で義父を見ていた。

 「駅前の歯医者で抜けないということは…グホォッ、なにか他に病気があるのでは…」と泣きながら言う義父に、若干強めの口調で「ちゃいますよ! 薬をいろいろ飲んでるから、念のため、術後に管理してもらえる病院でってことっすよ! さっき説明したじゃないすか!!!!!」と返してしまった。義父はしばらくして泣きやんだが、今度は私が罪悪感を抱えることになった。

 気の毒になったので、私は車を家の近所のお弁当屋さんの駐車場に停めた。「お弁当買ってきますね。少しだけ待ってて下さい」と義父に言うと、義父は赤い目を擦りながら、「うん」と言った。義母は「理子ちゃん、悪いわねえ…」と言った。「いいですよ、すぐ戻ってくるから待ってて下さいね」と伝え、私はお弁当屋さんに行き、二人が大好きな「大根おろし付き和風ハンバーグ弁当」を注文し、すぐに車に戻ったのだが

 車中の二人は爆睡していた。ほんの三分ぐらいの間の出来事である。大根おろし付き和風ハンバーグ弁当が出来上がるまでの時間しか経っていないはずなのだ。さっきまで泣いていた義父は「大」がつくレベルの爆睡だった。私はお弁当を持ったまま、しばらく唖然としたのだが、たぶんこれが老いるということなのだろうと考え、爆睡する二人を実家に送り届けたのだった(和風ハンバーグ弁当を押しつけることも忘れなかった)。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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