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村井さんちの生活

 その日、私は急ぎの翻訳原稿の見直し作業に追われていた。訳しているのはとても長く、難解な一冊で、ここ数ヶ月間、ノンストップで訳し続けているがなかなかどうして手強い。訳しても訳しても、終わりが見えてこない。しかし、手を止めてしまえば苦しさは増すばかり。とにかく突き進むしかないと作業をしていた。夫はこの日、在宅勤務をしていた。私と夫は同じリビングで、互いがパソコンに向き合って、カチャカチャと忙しくキーボードを打っていたのだ。

 昼過ぎ、固定電話が鳴った。固定電話が鳴る場合、相手は義理の両親、息子たちの学校関係者、あるいは介護関係者だ。この時は、義父が週一回通っているデイサービスの所長だった。一通りの挨拶が済むと、所長はこう言った。

  「実は少し気になることがありまして。御父様が臀部に痛みを訴えられたので、こちらの看護師が確認させて頂きましたところ、かなり広範囲に及ぶ、酷い内出血がありました。その部分が固く、腫瘤のようになっておりまして、受診が必要な状況だと思います。御父様に確認しましたが、一切、原因がわからないということでした。転倒もしていないとのことです」

 危うくため息が出そうになった。腫瘤も大変だけど、原稿も大変なのだ。原稿を待ってくれている編集者の顔がちらっと浮かぶ。

 「わかりました。ちょっと本人に確認いたしまして、病院に連れて行きます」

 私は電話を切ってすぐに夫に報告した。

 「お義父さんのお尻に緊急事態発生らしいで」

 「また親父かよ~。今度はなんだよ」

 「めちゃくちゃ内出血しているらしい」

 「転んだんとちゃうか?」

 「それが転んでないらしいんだよ」

 「ってことは…」

 私と夫はしばし考えた。まさか、義母が…? 

 というのも、ここ数ヶ月の義母は、義父に対する浮気妄想を再び抱いている状態だ。昔ほど強烈とは思わないが、なかなかどうして根強い状態で、義母のなかに義父への疑いがある。

 「まさか、ハイキックとか…」

 「いやいやハイキックは無理やろ…」などなど話をしていたが、デイサービスの所長から連絡があったのは昼過ぎのこと。いずれにせよ、すぐに病院に連れて行くことはできない。私は近所の整形外科の診療時間を調べ、ちょうどその日、夕方から診察があることを確認した。夫に「17時以降の診察に連れて行けばいいんじゃない?」と伝え、一緒に行くことにした。こう決めた直後、訪問看護師さんから連絡があった。

 「デイサービスから連絡があったのですが、臀部の内出血が相当酷いということです。受診はできますか?」ということだった。私は夕方受診する予定を伝え、訪問看護師さんとの電話を切った。

 さて、私と夫は17時少し前に仕事を終えると、急いで実家へ向かった。到着し、家のなかに入って行くと、薄暗いリビングで義母がひとりでうろうろと歩き回っていた。最近の義母は、この「なにをするともなく歩き回る」という症状が強い。目的があったはずなのに、歩きはじめるとそれを忘れてしまうからだ。これが発展すると外への徘徊となるかもしれないと思うと、目撃する度に怖くなるし、胸が痛む。義母に声をかけると、「お父さんは寝込んでる」と言う。毎日毎日、寝てばっかりやとしっかり嫌味も付け加えていた。

 恐る恐る寝室のドアを開けると、義父が微動だにせず寝ていた。なにこれ、エジプトのマミーなの? 怖いッ! 近づいて声をかけると、「ヒャァァァ」みたいな声とともに義父は目を開けた。

 「お義父さん、お尻に怪我してるみたいですけど! どうしたんですか!」と大声で呼びかける。夫は寝室に入ってこようともしていない。

 「お義父さん、わかります!? 今日、デイサービスさんと看護師さんから電話があって、お義父さんのお尻が大事件って聞いたんですけど! 転んだんですか!」

 こう聞くと、義父はプルプルと首を横に振った。「わからへん…」とか細い声で答えるものの、若干のピー音みたいなものが混じって聞こえにくい。ダメだ、肺に空気が入っていない。私は精一杯の力で義父の上半身を起こして、ベッドの上に座らせた。

 「お義父さん、わかる? お尻に怪我してるんでしょ? 今から病院に行こう」と、義父の目をしっかりと見ながら言うと、義父はうんうんと頷きながら涙を浮かべて「ありがとうね」と言った。「大丈夫だよ、お義父さん。ちゃんと診てもらおうね」と私は答えた。自分で言うのもなんだが、まるで菩薩だ。しかし頭のなかでは、これ、次の原稿に書いたろと思っていた。

 私と夫、二人がかりで義父を車に乗せた。義母は状態がさほど悪くなかったため、戸締まりをしっかりしてもらい、留守番を頼んだ。テーブルの上には大きな文字で「おとうさんを病院に連れて行きます。怪我をしました」とのメモを置いた。これで大丈夫だ。

 車中の義父は上機嫌だった。「お義父さん、転んだんですか?」という私の質問には「いや、それがわからんのや。朝起きたら、こんななっててなあ…」としか言わなかった。「そんなに酷いんですか?」と聞くと、「見たこともないような感じ」と答える。うわあ、絶対に見たくないと思った。臀部に腫瘤が出来るほどの打ち身って、それこそ竹刀みたいなものでしこたま殴らないと出来ないものなんじゃないか…と考えた途端、さーっと血の気が引いた。まさか、虐待が疑われているのでは!? だって、デイサービスの所長と看護師さんが電話かけてきたわけでしょ!? その後実は、ケアマネさんからも受診を勧めるメールが来ていたのだ。疑わしいと思われているのは、もしやもしや…私!?

 とにかく整形外科へと急いだ。私がこの病院を選んだのは、看護師さんも先生もとても優しくて丁寧だからだ。10分も待たずに義父は優しい看護師さん数名に支えられるようにしてレントゲン室に入り、そして、優しく支えられながら待合室に戻ってきた。このあたりからじわじわと気づいていたのだが、義父が上機嫌になってきていた。義父というのは、とにかく誰かから優しさを与えられることが大好きだ。そりゃ誰でもそうなのだろうが、義父の場合はレベルが違う。私は思わず「お義父さん、よかったですね、優しくしてもらって」と嫌味を言ってしまった。

 そして10分後、早速診察室に呼ばれた。私も付き添った。いつもの温厚な先生と看護師さん二人が義父の臀部から股関節にかけて撮影されたレントゲンを見ていた。「左に人工股関節が入っているということだったので、心配しましたけど、まったく骨には問題ありません。大丈夫ですよ。心配することないです。ただの打撲ですね。ただ、お薬手帳を確認すると、血液をさらさらにするお薬を飲んでおられるので、きっと毛細血管が切れ、そこから出血したという状態でしょう。それではとりあえず患部を見せて頂きますね」と医師は一気に言った。

 義父は優しい看護師さん二人に両脇を支えられて立つと、医師によりズボンを引き下ろされて、臀部を露出された。見たくなかったけど、興味が勝って見てしまった。見事に内出血していた。まるで誰かが竹刀で力一杯殴ったかのような酷さだ。医師は「ハイ、心配することはありません。大丈夫です」と言った。するとその瞬間、義父が大きな声を上げた。号泣している。「娘をおおおおおおおお!!! 娘を呼んでくださいいいいい!!!! うぐううう、うわあああああ」

 私は診察室の天井を見上げた。耐えられないほど、キモい

 医師も看護師さんも、一斉にフフフフと笑った。なにせ、大げさだからだ。この世の終わりのような泣き方だった。私は義父を待合室に連れ戻し、無表情になっている夫(診察室の号泣が聞こえていたはずだ)に「大丈夫だったよ」と伝えた。看護師さんに優しくされ、診察してもらい、異常がないとわかったうえに感情を爆発させてひと泣きした義父は、ずいぶんスッキリしたようで、待合室では笑顔だった。そして、「草むしりして転んだぐらいで、こんなに大事になるとは思わなかったが、お前には苦労をかけたなあ」と私を見て言っていた。

 草むしりで転んでたんかーーーーーーーーい!!!!!

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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