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村井さんちの生活

 今回は、認知症の高齢者介護の現実のようなものに、一歩踏み込んだ内容を書くつもりなので少し気が重いが、先日起きたことを正直にお伝えしようと思う。私はこの数日、このプチ事件が原因で、少しだけだが凹んでいる。

 先日、義母がお世話になっているデイサービスのマネージャーの女性から電話があり、義母の入浴の際に判明したのだが、義母が白癬菌に感染しているようだとの報告だった。それも酷い状態だという。「先週の時点では気づくことが出来なかったのですが、今日は包帯を巻いておられて、それに看護師が気づきました。包帯を外してみると、足の指に絆創膏が何重にも貼ってあって、それを剥がしてみて、感染に気づきました」とのことだった。

 「包帯などを巻いてしまっていたため、かなり酷い状態です。お忙しいとは思いますが、是非皮膚科にお連れして下さい」と、申し訳なさそうにマネージャーは言うのだった。私はお礼を伝えて電話を切ったが、しばし、呆然…。以前の義母であれば考えられないことだ。いや、ありふれた菌だし、高齢で抵抗力も弱っているだろうし、仕方がないといえば仕方がないことなのだろう。ただ、繰り返すようだが、以前の義母であれば想像できない状況だ。

 今現在の義母は介助なしでは入浴ができない。そんな状況では、白癬菌に感染することも、そりゃ当然考えられるわけで…。こういう時はどうしたらいいのだろう。もちろん、病院に連れて行くことは必須だが、それ以降はどうする? どうやって清潔な状態を保ってあげられるのだろう? 在宅勤務中で目の前にいた夫に伝えると、夫も絶句だった。きっと私と考えていることは同じだっただろう。あれだけ清潔好きな義母だったので、夫からしても寝耳に水というか、なんというか…。

 「それは可哀想やな。ちょっと様子を見に行こう」と夫は覇気ゼロで言った。連絡があったのは金曜の夕方のことで、皮膚科は診療時間外。とにかく週末だなと言い合って、夫と私で翌日の土曜の昼に、義母の様子を見に行った。

 するとそこには足に包帯をぐるぐるに巻いて、そのうえに靴下を履いている義母がいた。「お義母さん、足が大変なんですって?」と聞く私に「足なんてどうにもなっていませんよ」と笑顔で答える。その瞬間にスイッチが入ったらしい夫は「どうにもなってないことない! 水虫や!」と哀れな義母に怒った。

 さらに、私が義父に、お義母さんが白癬菌に感染しているみたいですが、と言うと、義父は「そうや」と、若干苛立った様子で答えたあとに、「だからもう、デイの風呂はお断りだ」と言い出すのだった。

 そう来るかあーッ!! 義父のその言葉を聞いた夫は完全に我を失い、「そうやない! 逆や! 清潔にできてないから、こんなことになるんや! おふくろを週に二日しかデイに行かせないからこんなことになったんやろ!」と激怒しはじめた。これだから実の親子というのはややこしいではないか(ちょっとニヤニヤ)。

 私は、まあまあと夫をなだめ、義父に「お義父さん、もしかしてデイに行って、菌をうつされたと思ってるんですか?」と聞いてみた。すると、「そうや」と言い切る。

 「どこにでもいる菌だから、そうだとも、そうでないとも言い切れないと思うんですけど、問題はそこじゃなくて、清潔に出来ていないことと、お義母さんの足のことに誰も気づかなかったことが問題だと思うんですよ」と私は若干偉そうに言った。普段しっかりと介護に参加していると、こういうときに発言がしやすい。

 「いや、わしは母さんの足がおかしいから、絆創膏を貼ったんや!」と義父は言い、私に堂々と湿潤療法用のテープを見せた。一番アカンやつや、それ。水虫にモイストヒーリングって、いやがらせかよ!

 「お義父さん、これは貼ってはいけないですよ。絆創膏も包帯もダメ。とにかく、病院に行かないとダメです」と私は言ったが、なんだかため息が出そうだった。何もかも裏目に出ているのだ。

 「週明けにならないと病院には行けないので、私、今から薬を買ってきます」と言い残して車で出たが、テーブルの上にデイサービスのマネージャーが書いてくれたメモが置いてあった。夫の実家に最も近い皮膚科の病院名と電話番号、そして受診時間など、詳細を書いてくれていた。なんと丁寧な方なのだろう。感謝しつつ、私はドラッグストアに行き、薬用石鹸と薬を買ってきた。

 さて、ここからが問題だ。誰が義母の足にぐるぐるに巻かれた包帯と、モイストヒーリング用テープを外し、足を洗い、薬を塗るのか!!! あたし? まさか! 無理無理!

 この大問題に立ち向かったのは、夫だった。さすが実の息子である。偉い! 立派! やらねばならぬときは、やらねばならないのだ。私は夫を少し見直した。義母を風呂場に連れて行き、ちゃんと足を洗って、拭いて、薬を吹き付けたのである(もちろんこれは応急処置で、皮膚科も受診した)。

 義母は「おかしいねえ、なんでこんなことになるんだろうねえ」と不思議そうだった。不思議そうにしながら、また包帯を巻こうとする。それは巻いてはいけないと私と夫で説得している横から、義父がまた湿潤療法用のテープを持ってきて「これはいらんのか」と言って夫をとことん激怒させる。コントか。もう辞めてくれ。

 やはり、わが家の高齢者介護はまた一歩険しい道を進んだような気がしてならない。水虫なんてかわいいものだ。これから先、一体なにが起きるのか。私は実際のところ、かなり不安なのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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