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村井さんちの生活

 私は大変疲れている。七月の後半から怒濤のようなスケジュールをこなしてきた。仕事はいつものことだから慣れているけれど、自分の用事以外の用事、それもビッグイベントが私を待ち受けていたからだ。私、双子の三人で行く、久しぶりの東京旅行である…それも、このめちゃくちゃ暑い時期に。

 実は次男の所属する剣道部が全国大会に出場するため、日本武道館に観戦に行くことになったのだ。顧問の先生に「お母さんも見にきなさいよ!」と言われ、「は、はい」と答えてあっさり観戦が決定。兄は別の学校の生徒だが、顧問の先生が「お前たち、双子だろう? それなら、兄ちゃんも見に来いよ!」と言ってくれ、長男も「わかりました!」と答えて、親子三人東京遠征が決まったというわけだ。

 双子は私よりも一日早く剣道部の他のメンバーらと東京に行き、私は全日程二日目からチームに合流した。待ち合わせ場所は都心の合同練習会場である都立高校で、全国から集まった剣士が一生懸命練習していた。

 ウッ…母はこの時点ですでに涙腺が怪しかった。高校生の夏だもん、キラキラしちゃうよね。今までがんばって練習してきた君たちは、なんて輝いているのだろう。それは、心が汚れた私がこの場にいてもいいのだろうかと思うほどにピュアな世界だった。暑くて、息苦しいほどの気候だったけれど、「東京に来て本当によかった」と感激してしまったのだった。

 東京滞在二日目、とうとう武道館で大会が開かれた。その場に、双子の中学での同級生のA君までやってきた。A君と次男は中学で同じ剣道部に所属していた仲間であり、親友だ。もちろん、A君は長男とも仲がよい。次男を応援するためだけに、滋賀県から一人で武道館まで来てくれた。子どもたちの間に、そんなに強い友情が育まれているとは、私は夢にも思っていなかった。私、A君、そして双子兄の三人で、クーラーのよく効いた観覧席で試合を観戦した。みんな、成長したなあと感無量だった。

 次男は個人戦でも、団体戦でも勝利し、とてもいい思い出が出来たと思う。次男以外の剣道部員たちも大健闘だった。私は、母となって初めて、母らしいことが出来たのかもしれないと感動して(しかしかなり疲弊して)、滋賀県へと戻ってきたのである。

  そして、翌日…。

  わが家の固定電話は朝9時ぴったりから鳴り始めた。帰宅直後、夫から状況は聞いていた。私たちが東京へ行ったと知った義父は、愛犬ハリーと留守番している夫にひっきりなしに電話してきては、「食事は出来ているのか」と涙声で聞いてきたらしい(夫56歳)。「東京で事故に遭ってはいないだろうか」、「迷子になってはいないだろうか」…そんなことを言い続ける義父に、夫は心からうんざりしているようだった。しかし、夫は実の子だけに義父に厳しく対応し、電話は鳴り止んだそうだ。そして翌日の朝一番に、再び電話が鳴っているのである。

 私は、当然のようにそれを無視した。というか、まだ寝ていた。呼び出し音は20回程度鳴って、ようやく切れた。普通は10回程度で諦めないだろうか? 確認しなくてもわかっている。確実に義父からの電話だ。発信者番号を確認しなくても、呼び出し音にドロドロとした執念のようなものが絡みついているのが私にはわかるのだ。洗濯機の蓋を開けなくても、中に濡れた洗濯物が入っているかどうかわかるように(多くの主婦がこの能力を備えていると思うが)、私には呼び出し音でそれが誰からかけられているものか、内容がどのようなものか、だいたいのところを想像できる能力を身につけている。

  次に固定電話が鳴ったのは10分後だった。出なかった。また義父かよと思いながら寝ていた。この時は30回程度呼び出し音が鳴った。呼び出し音の音量設定は最低にしているから、それはまるで女性のうめき声みたいに、静かに、微かに鳴り続けていた。もう耐えられない。私はガバッと起き上がって、固定電話の呼び出し音を切った。この日の午後に着信履歴を調べると、表示可能な分はすべて夫の実家の電話番号だった。確実に義父だ。義母は最近、電話を使うことが出来なくなっている。義父は朝から最低でも15回はかけてきていたことになる。恐怖しかない。

  夕方、次男が私に「さっき、じいじからケータイに連絡があったわ」と言った。「今度はそっちにかけたのか!」と思ったが、正直、「助かった」と思った。次男は嫌そうな様子ではなかったからだ。もちろん、私が義父の連絡から逃げていることを、次男には言わなかった。「東京で事故に遭ったかと思って心配だったって。事故で死んでしまった夢を見て、そうなったんじゃないかと思って確認したかったらしいで」と、次男は笑いながら言っていた。この日は次男が義父と話してくれたおかげで、固定電話が鳴ることはなかった。

 こういうことを書くと、それは認知症の初期症状とか、もしかしたら鬱なのかもと言われるのだが、そこはもうすでに手は打ってある。ありとあらゆることはしている。投薬も受けている(足りていないのか?)。しかし、義父のこの執拗な電話は今にはじまったことではなく、20年ぐらい前からこの状態で、私は本格的に悩まされ続けている。悩まされているというか、単純に、怖いのだ。

 今回、義父は結局、私と話をするまで諦めることはなく、次男のケータイを鳴らした翌日も朝の9時からわが家の電話を鳴らし続け、観念した私が電話に出ると、「お前が死んだという夢を見たので電話をした」と、泣きながら言っていた。もうお手上げである。

  しかし、この電話攻撃とか、あさっての方向からの心配攻撃は、「高齢者あるある」で、悩まされている人が多いと友人から聞いた。義父のような執拗さはなくても、起きてもいないことを心配し、精神的に追いつめられる高齢者が多く、家族との間で軋轢となっているらしい。酷い場合は、方角とか天気とか、そんなものも絡めて「今日はその方角に行くな」などと言われることもあるらしい。え~、そんなの地獄…。ふと想像してみる。私の両親が生きていたとしたら、そんなことをするようになるだろうか。1分ぐらい考えて、答えは出た。「ありえない」。私の両親は、ほぼ100%、そういう状態にはならなかっただろう。だから、そういう状況に陥ってしまう人にはある程度、当人の性格が反映されているのだと思う。

  私の場合は軋轢というよりも、「とにかく逃げたい」と考えてしまう。だって、実の両親にだってそこまで追いかけられたことがないのだから。私が引くほどの執念で、受話器を握りしめ、わが家の固定電話の番号を押し続ける義父の姿を想像すると、将来仏像となり、どこかに奉納されるのでは? とも思う。令和の電話魔として、数百年後の未来人たちに鑑賞されているかもしれない。「ふーん、こういう連絡手段だったのか」なんて、木彫りの義父に感想を述べる人がいるのかもしれない。「それにしても必死の表情だね」と、観察眼の鋭い人は言うだろう。結局、私は仕方なく電話に出たが、義父の裏返った高い涙声を聞くことが苦痛でならず、精神的にとても疲労したのだった。

  しかし、この義父のピー音というか、最近ではチュイーンとかキュイーンといった、モスキート音のような声は、私に対してのみ発せられるということがわかってきた。夫とも話をしたのだが、夫の前で義父は弱い姿を見せようとせず、シャキッ! としているというのだ。しゃべり方もほぼ普通だそうだ。「俺がそんなことしようものなら叱りつけるから」と夫は言っていた。つまり、義父は相手を選んでチュイーン音を出しているのだ。理由は、書くのも恐ろしいが、きっと、「甘え」だ…ギャーーーーー!!

 これが判明して余計に、私の足は実家から遠のいてしまっている。チュイーンから逃げたい。先日も食料投下に行って来たのだが、私の顔を見た瞬間、義父は「お前はファックスをもっているのか…」と、チュイーン音で聞いてきた。電話がダメならファックスで。その義父の狙いがわかって、もう本当に、私はどうしたら逃げられるのか、そんなことばかり考えている。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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