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村井さんちの生活

2023年9月26日 村井さんちの生活

叶わなかった両親との食事会

著者: 村井理子

 先日、義母の誕生日だったため、数年ぶりに義理の両親、そして夫と私という四人のメンバーで外出した。それも夜の居酒屋である。私からすると、本当に久しぶりのちゃんとした(?)外食で(イベントなどで東京に行くときは別として)、なんとなくテンションが上がってしまったのだが、義母はそうでもなかった。先の予定を記憶できないので、義母からしたら突然「誕生日だから外出しましょう!」と言われた形になってしまい、最初は「ええ…行きたくない」と、拒絶していた。私は繰り返し、「行ったら楽しいかもしれないから、とにかく行きましょう」と説得した。これはもう、自分自身に繰り返し言って聞かせる言葉オブ2023受賞のフレーズで、義理の両親の実家に向かうときは、これをマントラのように唱えているのだ。

 義母は徐々に行く気持ちになったようで、身支度を調えて、夫の運転する車で我々四人は駅前のちょっとよさげな居酒屋に向かった。車中、義母は床の間の掛け軸について語り出した。この床の間の掛け軸については、過去20年あまりの年月において、何度聞かされたかはわからないが、こうやって書いている今も詳細は思い出せない。それでも義母は何度も言うので、「居酒屋にはたぶん掛け軸はないですよ、ワハハハ!」と笑って言ったら、夫に「…ちょっと」と制された。え、なんでこんなことで叱られ発生? と思ったが、その時は気にせずにいた。

 店に到着すると、義母は俄然喜んだ。元酒豪の義母、さすがである。うわあ、楽しい! と、すぐに表情を明るくした。私たちが通されたテーブル席の真横にガラス張りの冷蔵庫が置かれていて、そこには一升瓶の酒やらワインがずらりと並べられていた。よせばいいのに私も大きな声で「あ、チャミスルあるやん!」と、張り切って冷蔵庫を指さした。その時だ。再び夫が「ちょっと」と、私を制したのである。え、何? なんで制された、私? そう疑問に思ったものの、まあ、楽しい席なのでいいやと流した。

 義母は認知症なのでお酒を飲ませることはできないが、誕生日だから特別にということで、生ビールを注文した。義母からすると数年ぶりの生ビールで、彼女は本当に美味しそうにそれを飲んだ。「わああ、これ美味しいわあ~」と、義母は大喜びだった。私はメニューを見ながら、バランスよく食べ物の注文をしていった。そしてとうとう、メニューページはアルコール類へ。私はそのときもよせばいいのに、うっきうきの声で「おう! 山崎のハイボールあるんか!」と言った。すると夫が、「…ちょっと」と、またもや私を制したのである。ここで私の心は営業時間を終了した。まるで私という無法者から両親を守っているような振る舞いだったのだ。

 よくよく考えてみれば、私はそのとき、その席で、唯一の他人だったわけである(それも謎にテンションが高い)。目の前の義母も義父も楽しそうにしてくれていたし、その姿を見て私も心からよかったなと思ったわけなのだが、結局、夫は、彼なりに理想の誕生会を母のために開いてあげたかったのだろうと途中から気づいた。だから、異様に誕生会を楽しむ私を大人しくさせたかったに違いない。私が楽しむのではなく、義母が楽しむための会なのだ(考えてみれば、それはそうである)。

 やっぱり、こういう場所に一緒に来るのは女友達が一番ッスね! と、私は納得しはじめていたし、これは義母のための誕生会だから、義母が一番楽しむべきなのだと気づいたあたりでじわじわと「私の両親だったら、どんな感じだったろうな」と思いはじめてしまった。そこから一気に心は悲しみの海原へ

 私は大人になってから、実の両親と向き合って食事をしたことが一度もないのである。父は私が高校生のときに亡くなっているし、母とは父が亡くなってから数回程度しか一緒に出かけたことはない。今となっては、父よりも年上になってしまい、彼が酒を飲んだらどれだけクダを巻いたかとか、だらしないのかとか(たぶんどちらも正解)、そんなこともわからない。今生きていたら、どんな顔だっただろうとか、どんな声だったのだろうとか、そんなことばかりが頭のなかをグルグルと駆け巡る。

 義母と義父を目の前にし、本当の父も母も死んでしまっているというのに、私は何をやっているのかと考えたら、心臓のあたりに大きな穴が開いて、そこからスースーと空気が漏れていくような気がした。チャミスルも山崎のハイボールも、私は一度として両親と一緒に飲むことは出来なかったし、チャミスルだ、山崎だとふざけたこともない。楽しい誕生会を両親のために開いてあげたこともない。

 義母の誕生会は無事終わり、義母も義父も大いに食事を楽しんでくれた。帰りの車のなかで夫が「親孝行できてよかった」と言っていた。私も「これから月に一回ぐらいはこんなことしたほうがいいね」と答えた。優等生を気取りそう答えたものの、サンドバッグに全身で体当たりしたいような気持ちだった。

 翌日、スーパーに買い物に行く車のなかで、「あ~、父と母と飲みに行きたかったなあ~」と声に出して言ってみたら、涙腺の供給可能量を上回りそうな涙がボロボロ出てしまって難儀した。もう散々である。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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