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「答え」なんか、言えません。

2024年11月4日 「答え」なんか、言えません。

二、悩み方がわからない若者たち

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。

出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 コロナ禍では中止にしていたが、それ以前より私は希望者との面会を続けていた。

 面会場所は、私の都合で恐山か東京、福井にある私の寺に限られるが、希望者は圧倒的に東京が多い。すでに来春まで予定が決まっている。要は、私の東京滞在日数が、以前と比べて劇的に減ったからである。

 会うチャンスが一番多いのは恐山なのだが、ここは来る方が大変である。私と面会するためだけに、本州最北端まで出かけることは、大方が躊躇して当然である。が、しかし、少ないながらもゼロではない。恐山まで来てくれる人もいるのだ。

 先だって、そういう人が恐山までやって来た。受付の人に宿坊のラウンジで待っていてくれるように伝えてもらい、私は当座の仕事をそそくさと片付けて、出て行った。

 すると、ラウンジのど真ん中に、年の頃なら二十歳前後、トレーナーに太目ジーンズ、耳に大きなピアスが光る女性が、片手をポケットに入れて、休めの姿勢で突っ立っていた。

 一瞬たじろぎつつ、椅子をすすめると、彼女は、どさっと音が聞こえるかのように、無造作に腰を下ろした。

 「いやあ、待たせてごめんなさい。で、今日はどこから来たの?」

 「○○からです」

 彼女は随分遠い地方の某市の名を言った。

 「飛行機? 電車?」

 「いや、車で」

 「じゃあ、昨日はどこかで一泊?」

 「いえ、今日の朝、出たんで」

 「!?!? え、そうなの」

 ここまで数百キロはあるだろう。

 「そりゃあ、大変だったねえ…」

 どちらかと言うと華奢で小柄なタイプなのに、驚くべき体力である。

 「すると、あの、そんなにまでしてここまで来て、今日はどういう話なの?」

 「どうなんでしょう…」

 「!!!??? えっ…」

 びっくりして幾度か問い返したのだが、彼女は、特に話は無いと言うのである! 悩みも困り事も無い。しかし、では、なぜ数百キロなのだ!

 ほとんど冗談のような話に出くわして、このまますませるわけにはいかない。私は、相手を怒らせないように気を使いながら、さらに探りを入れると、突如、

 「わたし、2回、自殺未遂したんです」

 「えっ、いつ?」

 「最近と、2年位前」

 「どうやって?」

 「色々、クスリ、飲んだんで」

 いわゆるオーバードーズというものか。

 「また、どうして」

 「いや、なんか、こんなふうに生きているなら、別に死んでもいいかなって…」

 名誉のために言っておくが、彼女はれっきとした勤め人で、仕事も特に嫌ではないという。でも、そう思うのだ。だが、私はこの言葉に引っ掛かりがあった。

 「じゃ、聞くけど、何でわざわざ僕に会いに来たの?」

 「自分と感覚が似ている人かなあ…と」

 やっぱり! と、私は思った。感覚なのだ。ただし、この感覚には、彼女にはわからない致命的なズレがある。

 彼女は「死んでもいいかな」と思って生きているのかもしれないが、私は彼女の年頃には、「これでダメなら、死ねばいいんだ」と思って生きていたのだ。この違いは大きい。

 私はあの頃、ずっと引きずってきた問題があった。それは「死とはどういうことか」「自分とは何か」という、人によっては馬鹿げて見える問いに、呪われるように取り憑かれていたのである。

 この問題が、常に頭の中心やや右辺りに染み付いている場合、どうしても「まともなルート」から外れてしまう。真っ当な選択にならなくなる。だから、「ダメなら、死ねばいいんだ」となるのである。

 では、「まともなルート」とは何か。それは、戦後の高度成長期からバブル崩壊後もしばらく続いた、日本人の一般的な「人生モデル」のようなものである。

 良い高校を出て、良い大学を出て、良い企業に就職して、好きな人と結婚して、2、3人子供を作って、最終的に一戸建ての「マイホーム」を手に入れる。そして肝心なのは、親の世代よりも「そこそこ良い暮らし」ができている、という実感である。およそこのようなモデルが、あったと思うのだ。

 そして、これを是とするにしても、あるいは「プチブルめ」と批判して、「自分は我が道を行く」と反抗するにしても、モデルはあるのだから、それと比較すれば、自分の立ち位置はわかりやすいし、態度も決めやすい。私にしても、このモデルを目指すルートには、とても乗り切れないと思っていたのである。ゆえに、乗らずにダメになったら、「死ねばいい」となるのだ。

 ところが、彼女には、この「まともなルート」や「人生モデル」がもはや無いか、見えない。何らかのモデルを可能にするような方向性を、今の社会は見出し得ていない。ならば、その中にいる者には、自分の将来に相応の見通しを持つことが困難だろう。

 その上、何とか将来への選択肢を準備し、一歩踏み出そうとしても、金と商売が人間と社会を覆いつくした結果、自己決定と自己責任という幼稚なアイデアを、金科玉条のように人々に押し付けたせいで、特に若い世代は非常に臆病になっているように見える。失敗したら後が無い…。

 さらに、将来に向けて何かを選択し、前進するには、それ以前にある程度の能力を養い、それなりの経験を蓄積しておかなければならない。ただ、これについては、生まれた家庭によって格差が生じる。そして、この格差は自己決定・自己責任を押し通す社会では、不可避的に大きくなる。

 もし、今の若い世代のかなりの数が、将来に見通しを持ち難く、今の選択に怯え、自らの過去を顧みて自信が持ちにくければ、彼らは自分の生に強度を感じるだろうか。生きている実感は持てるだろうか。もし、それを感じも持てもしなければ、そのような若者にとって、生と死を隔てるものは、限りなく薄く、低くなるだろう。「こんなふうに生きているなら、死んでもいいかな」。

 日々の暮らしに特に具体的な困難や不満が無かろうと、彼女のような人たちには、今の自分たちの在り様に、漠然とした不安と疼痛のような違和感があるのだろう。しかし今、彼らは、それを言葉にできないのではないのか。何が苦しいのか、辛いのか、そもそも自分が苦しいのか辛いのかも、わからないかもしれない。

 私は、このような若者が増えている気がする。ある有名大学のスクール・カウンセラーをしている人が言っていた。

 「最近カウンセリングルームに来る学生は、坐り込んだまま、ほとんど何も言わないことが多いんです。悩みが無いと言うよりも、悩み方がわからないのだと思います」

 私は思う。彼らは、この社会の中で、自分の中の不安と違和感を言葉にする経験を持たなければならない。悩みを悩みとして語る方法を持つべきなのだ。そのためには今、同世代の間で、また異なる世代とも、対話する場を開く必要がある。

 様々な人と言葉を交わす経験の中で、自分の感情に輪郭を与え、それを思いとして語ることによって、自らの不安と違和感、そして孤独が内包する、我々の社会の決定的な問題が露わになるはずである。それはこの国の未来に是非とも必要な作業となるだろう。

 彼女との別れ際、私は言った。

 「また、会おう。いや、また会いたい」

 面会者に私が初めて言ったセリフである。

 

*次回は、12月2日月曜日に更新の予定です。

南直哉『苦しくて切ないすべての人たちへ

2024/4/17

公式HPはこちら

この世には、自分の力ではどうしようもないことがある。そのことに苦しみ切なく感じても、「生きているだけで大仕事」と思ってやり過ごせばいい―。「仕方なく、適当に」「万事を休息せよ」「死んだ後のことは放っておけ」など、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。死者を求め辺境の霊場を訪れる人々、逸話だらけの修行時代、よい宗教とわるい宗教、親ガチャや苦の正体―恐山の禅僧が“生老病死”に本音で寄り添う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

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