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斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画

2020年5月20日

斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画

「コミュ力」が高い人は「共感力」が低い?

著者: 斎藤環 , 與那覇潤

精神科医・斎藤環さんと歴史学者・與那覇潤さんの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋 』(新潮選書、5月27日発売)の特別企画として、前々回前回とコミュニケーションにおける「共感」の問題について考えてきました。今回はさらに驚くべき「共感」の裏側が……!? 同書の中から、一部を再編集してご紹介いたします。

双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。発達障害バブル・コミュ力・共感力
双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。

「発達障害バブル」を考える

與那覇 「時代を象徴する病」であるかのように、この十年間で一気に注目度が上がったメンタルの病気は発達障害ですね。「アスペ」(アスペルガー症候群)のような略称がネットで広まり、2017年には岩波明さん(精神科医)の『発達障害』がベストセラーになりました。むしろ有名になりすぎて、なんでも安易に「発達障害認定」してしまうバブル化を懸念する声もあります。

斎藤 率直にいって私は、目下の日本はあきらかな「発達障害バブル」だと考えています。専門家でも鑑別が困難なカテゴリー(病名)が、あまりに安易に多用されている。精神科の臨床現場ですら、かなりの誤解や混乱が見られます。

與那覇 専門家の見方は違うかもしれませんが、ふつうの人が発達障害に注目するのって「話が通じない」状況に遭遇したときですよね。当人はめちゃめちゃ熱心に話してるんだけど、周囲の文脈とは全くずれていて、会話のキャッチボールが成立しない。2000年代だったら「KY(空気読めない)」と言われた場面で、2010年代は「こいつアスペじゃね?」のような〝発達障害認定〟が行われるようになりました。

斎藤 臨床現場での混乱と言ったのもそれで、いま精神科が悩まされているのが「自分のパートナーは発達障害だと思う」という訴えの増加なんです。そもそも戦後日本のサラリーマンの家庭は、家族がみんな寝る時間まで父親(夫)が帰ってこなかったりして、互いのコミュニケーションが不足しがちでした。そこから生じる「なんでこの人、こんな話も通じないの?」といったトラブルのはけ口に、発達障害ブームが使われている印象があります。
 一方でTVメディアでは逆に、「IT業界の偉人には発達障害が多い」といった都市伝説を応用して、意図的に「空気を読めないがゆえに才能がある」キャラを演じているのかなと感じる事例もありますね。古市憲寿さんはニュースショーのコメントでいつも炎上するし、落合陽一さんは異様な風采でテレビに出て、レトルトカレーをストローで飲むといった「奇行」を披露しています。演出かどうかはともかく、そういうキャラの部分も込みで「消費」されていることは間違いないでしょう。

與那覇 最近ではそうした風潮を、自己啓発に応用する例さえ見られます。しかし発達障害だったとされる発明家の実話を取りあげた、映画の『イミテーション・ゲーム』や『スティーブ・ジョブズ』で印象的だったのは、天才と呼ばれた主人公の「能力」を、本人の所有物というより「周囲との関係性」として描いていることでした。本人だけを見ると絵に描いたような「コミュ障」だった青年が、女性の同僚や秘書が恋人や母親のように世話を焼いてあげた結果として、大きな発明をなしとげていく。
 発達障害はじめ、精神疾患でいう「障害」の原語はディスオーダー(disorder)が多いですが、彼らは最初、周囲との間に極度のDisorder(無秩序・機能不全)を抱えていて、その瞬間だけ見ればイタすぎる人間なわけです。でもたがいに歩み寄って有機的なOrder(秩序)が生まれたら、ものすごい「能力」を発揮した。そういう寓話に自然となっている。

斎藤 「天才は小集団現象」と中井久夫さん(精神科医)が言っていますが(※1)、偏った発達特性を持っている天才は、周囲の理解者がうまく支えてあげて、はじめてその能力が一〇〇%発揮できる。ニュートンなども現在の基準では発達障害と診断される可能性が高いと思いますが、たまたま環境が整っていたから、本人のユニークさとの相関関係でものすごい成果を出した。
 また「恋人や母親のように」というのも示唆の深いポイントで、個人と環境がよりよく調和するためには一定の承認が必要なんです。人間どうしのあいだで「共感」が求められる理由も、まさにそこにあると考えています。

「コミュ力」と「共感力」は別物

斎藤 そもそも、発達障害の人は「コミュ力が低い」と言われがちですが、この概念もきちんと考え直すべきだと思います。いま、子どもたちの世界でコミュ力と言うと「空気を読んで、人をいじって、笑いを取れる」ことを意味しています。つまり、お笑い芸人がロールモデルになっている。
 注意しなくてはいけないのは、コミュ力が高いことは、必ずしも共感力が高いことを意味しないんです。スクールカーストを研究している鈴木翔さん(社会学者)は「カースト上位者は共感力が低い」と論文に書いていますね(※2)。なぜなら共感力が高い人は弱者にも共感するので、「いじって笑い者にする」ことはできなくなるんです。
 そういう躊躇(ちゅうちょ)がない人が、徹底的に他人をいじり続けて笑いをとり、カースト最上位に君臨するのはわかりやすい。つまり彼らはコミュ力は高いけど、共感力は低い。

與那覇 なるほど。サービス産業の拡大に伴い、コミュニケーション力だけはあらゆる職種に共通の〈基本OS〉だから、欠陥があってはダメだとする「コミュ力総必修社会」が出来つつありますけど、コミュ力〝さえ〟あればよいという発想は、そうしたハラスメントの温床にもなってしまうのですね。
 一方で気になるのは、それでは発達障害の場合は、正しくはどういった能力に「問題がある」と捉えるべきなのでしょうか。

斎藤 私の考えでは、まさに共感力で、発達障害の特性は「空気が読めない」のではなく「他人の気持ちが想像できない」と呼ぶべきだと思います。ただし急いでつけ加えますが、発達障害の場合に欠けてしまう共感力とは「心が冷たい」といった人間性の問題ではなく、純粋に認知機能の問題なんです。
 有名な「サリー・アン問題」(図版参照)で、発達障害の人が(つまづ)いてしまうのは、(1)第三者の目で見て「ボールがどこにあるか」と、(2)登場人物の視点では「どこにあると思われているか」を区別できないからなんですね。他の知能は高い人でも「サリーは箱を開ける。なぜなら、いまボールが入っているのはそこだから」と答えてしまう。

サリー・アン問題
サリー・アン問題(Simon Baron-Cohen, Alan M. Leslie, and Uta Frith)。サリーはアンがボールを移したことを知らないので、正しい答えは「カゴを探す」。

與那覇 コミュ力と同様に、共感力も人間性の問題として捉えてしまうと、「この人の気持ちに共感しないやつは悪だ」といった排除の論理になってしまう。むしろ認知の面に課題があって、相手の視点を想像するのが「苦手」なだけなんだと考えられれば、以前よりもずっと寛容な対応が生まれるのではと思います。
 また人間性の場合はなかなか変えられなさそうですけど、そうした認知能力の場合は、改善するような治療のプログラムはあるのでしょうか。

斎藤 現行の治療プログラムで、「これで共感性が確実に改善する」とうたっているものはないと思います。そもそも発達障害は日本では「器質性の脳疾患」だと定義されており、だから「治らない」とする認識が一般的なので。でも、私は本書でも述べたとおり、発達障害の人でも発達はする、つまり改善する可能性は持っていると考えています。
 たとえばエンパシー(感情移入)的な意味での共感は難しくても、「こんな場面では同情的に振る舞うこと」というルールを学んでシンパシー(同情)を演ずることはできると思うんですよ。そうした振る舞いを繰り返すうちに、シンパシーからエンパシーが「発達」してこないとは、誰にも言えないと思っています。

(斎藤環・與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』第五章より抜粋・一部を再編集)

※1.^中井久夫「日本に天才はいるか」『家族の深淵』(みすず書房、1995年)所収。
※2.^鈴木翔「「スクールカースト」とは何か?:首都圏の公立中学生を対象とした質問紙調査の分析から(Ⅲ-1部会 教育病理、研究発表Ⅲ、一般研究報告)」『日本教育社会学会大会発表要旨集録 (62)』2010年。

斎藤環、與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』 (5月27日発売予定)

斎藤環、與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』

【目次】
第1章 友達っていないといけないの? ――ヤンキー論争その後
第2章 家族ってそんなに大事なの? ――毒親ブームの副作用
第3章 お金で買えないものってあるの? ――SNSと承認ビジネス
第4章 夢をあきらめたら負け組なの? ――自己啓発本にだまされない
第5章 話でスベるのはイタいことなの? ――発達障害バブルの功罪
第6章 人間はAIに追い抜かれるの? ――ダメな未来像と教育の失敗
第7章 不快にさせたらセクハラなの? ――息苦しくない公正さを
第8章 辞めたら人生終わりなの? ――働きすぎの治し方
終章 結局、他人は他人なの? ――オープンダイアローグとコミュニズム

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

與那覇潤

1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

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與那覇潤

1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。

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