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斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画

2020年6月8日

斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画

「病気から回復中の人」にお薦めの映画(前編)

『クレイジー・ハート』&『この世界の片隅に』

著者: 斎藤環 , 與那覇潤

精神科医・斎藤環さんと歴史学者・與那覇潤さんの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋 』(新潮選書)の刊行を記念して、著者のお二人に、治療者の視点から、体験者の視点から、それぞれのお薦め映画について話していただきました。第一回は、「病気から回復中の人」にお薦めしたい映画。ぜひご一読ください。

双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。発達障害バブル・コミュ力・共感力
双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。

「明るい映画」がいいわけではない

與那覇 病気の人、特にうつの人に映画を薦めると聞くと、「ハッピーになれる」「元気が出る」みたいなタグが付いているポジティヴな作品を連想しがちだと思います。もちろん善意でのことなんですけど、実際に重度のうつを体験した身からすると、これはむしろ避けてほしいんですよね。
 先日の対談でもお話ししたように、うつ状態でTVのバラエティを見ていると、出演者が楽しそうに笑っているだけで、自分が笑い者にされているように感じてしまうことがあります。つまり気持ちがヘコんでいたり、まして真っ暗な時に無理をして明るい映画を見ると、「ああ、みんなこんなに活躍してるのに、俺は全然ダメだ…」と、かえって落ち込んでしまう危険性が高いと思うんです。

斎藤 昔はよく「うつのときに明るい音楽を聞くと苛立つから、むしろちょっと悲しめの曲の方がよい」などと言われたものですが、それと同じことですね。

與那覇 本の中でも議論しましたが、平成期に「心のケア」が強調された結果、まったく患者の視点に立つ気がないのに、ビジネス目的で治療に参入する業者やNPOも増えています。そうした人たちを見分けるうえでも、実はこの視点は有益だと考えていて。
 具体的にいうとホームページが「キラキラした」ビジュアルで、私たちの施設やサービスはこんなに輝く笑顔でいっぱい! みたいな感じのところは、避けた方がいいと思うわけです(笑)。本当に患者さんとしっかり触れ合って、彼らの内面を知っているのなら、もっと落ち着いた静かなデザインを選ぶはずですから。

斎藤 「劣化する支援」と呼ばれている問題ですね。支援される側(患者)ではなく、支援する側の「こんな立派なことをしている私、意識高い!」という自己実現欲だけを追求してしまっている。実際にはうつのどん底にいる人は、他人の笑顔を見るだけで疎外感を覚えてしまうことが多いのに、そうした配慮がまったくできていない。
 だから病気の人になにかを薦めるって、じつは意外に難しいんです。そもそもまず「映画くらい、見てみようかな」という気持ちが湧くくらいまで、回復していることが前提ですし、さらに内容が「幸せ感」一辺倒だと逆効果になってしまう。とはいえむろん暗くて陰惨だったり、過激な暴力シーンがあったりする作品も相応しくありません。

「適度にダメ」な登場人物に共感

與那覇 それでは何を薦める指標にするかですが、病気の体験者として鍵になると思うのは、「適度にダメな人」を描いた作品であることです。適度に、というところが大切で、『ダークナイト』のジョーカーのような「本当にヤバい人」ではなく(笑)、誰もが、ああ、場合によっては自分もそうなっちゃうかもな、と思えるくらいのダメな人。
 なのでぼくの一本目のお薦め映画は、『クレイジー・ハート』(2009年・米)です。ジェフ・ブリッジスがカントリー歌手を演じて、アカデミー主演男優賞を獲った音楽映画ですね。主人公は、昔はスターだったけど人気が落ちちゃって、地方のボウリング場回りをしてミニコンサートで食べているアル中のおじさん。でも、数は少なくても友人やファンがいるし、根は善良な人間だから見ていて憎めない。

斎藤環・與那覇潤『心を病んだらいけないの?』クレイジーハート

 この人は病名としてはあくまで(中程度の)アルコール依存症で、うつではないんですけど、すごく繊細に「いま、事情があって落ち込んでいる人」の心理が描かれています。かつての弟子がいまはスーパースターになっていて、師匠をカムバックさせようと世話を焼いてくれるんだけど、そうした厚意を煩わしく・恥ずかしく思う気持ちがある半面、でもやっぱり感謝している。こういった主人公の方が、感情移入しやすいと思うんですよ。

斎藤 本書のなかでも、成熟は「適度なあきらめ」と表裏一体だという議論をしました。むしろ「俺には無限の可能性があり、何にだってなれる」とする自己啓発的な万能感の方が、「それなのにこの程度の人生なら、生きるのはムダだ」といった落ち込みに反転しやすい。
 うつなどの病気の最中は、少なくとも一時的には病前のようには「活躍」できなくなっているわけなので、ヒーロー的なキャラが無双する作品よりも、自分の欠点を受けいれて進んでいこうとする作品の方が入っていきやすいと思います。

與那覇 もうひとつこの映画を薦める理由は、アカデミー賞で主題歌賞も獲っているように、主人公が歌う曲をはじめとした音楽がすごくよいことです。
 『知性は死なない』にも書きましたが、うつ状態では気分だけでなく脳の機能全般が低下するので、複雑な「ストーリー」の展開が魅力になっている映画を見ても、なかなか頭がついていかなかったりします。むしろ、あらすじ自体は「アル中で落ちこぼれていた歌手が、人との出会いを通じて再起する」といった単純なものの方が、音楽のよさだけでコンサートフィルムのように最後まで見ちゃって、「細かい点はわからんけど、でもよかったな」となる。ロードムービーっぽさもあるので、アメリカの地方の景観を描く映像も綺麗です。

斎藤 最近は音楽療法やアートセラピーなどの代替療法も盛んなので、音や映像の要素に注目して映画を選ぶのは、有効な着眼点だと思います。『「社会的うつ病」の治し方』で書いたところだと、歌を聴くだけではなく患者自身が実際に歌う「声楽療法」という治療法もあって、非常に効果があるんですね。

「記憶を見直す」きっかけとして

斎藤 では、私の一本目ですが、足かけ3年以上にわたるヒット作『この世界の片隅に』(2016年・日)です。これは私がもうずっと、推し続けている作品ですが…。

斎藤環・與那覇潤『心を病んだらいけないの?』この世の片隅に

與那覇 斎藤さんが先日出された新著のタイトルも、『その世界の猫隅に』でしたね(笑)。

斎藤 薦める理由はいろいろあって、まず当初は同じ年の『シン・ゴジラ』『君の名は。』に比べて注目されていなかったマイナーなアニメ映画が、ここまで成功したという事実自体に励まされると思うんですよ。監督の片渕須直さんは熱心なファンが少なくない名匠ですが、かなり長いキャリアで苦労しているし、主人公の声を当てるのんさんも事務所とのトラブルを抱えている。原作のこうの史代さんも「通好み」な漫画家です。
 しかしそうした、最初から業界を挙げて「スーパーヒット」を期待されるのとは違う人たちが集まったからこそ、この作品はつくり込み方が半端じゃないんですね。当時の広島と呉の状況に関しては、原作者と監督が非常に緻密なフィールドワークをして、ほとんど歴史を掘り起こしています。現地で記憶を語り継ぐ活動をしている組織と連携して、原爆で消えた中島本町の街並みを再現したりしているんです。

與那覇 それはいいですね。ぼくは大学勤めのころからずっと、確かに歴史学は大事だけれども、歴史を語る営為自体はけっして「歴史学者の専有物」じゃないんだよと、言い続けてきました。もっとも学者の実態を知ってバカバカしくなったので、最近はもう「歴史学は大事だけれども」の部分は略して言わないんですけど(苦笑)。

斎藤 この映画はいわゆる日常系で、すずという女性の人生を淡々と描いていく作品ですが、このヒロインは決してハッピーじゃないわけです。十八歳でろくに顔も知らない人に嫁がされて、たまたま相手が親切な人だったから良かったものの、小姑にいじめられてハゲができたり、戦時下では不発弾の爆発で右手と姪っ子を奪われてしまったり、いろんなものを失っていく。でも基本的には淡々とした日常描写が大半で、時おり何気なく、そうした凄惨なエピソードが挿入される語り口を持っています。

與那覇 片渕監督は、かつて今村昌平が実写映画にした井伏鱒二の『黒い雨』の影響を受けているという話を、どこかで聞きました。悲惨な情景でもあえて淡々と描いていくことで、かえって見るほうが自ずと「この悲劇は、なんなのだ?」と問いかけるようになる。

斎藤 この作品の主題のひとつは、人間のアイデンティティが、他愛のない経験や些細な記憶の蓄積、さまざまな偶然や確率の集積物で成り立っているということだと考えています。
 うつの人は、どうしても自分の記憶をまるごと真っ黒に塗り替えてしまい、「自分の人生は全部失敗だった」みたいな極端な発想に行きやすいと思うんです。しかし、これだけ丁寧に日常のエピソードが描かれる映画に接すると、ひょっとしたらそうした極端なネガティブ思考に対しても、「いやいや。自分にだって楽しかったこと・懐かしく思い出すことはあるぞ」といった、記憶の見直しみたいな効果を多少期待できるんじゃないかと。

與那覇 いわば自分という存在(の過去)に対する、固定観念を揺るがせていく力が、歴史をあつかう良質なフィクションには含まれているということですよね。歴史をあつかう「良質な学問」にも、同じものは本来宿っていたはずなのですが。

家族は「偶然」でいい

斎藤 また、これまで説明してきたように、この映画は決して「明るい映画」ではありませんし、結末もハッピーエンドとまでは言えないかもしれません。しかし、それでも最後にはしっかり希望が用意されているところが、うつの人にもお薦めできるポイントです。

與那覇 ネタバレにならないように話しますが、同作のエンディングは私たちの対談本の第2章「家族ってそんなに大事なの?」での議論にも、通じるものがありますよね。
 つまり家族であることに「必然」や「理想」を求めすぎると苦しくなるし、かえって家族関係がおかしくなってしまう。むしろ「偶然」を大事にした方が生きやすくなるのではと。

斎藤 対談では、米国のSF作家カート・ヴォネガットが『スラップスティック』で描いた「政府がランダムに拡大家族を設定する」アイディアに触れて、「絆なんて偶然でいいじゃん」と割り切れる世の中の方が、かえって家族が楽になるのではという話をしました。とにかくいまは、「俺のようなエリートの子どもは当然優秀であるべき」「どうせ自分はセレブじゃない家に生まれたから、一生負け組だ」といった、(疑似的な)宿命論が家族にまとわりついて、生きづらさの温床になっていますから。
 『この世界の片隅に』は未来でなく過去を描く映画ですから、作中の家族の「偶然さ」にはさまざまな痛みが伴っています。しかしそれが決してバッドエンドではなく、むしろ不幸を受けとめてそこから回復していく、人間の力を感じさせるものになっている。

與那覇 たとえばすずは見合い結婚ですから、今日の感覚では、見ず知らずの人と「偶然」結婚したに過ぎないとも言えてしまう。でもそうした「最初は偶然だったもの」を大事にしていくことで、単なる「ランダム」とは違った実りある関係性を育ててゆく。家族をそうした空間として再定義するきっかけが、この映画には秘められていますよね。

斎藤 私の研究室には、「日本のアニメを使った精神療法にチャレンジしたい」とイタリアから留学してきた大学院生がいます。イタリアも日本と同様、家族主義が非常に強い国で、ひきこもりがたくさんいるんです。彼にこの映画を見せたら非常に衝撃を受けて、「この映画をぜひ、イタリアのひきこもりたちに見せたい」と言っていました。じつは私も本作なら実際に“治療効果”が確認できるんじゃないかと、内心期待しているんですね。

(後編につづく)

斎藤環、與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』 

斎藤環、與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』

【目次】
第1章 友達っていないといけないの? ―ヤンキー論争その後
第2章 家族ってそんなに大事なの? ―毒親ブームの副作用
第3章 お金で買えないものってあるの? ―SNSと承認ビジネス
第4章 夢をあきらめたら負け組なの? ―自己啓発本にだまされない
第5章 話でスベるのはイタいことなの? ―発達障害バブルの功罪
第6章 人間はAIに追い抜かれるの? ―ダメな未来像と教育の失敗
第7章 不快にさせたらセクハラなの? ―息苦しくない公正さを
第8章 辞めたら人生終わりなの? ―働きすぎの治し方
終章 結局、他人は他人なの? ―オープンダイアローグとコミュニズム

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

與那覇潤

1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

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與那覇潤

1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞

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