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斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画

2020年6月9日

斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画

「病気から回復中の人」にお薦めの映画(後編)

『リトル・ミス・サンシャイン』&『わたしは、ダニエル・ブレイク』

著者: 斎藤環 , 與那覇潤

精神科医・斎藤環さんと歴史学者・與那覇潤さんの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋 』(新潮選書)の刊行を記念して、著者のお二人に、治療者の視点から、体験者の視点から、それぞれのお薦め映画について話していただきました。前回に引き続き、「病気から回復中の人」にお薦めしたい映画です。ぜひご一読ください。

前編へ)

「自己啓発」へのカウンター

與那覇 「病気から回復中の人」に薦めたい映画、私の二本目は、優れたホーム・コメディにしてロードムービーである『リトル・ミス・サンシャイン』(2006年・米)です。
 前回、斎藤さんが推薦された『この世界の片隅に』と同じく、この作品も「世間に流布している“理想の家族像”」に対するカウンターとして見ることができます。そして、それは同時に対談本の第4章で扱った「自己啓発ブーム」に対する、鋭い批判にもなっている。

斎藤環・與那覇潤『心を病んだらいけないの?』リトル・ミス・サンシャイン

 現代のアメリカに暮らす一家が主人公なのですが、お父さんが重度の自己啓発信者なんですね。「人生とは成功するためにある」「勝ち組になることだけが充実した人生であり、そうでない奴は無価値な存在だ」という発想を信じ込み、家で子どもに当てはめる。それどころか本人も自己流で自己啓発メソッドを作って、セミナービジネスをしています。

斎藤 自分で始めちゃうのはすごいですね。しかし対談の第3章で議論しましたが、実際にYouTubeのチャンネルやオンラインサロンを開設し、「俺流成功メソッドの“教祖”」として一山当てようとする人たちも、いまは増えています。2006年の時点で早くも、それを予言していたというのは興味深い(YouTubeの開設は2005年)。

與那覇 ええ。2007年にスマホ(iPhoneが生まれる直前の作品なので、お父さんは昔ながらの貸会議室で開く「オフラインサロン」を主宰しているんですが、じつはこれが全然流行ってないんですよ(苦笑)。内容もどうせ「ここでしか聞けない」と自称しつつ、月並みなコピペ程度のものだろうな感が漂っていて、正直寒々しい。
 おまけにこの一家は、それぞれに問題を抱えたメンバーばかりなんです。奥さんはまともに料理ができず、お祖父さんは麻薬とポルノ鑑賞がやめられなくて、老人ホームを追い出されて家に戻ってきている。二人の子どもも癖のある性格だし、そこに失恋のショックで自殺未遂を起こしたゲイの伯父さんが転がり込んでくる。

斎藤 なるほど。「成功者になれ!」と煽るビジネスをしている本人の家族が、世間一般の勝ち組イメージからはほど遠い一家なわけですね。

與那覇 当初は、そのズレっぷりが笑いをそそる映画なんです。そうしたお父さんの最後の希望は、美少女コンテストに出るという夢を抱いて練習している7歳の娘なんですが、正直、ミスコンでウケる体型よりはだいぶ太めな子で、ぶっちゃけ勝ち目はない。
 ところがこの娘が、まぐれ当たりのような形で予選を通過して、「リトル・ミス・サンシャイン」という美少女コンテストに出ることになる。なので、会場に向けておんぼろワゴンに6名で乗り込んで旅をする珍道中を描いています。ポイントは、その過程でお父さんも、他のメンバーも、それまで持っていた先入見のまちがいに気づいていくところです。

斎藤 つまり、「自分たちは問題だらけだ。だから負け組で、理想の家族じゃない」みたいな思い込みから、解放されてゆくということですか?

與那覇 ええ。ネタバレは避けますけれど、道中で起きるさまざまな事件を通じて、「成功しないと意味がない」という発想そのものが間違っていたんだと。むしろ失敗したり欠点があったりしても、お互いを気遣いあえる、一緒にいられるからこそ家族には価値があるんだとわかってゆく。
 対談の第1章で用いたキーワードでいえば、「条件なしの承認」が生まれてゆくプロセスが描かれた作品とも呼べますし、私たちの本全体のメッセージとも、響きあうものを持っているのではと感じます。

「群像劇」の効用

斎藤 お話を伺っていて、この映画が群像劇であるというのも一つのポイントのような気がしました。その対談本の終章でも話しましたが、精神分析のように「1対1」の関係で心の問題に対処するより、オープンダイアローグのように「n対n」の関係で対処した方が、不思議と解決がもたらされやすい。
 つまりこの作品で言うと、「お父さんと娘」など1対1の関係だと、どうしても力関係が固定化してしまい、問題が煮詰まってしまいがちです。しかしお祖父ちゃんや伯父さんなど多様な人間関係の中で問題があちこちに転がっていくと、いつの間にか解決がもたらされることがある。そんな風にも見られそうな気がするのですが、いかがでしょう?

與那覇 おっしゃる通りで、作中でも成功神話に取りつかれているお父さんは途中まで、娘に「出場する以上は勝て!」とプレッシャーをかけてしまう。ところが一見するとダメダメな不良老人のお祖父ちゃんが、その孫娘のメンタルをとてもいい感じにフォローしてあげるんです。そうした形で、誰もが欠点を抱えてうまくいってないけど、それでも一緒にいるだけで実は互いに支えあってるじゃないかと。そういうメッセージを感じました。
 このくせ者のお祖父ちゃんを演じたアラン・アーキンは、若い頃は『暗くなるまで待って』でオードリー・ヘップバーンを襲う凶悪犯を演じた人ですけど、本作でアカデミー助演賞を受けました。じつは「助演俳優が優れた映画を選ぶ」というのも、ぼくがうつの時に見つけた方法なんです。それこそ自己啓発風にいえばライフハックですね(笑)。
 うつ状態では能力が低下し、「昔のようにはもう活躍できない」と悩む人が多いわけですが、いや、「主役」でなくたって人生には価値があるんだぞと。別にずっと中心にいなくたって、人にはそれぞれに役割とすばらしさがあるんだという気持ちに、自然となれる作品だと思います。

斎藤 アメリカ映画はバリバリに活躍するヒーロー・ヒロインばかり描いているようにみえて、意外にそういう群像劇も得意ですよね。私の好みで言うと『ガープの世界』、『ホテル・ニューハンプシャー』、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』とか。
 仰ることをいま風に言い換えると、群像劇ではおのずと「ダイバーシティ」(多様性)が生まれる、ということになります。もっとも最近は、ハリウッド映画の世界でダイバーシティというと、いわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)に基づくキャスティングばかりを連想しがちですが…。

與那覇 アクションヒーローのチームに、女性とLGBTと黒人とアジア系は一人ずつ入れておけ、といったやつですね(苦笑)。多様性の追求がそうした「杓子定規さ」につながったことが反発を招いて、トランプ現象のような「反リベラル」を勢いづけてしまった面もあります。
 そうしたバックラッシュ(反動)の吹き荒れる現状から、どのようにしてもう一度公正さを取り戻していくのか。対談ではセクハラ問題を扱う第7章、働きすぎ問題を扱う第8章で力を入れて論じたテーマですので、ぜひ手にとってくださる方があればと思います。

「弱者支援」と人間の尊厳

斎藤 さて、私のお薦め映画の二本目は、社会派として知られるケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年・英)。カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得した素晴らしい作品です。ただ、イギリスの貧困層における生活保護や障害年金の厳しい実情を描いた話なので、うつの調子が悪い時に見るには、ちょっとしんどい映画かも知れません。
 前回も述べていますが、そもそも病気が最悪の状態では、映画を見ること自体が本人のエネルギーを削いでしまうほどの苦行になってしまいます。なので、必ず十分に回復してから触れていただけたらいいなと思います。

斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの?』わたしはダニエル・ブレイク

與那覇 たしかにテーマをうかがうと、病気の真っ只中の人には切実すぎる気がします。でも、回復して社会復帰が視野に入って以降であれば、「苦労しているのは、俺だけじゃないんだな」という作品が励みになることもありますね。少なくとも、キラキラした美男美女が「能天気」に活躍するタイプの映画よりは、心に良いような気がします。

斎藤 ええ。それに、この作品は単に「世の中にはかわいそうな人がいるね」といった、同情をそそるだけの内容ではありません。むしろ「自分は落伍者だ」と思い込んでしまっている人に、尊厳を取り戻す勇気を与えてくれる映画なんですね。
 主人公のダニエル・ブレイクは高齢の大工ですが、心臓に障害があるという診断書が出てしまい、本人は働きたいし、働く力もありそうなんだけど、働くことができない。仕方がないので、福祉事務所に支援手当を貰いにいくんだけれども、パソコンで申請する仕組みになっていて、肉体労働一筋だった彼には使い方がわからないんです。もちろん、事務所の係員が教えようとしてくれるんだけど、そもそも「マウス」と言われてもなんのことかわからないレベルなので、結局あきらめてしまいます。

與那覇 日本ではしばしば、申請窓口でわざと煩雑な手続きを課して生活保護受給を諦めさせる「水際作戦」が問題になります。そして行政の側に悪意がなくても、職業や階層ごとのカルチャーの違いがあまりにも大きくなってしまえば、それ自体が巨大な防波堤のようになって、あるべき権利の行使が阻害されてしまうと。

斎藤 まさにそうです。その結果として、ダニエル・ブレイクは貧困に苦しむのですが、厳しい生活の中で、ロンドンから越してきたばかりのシングルマザーの家族と出会って、ある意味、その庇護者みたいな立場になっていくストーリーなんです。
 そして、このダニエル・ブレイクのあり方というのが、「ああ、これを尊厳と言うんだな」ということを実感させてくれるんです。日本で生活保護を受けるというと、しばしば受給者の側に「尊厳とお金を交換する」みたいな意識が生じて、すごく卑屈になるか、逆にものすごく居丈高になるか、どちらかになってしまいがちなんです。

與那覇 「土下座しますからお恵みください」のように過剰にへりくだるのと、「俺の権利だろうがオラァ!」と恫喝してしまうのとでは一見対照的ですが、自分の尊厳を傷つけられたと感じたことで起きる、不安定な心理状態という点では共通であると。

斎藤 どちらも自己防衛的な反応が、両極端に出ているわけです。ところがダニエル・ブレイクは卑屈にもならないし、居丈高にもならない。頑固オヤジで、文句をたらたら言うんですけど、キレたりはしない。でも、自分の尊厳は絶対に譲らないスタイルを貫く。
 本人を知らない人の目で見れば、もう仕事に就けず、お金もパートナーもない暮らしをしていて、「弱者」「負け組」と呼ばれるのかもしれない。それでも、質素だけれども清潔な部屋に住み、日本の「ゴミ屋敷」のようなセルフネグレクトには決してならない。しかも、近所のシングルマザーのケアをするぐらいの心の余裕まである。
 うつなどの病気で精神がどん底の状態にある人は、自分の尊厳の存在を見失ってしまいがちです。そういう時に、人間の尊厳とはこういうものであるということを思い出させてくれるという点で、私はこの映画をお薦めしたいと思います。

與那覇 『リトル・ミス・サンシャイン』のメッセージとも重なってきます。「成功・活躍しているから、尊厳を感じられるんだ。そうでなければ人間は生きる意味を見失い、どこまでも落ちていくんだ」といった発想こそ、まったく間違った人生観なんだということですね。

斎藤 そのとおりです。ネタバレになってしまうので詳しくは言えませんが、福祉の支援を受けていようと、標準的な家族とは異なる生活をしていようと、誰もが他の人と同じ人間であって、その尊厳は当然守られるべきである―そんな当たり前のことをダニエル・ブレイクは、非常に説得的な形で私たちに教えてくれるのです。

(おわり)

斎藤環、與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』 

斎藤環、與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』

【目次】
第1章 友達っていないといけないの? ―ヤンキー論争その後
第2章 家族ってそんなに大事なの? ―毒親ブームの副作用
第3章 お金で買えないものってあるの? ―SNSと承認ビジネス
第4章 夢をあきらめたら負け組なの? ―自己啓発本にだまされない
第5章 話でスベるのはイタいことなの? ―発達障害バブルの功罪
第6章 人間はAIに追い抜かれるの? ―ダメな未来像と教育の失敗
第7章 不快にさせたらセクハラなの? ―息苦しくない公正さを
第8章 辞めたら人生終わりなの? ―働きすぎの治し方
終章 結局、他人は他人なの? ―オープンダイアローグとコミュニズム

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

與那覇潤

1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

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與那覇潤

1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞

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