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村井さんちの生活

2022年2月28日 村井さんちの生活

少しずつ、でも確実に変わりゆく日々

著者: 村井理子

 デイサービスが苦痛だと義父に訴えられ、苦肉の策で正月明けからお休みして、しばらく経過した。しっかり休んで自宅での自由時間を満喫した義父は、再びチャレンジする気持ちを取り戻してくれたらしい。「わしもお母さんも、もう一度デイサービスに通うことにする」と電話をくれて、私は喜んだ。

 人に会わない日々も楽しかったが、なんとなく寂しいのだそうだ。デイサービスに行けば食事も提供されるし運動もできるけれど、家にいればすべて自分でやらなければならない。自由時間が欲しいと辞めたはいいけれど、義母と連日顔を突き合わせて暮らすのも、正直とても疲れるのだそうだ。なるほどね、わかる気もする。認知症の人と暮らす苦労は、暮らした人でないとわからない。私なんて、義母と一時間付き合うだけで、どっと疲れる…というわけで、私とケアマネさんは次の一手を放つことにした。義父と義母を別々のデイサービスに送り込むという作戦だった。

 義父は短時間で家に戻るプログラムに、義母は終日デイサービスで過ごすプログラムに。つまり、別々の施設に通うようにするのだ。こう提案してくれたのはケアマネさんだった。「そうすることで、お母様は引き続き支援を受けられますし、お父様には自由時間ができますしね!」 なるほど! 名案だと思った。さすが百戦錬磨のケアマネ様である。義父は週一回、義母は週二回。義母が単独で行く日を作ることで、義父には自由時間が与えられる。でも、義母がすんなりそれに従うだろうか。なにせ、認知症の義母は猜疑心が強い。義父が少し外出するだけで、どこに誰と行ったのだと怒るぐらいだ。そんな義母が、ねえ…。

 不安そうにする私に、「デイサービスがある日に看護師さんに送り出しをしてもらいましょう」とケアマネ様は言ったのだった。「ほら、お気に入りの山田君に朝来てもらって、送り出してもらうんですよ!」 なるほどね、確かに服薬管理をしてくれている訪問看護師の山田君のことを義母は大変気に入っている。ついでに私も山田君のことは信頼している。なにせ、優秀なのだ。何かあるとすぐにメールで連絡をくれる彼の律儀なところも、とても助かっている。

 「やってみますか…」と不安げに答えた私に、「やってみましょう!」とケアマネさんは自信ありげに言った。

 そして…別々のデイサービスに通いはじめて一ヶ月が経過した義父と義母である。当初予想していた義母の強い抵抗はなく、びっくりするほどすんなりと環境の変化に慣れてくれた。終日、単独でデイサービスに通うという不可能に近いチャレンジを、すんなりやり遂げてくれているのだ。義父はと言えば、私の顔を見るたびにとめどなく出ていた愚痴がぴたりと止んだ。認知症が原因の義母の強い猜疑心に連日苦しめられていた義父は、義母がデイサービスに単独で行っている間の自由時間を、思う存分エンジョイしているようだった。「今日は昼寝がはかどったな~」とか、「今日は楽しかったなあ~」とか、上機嫌なのである。そんな義父の言葉を聞いて、なんとなくイラッとする気持ちを抑え、それはよかったねと言えた自分も、成長したものである。しかしそれにしても、今まで大いに尽くしてくれた妻がデイサービスに行ってくれてうれしいってのもなぁ…いやいや、認知症の人と常に一緒にいるというストレスも大変だろうしな…いやしかしですよ、今まで連れ添った妻がこのような状況に…(以下、延々と続く)

 最初は本当に無邪気に義母の変化を、義父の自由時間を喜んでいた。しかし、だ。何か少し落ち着かない気持ちだった。不気味な予感というべきか、虫の知らせというべきか、どうにもそわそわするのだ。あの義母が突然、ここまで素直にデイサービスに通いはじめるなんて、おかしいのでは!? そう思って胸騒ぎがした。そんなに簡単にすべてうまくいくわけがないでしょ。なにせ、ハプニングの神様に溺愛されている村井家ですよ?

 義母は、一筋縄ではいかない人だった。とても明るい性格で人情深く、社交的だが、一度言い出したら絶対に折れない人だった。つまり、私からすれば強烈な姑だったのだ。義母の友人や習い事の仲間の人たちも常に「理子さん、大変よねえ~」と笑い混じりに声をかけてくれたものだった。大変だった、確かに。

 だからこそ、なのだ。いくら投薬治療の効果が出始めたとはいえ、そんなにすんなりこちら(私やケアマネさん)の思惑通りにデイサービスに一人で行くなんておかしくないだろうか。過去の壮絶な嫁姑バトルからのトラウマか、私はどんどん不安になっていた。そして、不安な時はいつもそうするように、注意深く観察することにした。何か見落としはないか。気づいていないことはないか。徐々に状況を理解していった私は確信した。義母の認知症は確実に進行している。

 そう気がつくと、腑に落ちることはたくさんあった。義母が穏やか過ぎるように私には思えること、いつもの溌剌とした笑顔がないこと、常に不安そうで、取り残されてしまった迷子のような表情をしていること。冷蔵庫の中身がときおり不自然だ(そこにあるべきではないものが入っている)。義母は徐々に、しかし確実に変わっていっているのだ。

 本当にわずかな変化が積み重なって、ある日を境に大きく崩れ出す。そうなるだろうとわかってはいたものの、あまりにもそのスピードが速くて悲しくなってきた。必死に追いかけても、追いつかない。全力で立ち向かっても、強い力で押し戻されてしまう。大人しくデイサービスに通う義母を見ればなぜだか心が痛み、なんとかしてあげなくてはという気持ちが強くなってきている。

 ケアマネさんとも相談して、とりあえずは今のままで様子を見ていくこと、楽しんでデイサービスに通えているうちは通ってもらうこと、必要になってきたら一泊でのステイも考えていくことを確認しあった。

 介護も次のフェーズに入ってきたのかなと思う。私が実家から自分の家に戻るとき、不安そうな顔で見送ってくれる義母が悲しい。昔はあれだけ強烈な人だったのにと思うと、寂しい気持ちにもなるけれど、変わった義母を受け入れるのも、私の役割なのだろうと今は納得して進むしかないのだ。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎


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