義母が認知症になってからというもの、認知症関連の書籍やドキュメンタリーを山ほど読んだり視聴したりしてきた。そのなかで、私がいちばん好きな作品は、信友直子監督が認知症になった母の様子と、母を支える父の暮らしを記録した『ぼけますから、よろしくお願いします。』だ(続編の『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』も視聴済みでこちらも素晴らしかった)。広島県呉市が舞台で、私がそもそも呉市の風景が好きということもあって、とにかく隅から隅まで見まくって、視聴回数はすでに十回を優に超えている。最近では監督の父・良則さんのファンになり、週末にインターネット上で開催されるファンミーティングにまで参加している。「わ~、お父さん、元気そう~! よかった~!」と、画面の前でパチパチと手を叩いたりしている。ココスのハンバーグが大好きだというお父さんの言葉に、「おいしいですよね~!」と納得したりしているのだ。
アルツハイマー型認知症を患った母と、その母を懸命に介護する父の姿が描かれる本作だが、私が大好きなシーンがいくつかある。監督が四十五歳の時に乳がんを患い、抗がん剤治療で髪が抜けてしまった姿を、東京の監督の住まいで母・文子さんが撮影している場面だ(この時はまだ、文子さんは認知症を発症していない)。監督が笑顔で「どうなん?」と母に聞く。すると文子さんは一切躊躇することなく、「かわいい」と答える。監督は「可哀想なことない?」と、笑顔で聞き返す。すると文子さんはもう一度、「かわいい」と言うのだ。そして料理上手な文子さんが作る、呉の実家の食卓をそのまま移動させたかのような料理が映されていく。ヒラメの煮付け、カボチャの煮付け、トマト、お浸し。文子さんは笑顔で「デザートのみかんもついてます!」と言う。このさりげないやりとりや食卓の様子が、私のなかにずっと居座り続けている、両親と暖かい時間を過ごしたことがあまりないという薄暗い思いにずっしりと響いてくる。
私が忘れられないシーンがもうひとつある。認知症が進んだ文子さんが、呉に帰省した監督に言う。「わからんの。わからんのじゃがねえ。どうしたんじゃろか」
迷惑をかけると心配をし続ける母・文子さんに監督が涙ながらに答える。「乳がんのときに面倒見てくれたじゃないの。だから直子がなんでもしてあげるけん」。バックグラウンドには、勉強家の父・良則さんが新聞を読みながらご機嫌で「タラッタラッタタ~ン」と歌う声が入っている。涙を流した途端に笑ってしまう、それなのに心に残るシーンだ。実家って、こうだよね。両親ってこんな存在だよね。そして二人がいる空間、それこそが実家なんだよね……視聴しながら幾度となくそう思った。だから私はこの作品がどうしようもなく好きで、愛おしいのだ。だって私の人生には存在しないものだから。
薄暗い蛍光灯、二層式洗濯機。狭いけれど磨き上げられたキッチンと、流しに並んで置かれた二つのコップと歯ブラシ。ヒラメを煮付けるときの鍋、壁の高い位置にある給湯器のスイッチ、お父さん自慢のコーヒーメーカー。そんなすべてが信友家であり、ご両親、そして監督の家族の歴史なのだ。私はきっと、このドキュメンタリーを観ながら、自分と両親との記憶をたぐり寄せようとしている。あまりに希薄で、そして短かった二人との時間を。だからこんなにも隅々まで観て感激してしまうのだろう。
……なんてことを考えつつ、先週も監督と父・良則さんの出演するファンミーティングを視聴していた(徐々に怖いファンになってはいないだろうか。気をつけよう)。いいわ~、監督とお父さんの雰囲気いいわ~、素敵だわ~、私にもこんなお父さんがいたらよかったのに~と一人で感激していると、夫が「うちにもいるじゃないですか、お父さんが」と言った。は? である。なにやら、強烈に苛立った。
「いや、彼はあなたのお父さんであって、私のお父さんじゃないんで」と氷のように冷たい声で答えてしまった。相も変わらず、義父は 「大事な話がある」と言っては、「デイサービスを変えようと思う」とか、「桜の木を切ってくれ」とか、またそれかよという発言を繰り返している。もう苛立ったりはしない。生暖かく見守るだけである。
私の足が夫の実家から遠のいて、すでに二ヶ月。夫は毎週休まず実家に通い、両親との時間を過ごしている。「今日も和やかな時間を過ごした」とか、「いや~、二人とも元気だったな~」などと言いながら帰ってくる。そりゃそうでしょうよ。義理の両親からしても、何かと厳しく、ことあるごとに「んぁぁぁ!?」とキレ、いきなりやってきては嵐のように去って行く嫁の私よりも、勝手知ったるわが子というか、実の息子のほうがいいに決まっているじゃないですか。私が高齢者になっても、たぶんそうなるわ。だから最初からそうしていればよかったじゃないか。というか、これからもそうしなさいよという気分なのだ。そして夫は、これから先もしっかり介護に関わるだろう。そんな予感がしている。
事務的なことは私がすべてやっておくから、毎週顔を見に行ってあげたほうがいい。両親が年老いてからが、本当の親子の時間なんだからと、こっぴどく夫に言いながら、やはり私はどうしようもなく寂しい。私の父なんて、私が十代で亡くなっているし、晩年に認知症になった母を理解することが出来ず、最後の最後までしっかりと言葉を交わすこともなく、母を見送ってしまった。そして無人となった私の実家は処分が決まり、手続きが進められている。
今まで勝手気ままに生きてきて、いざ両親がいなくなってから寂しいと言うなんて、勝手だということは理解している。それでも、両親がこの世にいない心許なさは結局、素晴らしいドキュメンタリーを観ても、義理の両親の介護を経験したとしても、埋まることはないのだという事実だけがひたすら重い。
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信友直子
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『ぼけますから、よろしくお願いします。 おかえり、お母さん』
信友直子
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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