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「答え」なんか、言えません。

2024年12月2日 「答え」なんか、言えません。

三、修行をなめるな!――「厳しさ中毒」と「真っ白願望」

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。

出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 今もそうかどうかは知らないが、「禅」とか「修行」とか言うと、それなりの年齢の日本人には何か響くものがあるような気がする。そしてそれは、ご多分に漏れず、世上に流布したイメージによる、困った誤解を招くような気もする。

 かつて私がいた修行道場には「参禅係」というものがあり、一般在家の希望者に、禅寺の修行を体験してもらった。私も一時期、そこに所属していて、集まった人たちの指導などをしていた。

 ある日、7、8人の男性グループが2泊3日の修行にやってきた。年代もほぼ同じ、全員背広姿で、すぐに在家用の修行衣に着替えさせ、予めスケジュールや基本の坐禅作法などを教えるのだが、どうも様子がおかしい。

 緊張しているのはわかるが、これが普通の修行希望者だと、緊張の中にも覚悟というか、好奇心というか、ある種の気迫めいたものがあるのだが、このグループの連中には、それがまるで無い。

 いよいよ、実際の修行が始まると、はっきりおかしい。こちらの言う通りにはするものの、厄介な仕事を押し付けられた労働者のごとく、常にうなだれているのである。坐禅の最中でもそうなので、私は情け容赦なく警策(きょうさく)(坐禅のゆるみに対して、警告の意味で肩をたたく棒)で「励ました」のだが、しばらく姿勢が直っても、たちまち萎える。

 あまりにおかしいので、私は初日の夜、代表者という50歳くらいの男を呼び出して、

 「言いたくありませんが、あなた方はどういうつもりでここに来たのですか? これほどたるんだ参禅者は見たことがありませんよ」と問い詰めた。

 すると、私の剣幕に圧されたか、もう限界だったのか、男はあっさり白状した。

 「すみません。私たちは自分たちの意志で来ていません。実は、会社から、月の営業成績の悪い者の罰として、ここに行くように命令されたのです」

 私はこの時まだバリバリの修行僧である。若気の至りと言えばその通りなのだが、聞いた瞬間に激怒して、翌朝この会社に電話して、「懲罰社員」の目前で社長を呼び出し、開口一番、怒鳴った。

 「修行をなめるな!」

 その一言で電話を切ると、私は居並ぶ「懲罰社員」に直ちに向き直り、「あなたたちはここにいても無駄です。直ちに下山してください!」と言い放った。

 私に命じられて彼らを総門まで連れて行った修行僧が、しばらくしてニヤニヤしながら戻ってきた。

 「連中、門まで神妙に歩いていましたが、出た途端、脱兎のごとく門前の蕎麦屋に跳び込んで行きましたよ。ビールで乾杯して、『厄落とし』でもするつもりですかねえ」

 これほどの勘違いは珍しいだろうが、この種の誤解は、そう少なくないだろう。それというのも、禅門の修行は「厳しい」というイメージが蔓延しているからである。「山奥の寺で、飢えと寒さに堪えつつ、先輩にしごかれている」みたいな。

 このイメージは、完全な嘘ではない。そういう側面があることは事実だが、これは修行の方便であり、「厳しく」すること自体が目的ではない。まして、坐禅の要諦でもない。

 その種の「厳しさ」が目立つのは、特に修行の初期、在家的生活の意識と習慣を断ち切るため、いささかドラスティックな指導方法をとる場合で、必要なプロセスである。それがないと、いつまでも禅門の教えに対して素直に胸襟を開けない。

 ところが、それこそ「厳しい」市場競争にさらされている企業の側には、勿論そんなことは関係ない。ただ「働きの悪い」社員の「根性を叩き直す」ために、禅寺で「厳しい」修行をさせようというのであろう。会社も社員も、ほとんど「厳しい中毒(・・・・・)」である。

 この会社ばかりではない、1970年代から80年代にかけて、あちこちの禅寺で、この種の「厳しい研修」が頻発していたのだ。

 定年後に出家を言いだす男が少なくないのも、この「厳しい修行」が、過去の会社での「厳しい仕事」を連想させ、「働いている自分」を錯覚させるからではないか。

 第一、こういう連中は、退職後に、なぜキリスト教の洗礼を受けたり、念仏門徒になろうとしたりせず、いきなり禅なのか? 「アーメン」や「南無阿弥陀仏」が仕事っぽくないからではないか? 結局、仕事以外で「アイデンティティ」を形成できなかったからではないか?

 坐禅についても、似たような錯覚がある。

 坐禅を教えてほしいとやって来る人に、「無になりたい」「頭の中を真っ白にして、楽になりたい」という類のことを言う人が多いのだ。

 以前、80歳くらいの女性が恐山に訪ねて来て、

 「2、3か月前から坐禅をならっているけれど、ちっとも無になれない。どうしたらいいでしょう?」

 2、3か月にしては壮大な目標だと思ったが、事情がよくわからない。

 「どうしても、うまくいかないです。教わったとおりに頑張っているのに」

 「頑張ると、体中が痛くなるでしょう?」

 「そうなんです。痛くて、無どころではないんです」

 「そうでしょうね。教えてくれる和尚さんは宗門公式の方法を教えるでしょうが、失礼ながら貴方のような高齢になると、体にあった坐禅の仕方にアレンジしないと無理ですよ」

 「なるほどねえ」

 坐禅の指導は、それなりに配慮がいる。まず坐禅で何を目指すのかを把握し、その人の年齢や体調に応じて、微妙な調節が必要である。この指導ができる者は、実は多くない。

 「なんでまた、無になんかなりたいんですか?」

 「ええ、夫が亡くなって、本当に切なくて、一人でいると悲しくて、いろんなことを思い出して辛いばかりなので、それで無念無想になれると楽だろうと…」

 「ああ、だったら貴方に坐禅はダメですよ」

 「え?」

 事情がそうならば、彼女が坐禅を終えると、すべては元の木阿弥である。

 この人の問題は坐禅ではなくて、孤独である。息子や娘は遠方に居て、友人も先に死んでしまって、いま彼女には、自分の切ない気持ちを話せる相手が、周囲にいないのだ。

 「最近誰かとゆっくりこういう話をしましたか?」

 「しませんよ。和尚さんが初めて」

 これはもう、坐禅でどうにかなるものではない。されど、この一人暮らし高齢者の孤独は、近い将来大きな社会問題になると思う。ここ数年の私の実感である。

 ただ、それとは別に、「雑念を消したい」「リラックスしたい」「集中力を高めたい」系の需要は少なくない。これに対応して近頃流行しているのが、曹洞宗の坐禅から「宗教色を抜いた」と称する、「マインドフルネス」なる瞑想である。

 これは悪い話ではなく、私も人によっては、自分の坐禅にアレンジを加えて、要望に沿うことはある。ただし、これは言うまでもなく、確かに坐禅ではない。少なくとも、私の坐禅ではない。いわば「リラックス」法である。 私のする坐禅は、間違いなく、仏教の、それも私が理解する限りでの、道元禅師の教えの文脈に位置付けられている。

 私の坐禅は、「私」という存在の仕方には確かな根拠が無く、行為形式や生活様式に規定されていて、それを変えると、自意識が一変し、「私」は溶解することを、事実として確かめる方法である。

 近代型の「個人」の自意識は、取引や競争という行為形式と市場経済の生活様式に強く規定されている。これを解除して、「口も手も足も出ない」坐禅という行為様式に変換すると、この「自意識」は崩壊する。俗な言い方をすれば、坐禅は自己を初期化するのだ。

 大事なのはその後である。初期化したら、取引や競争においては、ほとんど「敵」のように意識される他者を、自己を成立させる相手として認識し、その関係を作り直すのである(プログラムの書き換え)。他者との関係そのものの充実が、自己の存在の充実であることを、実感として体得することなのだ。ここに修行の核心がある。坐禅はその土台なのだ、と私は思う。どう考えても、「厳しい」「真っ白」は枝葉末節、付録程度の話である。

 

*次回は、2025年1月6日月曜日更新予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

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