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村井さんちの生活

2023年11月21日 村井さんちの生活

そろそろ、実の子の出番ですよ

著者: 村井理子

 先日のことだ。実家に両親を訪ね、戻って来た夫曰く、義父が「最近、来てくれなくなったなあ…」と言っていたそうだ。私のことである。「なにそれ! はぁ!?」と夫に言うと、「酷いなあ、その言い方」ということだった。でも私の正直な気持ちからしたら、まさに「なにそれ! はぁ!?」なわけで、「はぁ!? はぁ!? はぁ!?」と三連発しなかっただけでも偉いと思ってほしい。

 「来てくれなくなった」という言葉に、大変な重みを感じてしまう。私が逆の立場であれば、絶対に、ぜーーーったいに、言わない。むしろ、「来てくれなくていい」と言いたい。「ばあさんにはインターネットがあるから心配するな!」と、付け加えるはずである。

 私の想像のなかの義父は、「最近、来てくれなくなったなあ…」と言ったあとに、こちらを振り返って、じっとりとした視線を送ってきている。私が夫の実家に義理の両親を訪ねることが、当たり前のことになっているから、「来てくれなくなった(おかしいじゃないか)」となるわけで、私からしたら実家に通うことなんてイレギュラー中のイレギュラーで、半分事件と言ってもいいぐらいなのに(あるいはネタ探しだが)、期待してもらっちゃ困るんだよ!! という気分である。冷たいと思われても、これが本音だ。だって、忙しいんだ、あたしは! 仕事してんだよ、毎日! 遊びじゃねえんだ、まじで。

 私が最近夫の実家にさっぱり行かなくなった理由は、実はケアマネさんからとある打診があったからだ。ケアマネさんは、義母の認知症が予想より速いスピードで進行していること、義父が高齢であることを考え、この先、何があっても対応できるように、ショートステイ(介護施設に短期間入所すること)の練習をしはじめたほうがいいと助言してくれたのだ。

 義母にとっては辛いことかもしれない。でも、慣れたらきっと楽になる。楽しいかもしれないじゃないか。私も、そんな気がしはじめていた。万が一どちらかが倒れてしまったとしたら、一気に詰むのは、わかりきっている。しかし、わが家の場合、一筋縄ではいかない事情がある。頑固で性格が暗くて重い義父だ。義父は「義母のショートステイを絶対に許さないマン」なのだ。ついでに、「デイサービスも、週二回以上は絶対に許さないマン」でもある。私もケアマネさんも、この説得は厳しいものとなると予想していた。私自身も、それを義父に言い出せば、拒絶されるのが明らかなので、考えるだけで面倒だと思っていた。だ・か・ら…。

 ケアマネさん曰く、「そろそろ、実の子の出番ですよ」というわけなのだ。よし、実子がようやく登場だ! と私は喜んだ。ケアマネさんもその気になって、「息子さんとお話したいんですが、ちょっとお会いできませんかね? お父様を説得してもらいましょう!」と、いつも以上に気合いが入った様子で、夫との面談日程を調整したいということだった。かなり本気である。

 私は正直、とても安心した。とうとう、私もお役御免だ。最近はシビアな判断をしなければならない場面が多く、「これって私でいいの?」と考えることが多かった。重要な判断はやはり実子がすべきだし、これから先はそうでなければならない。いくら私が鬼嫁とはいえ、義父に対して、義母をショートステイに行かせるべきと伝えることは、絶縁宣言に等しい大きな賭けなのだ。この先はもう、夫にすべてを任せたい。私は観察だけさせて欲しい。

 デイサービスに通うこととショートステイの間には、ものすごく険しい山があって、それを越えるのは至難の業のように思える。半日か、それとも一泊か。天城越えどころの騒ぎではない。わずかな差のようであって大変大きな差であり、介護をしている家族からすると、かなり勇気が必要な決断だ。行く方にしたら…もしかしたら、家族に捨てられたと思うかもしれない(状況を理解できている場合だが)。

 ケアマネさんから打診があった日の夜、夫に相談してみた。もうそろそろ私ではなくて、あなたがイニシアチブを取る時期なんですよと、私は言った。すると夫は、「わかった! そうするわ! 今度、親父に言ってみるわ!」と、あっさり過ぎるほどあっさり納得した。ということで、その日以来、私が単独で夫の実家に行くことはなくなった。そうすることで夫も本気になってくれるだろうと思った。そもそも、デイサービスも、ヘルパーさんも、訪問看護師さんも、しっかりとスケジュールを組んである。連日、誰かが夫の実家を訪れ、二人に会っている。よし、これでいいぞ。今まで介護にあまり関与していなかった夫を引っ張り込むことができた!

 さて、私が夫の実家に行かなくなってから、初めての週末。夫は単独で実家に行くために準備をしていた。私は珍しく夫に、「がんばってね」と声をかけた。今日が、説得の日だ。頼む夫よ、なんとかして義父を説得し、義母がショートステイの練習をできるようにして、戻ってきてくれ。抵抗されても、冷静に押し切ってくれ。実の子にしかそれはできないのだ!

 夫は二時間ほどで、すんなり戻って来た。私は聞いた。それで、例の話はどうだった? 

 夫の答えは「やっぱ言えなかったわ!」 

 おいおい、ガキの使いか? 手ぶらで戻ったのか、情けない!! あれからあっという間に数週間が経過しているが、私たちはまだ、義父に切り出すことができていない。もしかしたら悲しむのではないか、彼らにとって最後通告のような、残酷な話に聞こえてしまうのではないか…そう考えて、気が重い。夫に至っては、完全に考えることさえ放棄している。  

 しかしここを乗り越えないと、きっといつか大変なことになる。それだけははっきりわかっているのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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