「そろそろ、実の子の出番ですよ」ということで、夫が介護に積極的に参加するようになって数か月が経過した。週末になると実家に行き、食料を調達し、家のメンテナンス(電球を換えたり、庭の手入れをしたり)を行い、両親とのコミュニケーションもバッチリ取れている様子(しかしこれは夫の証言であって、義理の両親がどう思っているのか定かではない)。これはいいではないかと思っていた矢先、考えさせられる事件が発生したので張り切ってお伝えしようと思う。
その日、夫は義父の通院の付き添いをしていた。義母一人で留守番はさせられないので、義母も一緒に車に乗せ、病院に連れてきていた。診察はスムーズに終わり、会計を済ませて病院近くのレストランへ。昼食を食べて、その足でスーパーに買い物へ。夫は義父母のために夕飯用の食材を揃え、義父と義母も二人仲良く食材を眺めたりしていたという。夫は買い物かごを持って会計へ。義父と義母は夫が会計を済ませるのを待っていたはずだった。しかし事件はここで起きた。
会計を済ませた夫が、ふと義父母を探すとどこにもいない。あれ、どこに行ってしまったのかなあと思いつつ、店の出口を見てぎょっとした。そこに義母が一人で立っていたというのだ。それも、右手に会計を済ませていない商品を持って。あともう少しで店を出てしまうところだったそうだ。
そのとき義父がどこにいたのかというと、駐車場を必死になって歩いていた。車に置き忘れた財布を取りに戻っていたらしい。義母が、大好物のお菓子を買いたいと言ったため、義父は慌てて財布を取り出そうとしたのだが、うっかり愛用のウェストポーチを車中に忘れてきてしまったことに気づいた。そこで義父は、「ちょっと待っていなさい」と義母に声をかけて、必死に戻った(でも91歳だから、歩みは遅い)。
最初は会計の近くで待っていた義母だったが、義父が遅いため、徐々に店の出口に近づいていたのだろう。夫は何も気づかず、セルフレジで上機嫌で商品バーコードを機械に読ませていたと思われる。義母は、一歩、そしてまた一歩出口に近づいていた。右手には大好物のおせんべいの袋が握られていた……。
本当に幸運なことに、義母は最後の一歩を踏み出さなかったし、夫がギリギリで気づいたために事故を防ぐことはできた。でも、このアクシデントには、深く考えさせられた。まず、登場人物全員が気の毒だ。夫は自分の両親のためを思って買い物をしていた。義母はきっと、夫が買い物をしてくれている間に、ふと目についた大好物のおせんべいを、自然に手にしただけだ。そして義父に対して「これ買って」と素直に言った。それを聞いた義父は、財布がないことに気づき、車へと戻った……いや、車に戻らなくてもよかったのでは? そこは普通に、夫に買ってもらえばいいんじゃね? と、さすがに思う。ただし、そこには義父の美学のようなものが見え隠れする。彼は私たちに何かを支払わせようとはしない。何であっても、絶対に自分で払うと言う。そんな気持ちで、91歳の義父が痛む足を引きずって、自分の息子に甘えることなく自分の財布を取りに行った姿を想像すると、やはりとても気の毒だなという気持ちになる。
そして、一番気の毒なのは、義母だ。しっかりしている頃の義母だったら絶対にしない行動だ。本当にきちんとした人だった。誠実な人だった。確かに、私に対して意地悪だったことはある。夫に対して高級さくらんぼを買ってきたのに、私に潰れた値引き品のコロッケを買ってきたこともある。しかし、それぐらいのことだ。いつも、買いすぎじゃないかというぐらいたくさん食品を買って、どっさりわが家に持ってきてくれた。大盤振る舞いが大好きだった。その彼女が、おせんべいの袋をひとつ手にして店の出口にいたということを考えると、私はやはり、とても寂しい気持ちになるのだった。ごめんね、お義母さん。私が一緒にいてあげられたらよかったのに(自宅で翻訳してたわ)。
帰宅した夫がしんみりとこの話をするので、ずいぶん気の毒になった。「そういうことってあるよ。きっと、日本中で同じようなことが起きてるよ。お店の人だって、お義母さんの様子を見たら、きっとわかってくれたよ。未然に防ぐことができてよかったね。で、その問題のおせんべいは買ってあげたん?」と聞くと、「あ、忘れた」と答えるではないか。おいおい!! そこ大事!!(後日、私が買って持っていきました)
夫が介護に参加しはじめたことで、義理の両親にとっては、昔の家族の形態が戻って来たような気持ちかもしれない。すべては同じようにはいかないけれど、それでも、昔のように仲良く暮らしていけたらいい。義母はすっかり子どものようになってしまったけれど、ずいぶん大切に育ててもらったのだから、夫はこれからが恩返しの時間だ。今回のアクシデントからは学ぶことがたくさんあった。夫にはこの先もがんばってほしいと思う(私も適当にがんばる)。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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