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村井さんちの生活

 義父が元気だ。年始から大変めでたい。もうすぐ91歳にもなろうかという彼だが、確かに体力は落ちたし、足腰は弱ったものの、「死ぬかもしれない」と弱音を口にしつつ、非常に元気で、そして健康だ。なぜここまで断言出来るかというと、彼の食欲を見ていればよくわかるからだ。たくさん食べることが出来る人は長生きすると聞くが、義父の食べっぷりたるや、もう本当にすごい。私は義父ほどにモリモリ食べる老人をあまり見たことがない(唯一思いつくのは、『ぼけますから、よろしくお願いします。』の信友直子監督の父で、103歳の良則さんだ)。ここのところ数か月で体重も増えた。義父は昔の人にしては身長が高くてがっしりとした体格なので、なんだか本当に「健康なお爺ちゃん」といった雰囲気なのだ。

 私の母方の祖父なんて、刺身少しと茶碗に軽く盛った白米を食べるだけでお腹がいっぱいになるような人だったし、父方の祖父は病弱だったそうで、40代で亡くなっている。当然私は会ったこともなく、写真すら見たことがない。私の父も病気がちで50代を迎えることなく亡くなっている。だから、爆食する老人に慣れていない。元気いっぱいモリモリ食べる系老人は、義父が初めてと言っていい。義父は、なにが起きてもあまり驚かない私が軽く引くほどの大食漢で、私のなかでは「後期高齢者フードファイター」である。

 とはいえ、私は義父の素晴らしい食欲を大変興味深いことだし、いいことだと思っている。なにせ義父は、なんでも果敢に挑戦する勇気ある老人なのだ。洋食、和食、中華、時には慣れないスパイスたっぷりのインド料理さえ、「美味しいなあ」と言っては完食する。どんなに珍しいメニューでもウェルカムだ。私は手を替え、品を替え、ありとあらゆる食べ物を義父に運んで食べさせ、その様子を観察している。毎度のこと、素晴らしい食欲だと感心している。たっぷり食べたあとは、必ずデザートも食べる。饅頭が大好物だから、毎度、たっぷり買って持っていく。デミグラスソースハンバーグ弁当を食べたあとに、大きな饅頭2個をあっという間に食べる日もある。そして、「ああ、お腹いっぱいや」と言っている。そりゃ、そうだろうなという感じだ。

 こんな義父を見ていると、「いくらなんでもダメでしょう」と自分でも思うのだが、お気に入りのYouTubeチャンネル「ゴリラチューブ」を思い出してしまう。チャンネル登録者数50万人を越える人気チャンネルだが、巨大なゴリラが、パプリカ、きゅうり、リンゴといった食べ物をバリバリと食い尽くす様子が配信されている。私は食事をするゴリラを見るのがなにより好きで、配信して下さってありがとうの意味を込めて課金までしている。

 しかし、よくよく考えてみれば、ゴリラチューブのような状況が夫の実家で義父によって展開されているわけであり、それを私はライブで見ているという構図ではないのか? 介護に携わる人によって気持ちは様々だろうが、私的には、義父の爆食を楽しいもの、暗いイメージの強い高齢者介護における一筋の光として捉える気持ちが若干あるのだ。持ち帰り弁当店のメニューを定期的にチェックする程度には、次の一手の選択に時間を割いている。正解はわからない。介護に携わる人間として正しい心の持ちようなのかどうか、まったくわからない。それでも、義父の旺盛な食欲は、私が義理の両親に次から次へと食料を運ぶモチベーションには繋がっている。私はドSなんだろうか。

 しかし、夫の場合は違っていた。実子による介護の難しさだとは思うのだが、夫は義父がモリモリ食べているというのに、義母の食がどんどん細くなることに怒りのような感情を抱いていることがわかった。「なんで親父はあんなにモリモリ食べるんや」と、少し怒ったような口調で言うのである。「親父はあれだけ食うのに、なんでおふくろは一向に弁当を食べようとしないんだ。眺めているだけで、全然食べられない。それなのに、親父はおふくろの横で、めちゃくちゃ食ってるやん…」

 発売されたばかりのカニクリームコロッケ弁当を選んだ私が悪かったのかもしれないが、この日も義父は大喜びで弁当を完食したあとに、ケーキを一個食べていた。「最近、あまり食べられなくなったなあ」と言う義父に、私は「またまたご冗談を!」とふざけて答えた。義父はうれしそうに、「ワハハ」と笑っていた。私はケーキまで食べた義父を見てキャッキャと喜び、「お義父さんすごーい! 100歳まで生きて~!」と叫んでいた(ドS)。義母は、弁当を前にして戸惑いの表情を浮かべていた。蓋を開けることが出来なかったのだ。私はそんな義母に声かけをしつつ、場を盛り上げることになぜだか必死だった。義理の両親宅のリビングが、妙に暗い雰囲気に包まれていたからだ。夫は離れた場所に一人で座り、両親に背を向けて、無言で弁当を食べていた。義父が椅子を指して、ここに座れと何度も言うのに、夫は座ろうとしなかった。

 私がもし夫の立場だったとしたら…モリモリ食べる父に苛立ち、なにも食べられない母の姿を見ることが辛いと思うだろうか。私が義父の元気さを無邪気に喜び、義母の認知症の進行にそこまで戸惑わないのは、やはり私が二人の実の子ではないからなのだろうか。それとも、私が無神経なだけか? そんなことを考えつつ、私は連日、新規オープンの料理店情報を検索している。次はなにを二人に持って行くべきだろうかと、少しうきうきしながら考えている。そうでもしなければ、義理の両親を取り巻く厳しい現実に向き合うことができないからなのかもしれない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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