昨年まで、義母は週に三回、デイサービスに通っていた。三回とも、義父の通うデイサービスとは別の場所で、過ごす時間の長さも、受けるサービスもまったく異なる施設だ。最も大きな違いは、入浴介助があること。自宅で入浴することができなくなってしまった義母にとって、入浴介助は大変ありがたいことで、これがあるからQOLをなんとか保つことができていると言っても過言ではない。
先日、ケアマネさんと話しあって、義母のデイサービス通所を週四回に増やそうと計画した。最近の義母は、家のなかにいても常に歩き回っているような状態で、とにかく、座っていることができない。何かを手にして、移動させ、捨て、拾い、しまい込む……という行動を延々とやっている。本人は楽しそうで、家事をしているつもりで動いているのだと思う。話しかけてもいたって普通だ。最近、会話がかみ合わないことが徐々に増えてきてはいるが、それでも、瞬間のパフォーマンスは非常に高いのが義母の特徴で、要介護3の認知症患者には到底見えない。しかし、ケアマネさん曰く、「今の状態ではお気の毒です」ということだ。なぜなら、「ご本人はきっと、毎日自分が何をしているのか理解されていない状況だから」。「それであれば、デイサービスに行き、入浴し、食事を済ませ、誰かと会話し、運動してから帰宅したほうが、一日が充実するんじゃないかと思うんです」とケアマネさんは言った。私もその通りだと思う。思うのだけれど……。
最近私は、「自分だったら何を求めるだろう」と考えることが増えた。これまで長きにわたって、ケアマネさんとの話しあいだとか、ヘルパーさんとのやりとりだとか、義父との戦いだとか、そんなことを書いてきたわけだが、私自身が高齢者となったとき(すでに片足は突っ込んでいるけれど)、私は一体、何を求めるのだろう。高齢者となり、なんとなく認知の問題も出てきたときに息子が「かあさん、そろそろデイサービスに行かないか? 運動も出来るし、お風呂にも入れるし、いいことばかりだよ」と言ったとしたら、私はどう答えるだろう。考えなくても答えはわかる。たぶん、激しく拒絶する。
いいえ、私は家にいます。べつにあなたに迷惑をかけているわけじゃなし、問題なんてないじゃないですか。あなたの世話にはならないので、私のことはほっといて下さい。
100%こう言う。私はデイサービスには行きたくない。絶対にそう答える。夫にも先日聞いてみたが、「デイサービス? 俺は行かない。家で野垂れ死ぬ」と迷惑なことを言っていた。しかし私にしても夫にしても、自分が認知症になった場合を想定していないではないか。
矛盾していることは重々承知だ。義母にとってデイサービスはなくてはならない場所で、私は職員のみなさんに大変感謝している。高齢者となった私にも(なったと仮定して)、きっとデイサービスは必要になるだろうし、行けば良いことばかりなのもわかっている。それなのになぜ、「私は行きたくない」になるのだろう。同じ質問を、例えば友だちにしたとしても、きっと「行きたくない」という答えが返ってくるだろう。しかしもし、認知症になり、家にいてもデイサービスにいても、自分がどこにいるのかわからない状況になったとしたら? そうなったとき、私は言われるがままデイサービスに行き、黙々と課題をこなして家に戻るのだろうか。その場合、私の自我は一体どこへ? 私はそれで幸せなのだろうか……友人数人とのランチでこんなことを愚痴ると、彼女らはいっせいに「ぽっくり逝きたいもんですな」という感想を漏らした。まあ、結局、そこに辿りつくのだけれど、実際にぽっくり逝かれると結構大変だということは、実兄の突然死で経験済みの私なのであった。人生はこのように、本当に難しい。
結局義母は、デイサービスに週に四回行くことになり、それなりに楽しく過ごし、すでに一ヶ月程度経過している。義父がどうしても自分の通うデイサービスに連れて行きたい、入浴はなしにしたいと意味不明な理由を主張したのだが、頑固な老人と戦うことに疲れた私とケアマネさんは、それでいいとあっさり納得した。とりあえず一日でも多く充実した日々を過ごせればいいのだから、それでいいとしたのだ。私もケアマネさんも、口に出すことはないものの「やつ(義父)を相手にしたくない」という点で意見が一致しているようだ。
義母と一緒にデイサービスに通えるようになった義父は、大変うれしそうである。相変わらず元気で、先日持って行ったカツとじ丼を完食し、サンドイッチも食べていた。91歳、絶好調。いつの間にか、庭の桜の大木が思い切り剪定され、見るも無惨な姿になっていた。先日は出前を頼んでいた鮨屋の大将と大げんかしたらしい。厄介なじいさんだなあとは思うものの、彼が元気でいてくれるからこそ、義母は今でも実家で暮らすことが出来ている。不思議なバランスを取って生きる夫婦の姿を目撃している気分だ。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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