シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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村井さんちの生活

 様々な事件が勃発する村井家、ハプニングの神様に愛されている村井家、大ピンチなのになんとなく逃げ切る村井家…そんな村井家の日常を綴ってまいりました『村井さんちの生活』が、なんと、連載100回目を迎えました~! 素晴らしい~! これも読者のみなさまのおかげ、いつも支えてくださる担当編集者さん、そして編集長のおかげ。本当にありがとうございます!

 今でもはっきり覚えています。担当編集者S女史から連載のご依頼を頂いた日のことを。私にエッセイが書けるのかという緊張感とともに、第一回を書いたのは、なんと2016年のことでした。子どもたちは小学生。実兄はまだ生きていた(!)。私は自分の病気にまったく気づいておらず、琵琶湖自慢とともに「仕事と子育てが大変だわあ」みたいなことを書いていますね…その後、自分自身が一番大変なことになるとも知らずに。

 たった8年の間に、わが家には様々なことがおきました。本当に、めまぐるしい8年だったと言えると思います。記憶に残っているのは、当時飼っていた愛犬トビーが亡くなったこと。とてもかわいい子でした。鼻腔癌になって、放射線治療をして、余命いくばくもないと宣告されてから一年も生き延びて、私たちと最期の時を過ごしてくれました。そしてしばらくしてやってきたのは、ラブラドール・レトリバーのハリーです。体重50キロ超のハリーは、今でもわが家のアイドル的存在で、私から片時も離れず、暮らしてくれています。長い枝が大好きです。

 そしてなんといっても、2017年の突然の入院騒ぎです。まさか、人生二度目の心臓手術をすることになるとは夢にも思っていなかった私。寝耳に水の「僧帽弁閉鎖不全症(心臓弁膜症の一種)」。入院中は担当編集者のS女史に病状を逐一報告し、退院したら原稿にできるようにと、iPadにメモしまくっていたのを覚えています。ハプニングをすべて原稿で昇華するというスタイルの確立はこのあたりからだったのかもしれません。

 大学病院に転院後、手術を受け、無事退院。その間も、記録を続け、『心臓へたっちゃってますけど大丈夫』シリーズを書かせて頂いたのでした。このシリーズをきっかけとして、多くの弁膜症仲間と巡り会うことができました。これは私の人生にとって、大きな糧となりました。みんな、これからもずっと、元気でがんばろうね。

 わが家の大事件はまだまだ続きます。2019年、義父が脳梗塞で倒れ、長期間の入院を余儀なくされました。義父の発症とほぼ同時に、義母に認知症の症状がではじめます。入院が長引く義父、日増しに認知症の症状が強くなる義母。本格的介護がスタートしたのは、この年のことです。そして義理の両親の介護生活は、村井家メンバー全員を巻き込みながら、今現在も続いています。

 義父が倒れて数か月後、今度はなんと、実兄が突然の他界。私が元気になったのに、兄が死んじゃってどうするんだと嘆く間もなく、遠く東北の地で倒れた兄を「迎えに来て下さい」と塩釜警察署の刑事さんは電話ごしに私に言ったのでした。いくらハプニングに愛されている私でも、こればかりは本当に「無理だ」とギブ寸前に。それでも、兄を荼毘に付すため、術後一年で本調子ではなかった私は、ジャージ姿で極寒の塩釜駅に降り立ったのでした。そこから先は、本当の修羅場。結局、村井理子はサバイブします(かろうじて)。

 2020年、いろいろと大変だったなあと一瞬、気を抜いた私を(いや、私だけではなく世界中を)大混乱に陥れたのは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックでした。中学生だった子どもたちは、休校のため、長期間家のなかで過ごすことになりました。ワクチン接種がスタートすると、自分だけではなく、子どもたち、そして義理の両親の接種スケジュールを管理するという地獄が待っていたのでした。そんな慌ただしくも、窮屈な生活を続けていた村井家を、より一層混乱させていったのは、義母の認知症の進行でした。日に日にもの忘れが激しくなり、義父とすれ違っていく義母。変わってしまった義母を受け入れられない義父。本当に、いろいろなことがありました。その都度、ケアマネさんやヘルパーさんといった、介護従事者のみなさんに助けられてきた気がします。今までの出会いを思い出すと、はるばる遠くまで来たなあと遠い目になってしまいます。

 今現在は、後期高齢者である義理の両親は、身を寄せ合うようにして暮らしています。私と夫、そして子どもたちは、週末に二人を訪れるというスタイルでの支援を続けています。この先、何が起きるかは誰にもわかりません。わからないけれども、私はすべてをメモしている! だから、この先もきっと、村井家の生活をお伝えし続けることができるかと思います。是非お読み頂ければ幸いです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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